第679話 翡翠の価値は

「おおー、それはまた見事な翡翠イニセムトだねー!」


アウリネルが魔法の箒に跨ったまま上から覗き込み教えてくれる。


「いにせむと…?」

「あー、共通語ギンニムならオーノレルだね」


「へえ! 翡翠オーノレルゥ! 翡翠オーノレルゥってこんな風に採れるんですね!」

「ウム。見事な翡翠ウヌセムドだろう」


彼女たちの感嘆の声を聞いて気を良くしたらしきダッコウズが胸を張る。


そして彼らの会話を聞きながら…


「え? なにがなんのなにー?!」

「むずかしい!」


シャルとヴィラがそれぞれの呼び方に目を回していた。


王女とその連れということで、ここにミエが随行していなくてよかったかもしれない。

もし彼女がここにいたらさらなる呼び方が増えて一層混乱を招いただろうからだ。



『エメラルド』と。



だがそこに先ほど彼と口論していたエルフの男が後からやって来て…


「む、翠玉アラシングの鉱石だったのか」

「「ふえたー!」」



増えた。



「色々な呼び方があるんですね…」

「まあメジャーな宝石だからな」


エィレの呟きにダッコウズがうむうむと頷く。


「そういえば今ので気になったんだけど……巨人族には翡翠オーノレルゥを指す言葉はないの?」

「わたししらない…」


エィレの素朴な疑問にヴィラが寂しそうに首を振る。


「でもこのいしきれい!」

「まーそうね、うん」


だがその後すぐに瞳を輝かせて興奮し、シャルが同意するように肯首した。


「ふむ、知らないというより『ない』が正しいかな」


その疑問に答えたのはヴィラではなく同じ巨人族のユーアレニルであった。


「ないんですか」

「うむ。ヴィラウアの反応を見ればわかる通りわしら巨人族にも宝石を美しく感じる感性はある。だが宝石自体を愛でる風習はないのだ」

「美しく感じるのに風習がないってどういうことですか?」


新たに湧いたエィレの疑問に、ユーアレニルはニヤリと笑って甚平の袖下に隠していた己の手を出した。


「今お主らが持っておるのは宝石の原石であろう。だが宝石として完成させるためには研磨した上でええとなんだ…あのたくさん角を付ける…」

「カッティング加工のことか?」

「そうそれだダッコウズ殿。そのカッティングなんとやらを施さねばならん。宝石になる頃にはだいぶ小さくなっているはずだ」

「「そうなの!?」」


意外というか残念そうというか、ともかく失意の叫びをシャルとヴィラが同時に上げた。


「まあそうだな。光を屈折させ宝石をより美しく見せるカッティングは多くの宝石に施される。その過程で原石は削れより小さくなってゆくものだ」

「へええええええええええ」


ヴィラが今度は感心した風の声を上げる。


「ゆえに宝石には小型のものが多い。そうすると…ほれ、巨人族にはいささか小さすぎるのだ」


そう言いながらユーアレニルは先ほど出した手を皆の前に差し出した。

確かにそのサイズからしたら多くの宝石は小さすぎるだろう。


「そのため我らには宝石を珍重する文化が根付かなかった。手にしてもすぐに失くしてしまうでな。小さすぎてわしらでは加工もできぬ。そのため巨人語であえて言うなら『ルベアルクール』となる」

「ルベア…どういう意味ですか?」

「わたしわかる! 『きらきら石ルベアルクール』!」

「うむ。キラキラと輝く石のことを巨人は『ルベアルクール』と呼ぶ。まあ直接の単語ではないが巨人族の間で宝石をどう呼称するかという話であれば、まずこれで間違いなかろう」

「「へええええええええええええ」」

「翡翠ならばさしづめ『緑のきらきら石クジールベアルクール』とでも言うのであろうな。かつてそう使ったことはなかったが」

「「へええええええええええええええ!」」


ユーアレニルの言葉にいちいち感心するシャルとヴィラ。

エィレも同様に興味を惹かれたけれど、どちらかというと宝石に価値を見出さない種族、という概念の方が意外だった。

宝石にはもっと普遍的な価値があると思い込んでいたからだ。


だが巨人にとっては確かに小さすぎて扱いづらいだろう。

すぐに失くしてしまうようなものではいかに美しく想えてもそれに金銭的価値を見だせまい。

それはつまり巨人たちにとって宝石が『価値がない』ということだ。


(価値……)


価値観は相対的なもの。

落ち着いて考えれば当たり前なのだろうけれど、エィレは今までそれを取りたてて強く意識した事はなかった。


だが今ならそれがよくわかる。

そして…今日までクラスク市を見て回ってきた彼女は、その真理に気づくことで何かひらめきそうになった。


ただすぐには出てこない。

それはちょうど喉まで出かかっている言葉がつっかえてすぐに出てこないのと似ていた。


「しかしそっちの巨人っ…ヴィラウアと言ったか? その娘はともかくお主の方は少々意外じゃな。その年頃の娘御で宝石に興味がないとわな」


宝石について種族的にヴィラウアがよくわからぬのは仕方ない。

だが足を乾かし二足歩行となったシャルは見た目的にはほぼ人間族と変わらないのだ。

それゆえ人間族の年頃の娘が宝石にまったく興味がないというのがダッコウズには意外だったのだろう。


「失礼ね! 宝石くらい知ってるわよ。ただこう…私の知ってる宝石はあまりカッティングとかしないやつだから…」


「ダッコウズ」

「うむ、オムロー」


ドワーフのダッコウズと先ほどまで激しく口論していたエルフのオムローは互いに顔を見合わせて、その後シャルのほうに向き直った。


「なんだ、おぬし人魚族か!」

「珍しいな。このような内陸に人魚とは」

「なんでわかんのよー!?」


二人の言葉にシャルがびっくりして思わずエィレの背後に隠れた。

一瞬ヴィラウアの足の後ろに隠れようとそちらに視線を向けたのだけれど、ヴィラウアがうっかり足踏みなどしたら人魚にされてしまう。

ゆえにシャルはエィレの背中に隠れざるを得なかったのだ。


「海の中の宝石というと『真珠』や『虹貝』、それに『海の涙滴』などが有名だが、いずれもそのままの美しさが珍重されるもので加工されることは少ない。宝石のことを知っていてカッティングを良く知らぬというのなら、海の宝石しか知らぬ人魚族である可能性が一番高かろうよ」

「あうう……」


ダッコウズの実に理路整然とした説明にシャルが真っ青になって怯える。

まさかそんなところからバレるとは思ってもいなかったのだろう。


「そう怯えるな、わざわざ人に言いふらしたりはせんよ。ドワーフ族は口が固いのだ。エルフと違ってな」

「私たちには人魚の知り合いもおりますし種族を理由に不法を働くような真似はしませんよ。エルフはドワーフと違って礼節を弁えておりますので」

「なんだと」

「なんだと」


流れるように互いに喧嘩を売って互いに角突き合わせるエルフ族とドワーフ族。

少し安心したシャルがエィレの背中から顔を出す。


「へー人魚の知り合いなんているんだ」

「ええ。ここからずっとずっと西の方ですがね」

「まあな。なにせの向こうだからな」

「おやま?」


一同が初めて聞く名に首をひねる。


「あー、まあ山の神様を信仰するドワーフでもないとこのあたりの人はまず知らないだろうねー」


と、そこに助け舟を出したのはアウリネルである。


「ここよりずっとずっと西、多島丘陵エルグファヴォレジファートを越えてさらに西、西の神樹アールカシンクグシレムのもっと向こうに、赤蛇山ニアムズ・ロビリンより何倍も何倍も高い山が南北に連なってるとこがあるんだ」

「「「えええええええええええええええ!?」」」


最高峰は1万ウィーブル(約9000m)を超えるとされる巨大連峰。

広大な北の大陸を中央部と西部に分ける山々の群れ。






名を、天険山脈という。





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