第678話 深き山嶺のふもとにて

赤蛇山脈ロビリン・ニアムゼムト

かつて千年近くの長きにわたり赤き竜がそのいただきを支配していた悪名高き山嶺。

だが今やそのあるじはなく、荒涼たる山肌が上に伸びている。


クラスク市から運び込まれた大量の苗木によって瞬く間に広がったエルフ達の森は、かつて植物が、そして木々が育たなくなったと言われた荒野を瞬く間に緑に染めて、わずか半年足らずでその縁林をかの赤竜の名を冠する山嶺の麓まで伸ばしていた。

復讐心で為した事ではないだろうが、その事実にエルフ達の溜飲は随分と下がったことだろう。


そんな山のふもとから聞こえるいさかいの声。

一体何者なのだろうか。


「ふむ、声から察するに個人同士の言い争いのようだな。気配は刺々しいが戦闘に発展するような感じもせぬ。口だけで済む話なら存分にさせておくとよかろう」


ユーアレニルの呟きを聞いてエィレは目を丸くした。

およそ食人鬼オーガの発言とは思えぬ。

だがエィレはこの街ではもはやそうした偏見は抱かぬようにした。


食人鬼オーガという種族自体は脅威と捉えるべきだけれど、少なくともこの隠れ村ルミクニの村長、ユーアレニルはそういう連中とは別のとして扱うべきだ。

エィレはそう判断したのである。


オーク族といい、食人鬼オーガといい、この街に来てから彼女の常識は根底から揺さぶられてばかりである。


「でもやーね。誰が喧嘩してんのかしら」

「けんかよくない!」


シャルとヴィラの会話を横に、箒の上の魔導師アウリネルが特に緊張する様子もなく呟く。


「まー大体予想はついてるけどねー」

「そうなんですか?」


きょとんとした顔のエィレの方に目を向けたアウリネルは、空を飛びながらくるんと箒を軸に一回転して彼女をびっくりさせた。


「そりゃね。エルフの森なんだから片方はエルフでしょ」

「それはなんとなくわかりますけど…」

「エルフと会って早々喧嘩できるなんてのは限られるもんさ」

「………………?」


エィレが疑問に思う中一行は森を抜け、赤蛇山脈ロビリン・ニアムゼムトのふもとのごつごつとした岩肌が見えてきた。

普通の山なら森林限界と呼ばれる高度まで森が伸びてゆくものだが、このあたりの森は山の手前できっかり終わっている。

この山脈の名の由来となったかつての主人あるじによってこの辺りが一度完全な荒野と化し、その後クラスク市による植林とエルフ達の秘術によって森を育て整えたけれど、未だその森は山腹を浸食する程には育っていないのだ。


そしてそんな森のほとりから聞こえてきたのは…


「だからこちらに用事があるのだ!」

「森を汚すつもりではないだろうな!」

「わしらだって好んで森を汚そうなどとは思っておらん!」

「どうだか。お前達が石を洗えば汚れた水が出るであろう」

「だからここでは加工しておらんとゆーとるだろうが!」


銀の長髪をたなびかせたエルフ族と、浅黒い肌のドワーフ族の口喧嘩の声であった。


「やほー、ダッコーズー!」

「おおアウリネル! あとダッコウズだ!」


隣のエルフを押しのけるようにしてドワーフがこちらに駆けてくる。

まあ足が短いので見た目の勢いに比べたどり着くまでには結構な時間がかかったけれど。


…そして当然のことながらこうなる。


「おお? 巨人族!?」

「気づくのおっそ!」


ぎょっとして目を丸くするドワーフに思わずシャルがツッコミを入れた。


「びっくりさせちゃった…」

「そう身構えんでくれ。ルミクニの村長ユーアレニルだ」

「あ、あ、わたしヴィラウア!」


ユーアレニルはそのまま挨拶するが、より背丈のあるヴィラウアは少しでも目線を合わせるためかがんで挨拶する。

その間に彼女の肩から降りる二人。


「ああ話に聞く隠れ里のか。興奮して我を忘れてに斧をど忘れてきたことを後悔するところだったわい」

「こわい!」


泣きそうな声を上げるヴィラ。

どうやらあらかじめ彼女たちが来ると話が通されていたらしい。

まあそうでもなくば巨人二人連れでこんな場所まで来られないだろうが。

おそらくはクラスクとミエが手を回してくれたのだろう

エィレは改めて二人の用意周到さに感謝した。


「とするとそちらの二人は…」

「エィレッドロです」

「ジェイルシャルよ」

「巨人と一緒に散歩するとはずいぶんな胆力だな。フム」


そのドワーフ…タッコウズを名乗っていた男は、ずいぶんと驚いてはいるものの怯えたり憎しみを向けたりはしてこない。

仮にルミクニ出身の者は危険がない、事を構えないでほしいと念を押されていたにしても、当人に強い偏見や憎悪があった場合どうしてもそれは表情や態度に出てしまうものだ。


だがそのドワーフにはそうした色がなかった。

また言動から男女による差別もあまり感じられぬとエィレは感じた。

普通なら先ほどの台詞には『女だてらに』のような言葉が添えられるはずだからだ。


エィレはかつて家庭教師による人型生物フェインミューブの授業で、ドワーフ族はそもそも女も働くのが当たり前の種族であり、女性でも戦士としての訓練を当たり前のように積んでいる教わったことがある。

そう考えると女性に対し偏見を抱いていないのは種族的にはおかしくないが、逆にドワーフ族であるなら巨人族に対してそうした態度を取らないのは少し不思議に感じられた。

巨人族は山岳部に住むことが多く、生活圏がかぶるドワーフ族はオーク族と並んで巨人族をことさら敵視する、とこれまた教わっていたからだ。


彼のその態度が個人的な資質なのか、あるいはそもそもそういう者がここにいるのか。

エィレは心の内で少し考えた。


「ところで急ぎの用事があるんじゃないの?」

「おおそうじゃった。これを見てくれ! 掘り出し物だ!」

「おおー、まさに掘りたてだねー」


シャルの言葉で我に返ったダッコウズは両腕で抱えた岩を掲げた。

一つではない。

彼の頭の半分くらいの大きさのごつごつとした黒褐色の岩が三つほどだ。


「おおー、おおおおおー」


ダッコウズから岩の一つを受け取ったアウリネルはふおおお…と興奮した面持ちでその岩を掲げ、持つ位置を変えながら様々な角度でそれを眺める。

先ほどまでののほほんとした様子とは打って変わってのいきいきとしたその表情にエィレは目を丸くした。


「あれ、ってことはもしかしてアウリネルさんの用事って…」

「そうそう。こっちが本題だねー」


手にした石を目を細め熟視しながらアウリネルが言葉だけ返す。

ただ視線はずっとその岩に向けられたままだ。


「そんな岩の何が面白いわけ?」

「フム、どちらかというとむしろお主らのような娘御が喜ぶ代物なのだがな」


シャルの言葉にドワーフのダッコウズがそんな事を言いながらもう一つの岩…アウリネルが持ったものより少し小さめのものだ…を手渡す。


「よく見てみろ」

「よく見てもただの岩だけどー?」

よく見てみろ」

「ええ……?」


しばらく胡散臭そうにその岩をいじっていたシャルは、半信半疑で手にした岩を光にかざして…


「わあ……!」


そして、嘆声を上げて目を丸くした。


「どうしたの?」

「なにかあった?」


エィレがシャルに倣って下から覗き込み、ヴィラウアが真似しようとして背丈的に真似できず、地面に腹ばいになって顎をどんと前に突き出して目線だけなんとか上に向けた。


「わあ!」

「きれい!」


シャルが手にした石……その石の表面のくぼみが、逆側の隙間から陽光を受けて緑色に輝いていた。






そう、そのなんの変哲もない岩は、宝石の原石だったのだ。





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