第676話 誠意という名の対価
「返、す…?」
「返ス」
エルフ族のヴシクゼヨールはクラスクの言葉を鸚鵡返しにして、クラスクはそのままこくりと頷いた。
「何を言っている?」
「言葉通りの意味ダ」
「返す?」
「返ス」
無論エルフ達にもクラスクの言っている言葉の意味は分かる。
彼が話しているのは
だが言葉の意味はわかっても脳の理解が追いつかない。
そのオークの発言があまりに突飛過ぎて言葉通りの意味に受け取れないのである。
「返すとはどういう意味だ」
「さっきも言っタ。言葉通りノ意味ダ。イらんのカ」
「そうは言ってない!」
思わず激高し怒鳴り返した後ヴシクゼヨールは浮かせかけた腰をソファに戻し押し黙った。
動転していた己に気づきすぐに我を取り戻したのだ。
「…条件は、なんだ」
「条件?」
呻くようなヴシクゼヨールの声にクラスクが不思議そうに首を捻る。
「そうダナ。あえテ言うナら……あれダ。ミエがさっき言っテタ話あっタダロ。ウチの街の市民にナルっテ奴ダ」
「…ああ」
「あれを前向きに検討シテくれ」
「「「「ハァ!?」」」」
今度はヴシクゼヨールだけではない。
その場にいたエルフ達が全員で声を上げた。
「駄目カ。あの案デモ駄目カ。ウウム」
「いや…」
「駄目カー。悪くナイト思っタんダガナー」
「ねー」
「いやだからそうではない!」
クラスクがミエと顔を見合わせ残念そうに項垂れる。
それに慌てたようにヴシクゼヨールが割って入った。
「先ほどの案は悪くない! 悪くないと思う! わ、我らとしても十分に検討に値するものだと思った」
「まあ!」
「それはよかっタ」
「わからないのは…なぜこれを条件にしない」
それは本来なら彼の口から決して言ってはいけないことだ。
断じて告げてはならぬ言葉だ。
ヴシクゼヨール自身にもそれはよくわかっていた。
仮に相手が交渉について理解していないか、或いは自分達にとってのこの宝の価値を把握していないのだとしたら、己が口にしたことは致命傷になり得る。
言われて気づいた交渉相手がが改めてその宝を盾に要求を吊り上げてくる危険性すらあるのだから当然だろう。
だがそれでも、彼はどうしても聞きたかった。
そのオークの真意を確かめずにはいられなかったのだ。
「条件?」
「お前達は…お前は、これが我らにとって血と同じくらい大切な秘宝だと理解しているのか」
「これがそうダトは知らなかっタ。タダあの大トカゲに滅ぼされタ村ダッテ言うナら巣穴にあッタ財宝の中にお前達ノ国宝あルかもト思っテ探させタ。アッテ、ダから返ス」
「我らにとって重要であると知っていたのなら、先ほどのような条件交渉など不要だったはずだ。この秘宝を盾に要求されたら我らはそれがどんなものでも飲まざるを得なかったではないか」
「ちょっとヴシクゼヨール…!」
興奮するヴシクゼヨールの腕を横のリーマがしきりに引っ張る。
わざわざ自分達に不利になるような情報を明かすのは交渉ごとに於いて悪手も悪手なのだから当然と言えるだろう。
「それハデきナイ」
「何故だ。教えてくれ」
「さっき言っタ。俺はお前達の憎悪受け止めル覚悟あル」
「憎悪…?」
「お前達俺に直接ノ恨みナイ。ダガエルフ族はオーク族に恨み事ガあルハズダ」
「「「!!」」」
クラスクの言葉にエルフ達は驚き目を剥いた。
「俺この街ノ太守。ダガ同時にオーク族ダ。同胞がかつテ長イ歴史ノ中何をシテタか俺知っテル。俺自身すらかつテシテイタ事ダ。そシテそれをお前達が、イヤ他ノ種族がドう思っテイルカも知っテルつもリダ」
誰もが黙ってクラスクの言葉に耳を傾けている。
エルフ達だけでなく、シャミルやネッカだちまで。
ただミエだけは瞳を輝かせ明らかに他の者とは違う意味でクラスクの言葉に聞き惚れていたけれど。
「ダから俺ハその過去を背負ウ。イヤ俺一人デ背負い切れル物デハナイカモシレンガ、背負イタイ。他の地方のオークハ知らン。ダガ俺ハオークの、己ノ種ノ罪を知ル機会アッテ。返す機会を得タ。アノ大トカゲに奪われタ宝ナら、退治シタ俺ニハ返せル立場にあル。ならこれハお前達に返すべきダ」
クラスクの言葉には責任を持つ者の重さがあった。
強さがあった。
力があった。
それは素晴らしき決意であり、立派な行為であると、認めざるを得ない。
たとえエルフだろうとドワーフだろうとオークだろうと、その気高さに違いはないのだから。
「ダからそれに条件付けタら駄目。そのママ返すべきダ。その上デ今回の縄張り…『狩り庭』の件は別に論議すル。そうデナイトおかシイ」
クラスクの言葉に、エルフ達は心打たれた様子だった。
国宝を手元に置きながら、それを盾に無理強いができるのにしなかった。
国宝を渡すことを餌に自分達に有利な条件を飲ませなかった。
無償で返還し、その上で互角の条件で交渉しようとした。
ならばそれは誠意だ。
それも破格の、掛け値なしの誠意である。
誠意には誠意で応えるべきだ。
エルフ達は互いに頷き合った。
「わかった。お前達の申し出、全て受け入れよう」
「そうカ! さしづめ
破顔したクラスクの言葉にエルフ達は再びぎょっと目を丸くした。
それはエルフ語によるエルフ達のことわざだったからだ。
「…やれやれ。まさかにそれをオーク族から持ち出されるとはな」
ヴシクゼヨールは完全に兜を脱いだ。
先ほどまでの緊張感に満ちた言葉とは明らかに違う、肩の力が抜けた心からの言葉であった。
「やっぱりエルフ族の間では有名なことわざなんですかね」
「そうだな。千五百年ほど前の、エルフ族と人間族の間に芽生えた友情について謡ったものだ」
「へー、だいぶ昔の話なんですね」
ミエが感心したように尋ね、ヴシクゼヨールが答えた。
「ただ私がそれを知っているのはエルフだからという理由ではないが」
「そうなんですか?」
「そのことわざに語られているエルフが、我が祖父なのだ」
「意外と近いー!?」
エルフ族の時間感覚に驚きくミエに微笑むエルフ達。
こうして……彼らはクラスク市の市民となったのだ。
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