第658話 詰め路

「ゆくぞ、悪漢」


ぐぐ、とさらに腰を落とした食人鬼オーガユーアレニルはどんと右足で地面を蹴ると一気にその不気味な中年男へと肉薄した。

まるで地面を滑るような間合いの詰め方で、相手からすれば気づくと目の前にいるような不思議な歩法である。


「打ち喰らえ! 『魔拳』!」


ぶうん、と光る拳が男のみぞおち目掛けて放たれる。

中年男の方はそれを受けも避けもせず、そのままユーアレニルの顔面目掛けてカウンターで手刀を放った。


一瞬の交差。

ユーアレニルのフードに男の手刀が掠めその爪先が彼の頬を裂いた。

だが最小の、首の上だけの動きで相手の攻撃を避けてのけたユーアレニルは、見事その拳を相手にめり込ませ吹き飛ばす。



「「ッ!?」」



驚愕の表情が二人の顔に同時に浮かんだ。

片方はユーアレニルのものだ。


彼の破壊の魔力を帯びた拳、その光は相手に命中する直前に掻き消えていた。

何らかの手段でその魔力が打ち消されたのだ。

ゆえに傍目には光る拳を見事に命中させたかに見えたユーアレニルの攻撃は、実は単に素拳を打ち込んだに過ぎなかったのだ。


もう一方の驚愕はその中年男のものだった。

相手の拳に込められた魔力は打ち消した。

その結果は彼の目論見通りであった。


だが…にもかかわらず彼は拳の衝撃によって後方へと浮かされて、斜め上空へとぶわと吹き飛び、そして少なからぬダメージを受けた。

要は魔力を失った、単なる拳打によってダメージを受けたのだ。

凄まじい威力の一撃だったと言えるだろう。


男は1ウィーヴル(約90cm)ほど斜め後方にその身を躍らせた後再び着地し、喰らった攻撃の勢いそのままに後ずさりするようにして間合いを開けた。

魔力を打ち消すことができる以上相手の攻撃で驚異なのは白兵戦による拳打のみである。

ならば間合いを開けて光弾や伸びる腕などで攻撃した方が有利だろうとの判断なのだろう。


彼は先程の拳打の勢いが消えた後もなおも後ろに下がろうとして…


「ヴィラ!」

「わかったー!」

「~~~ッ!?」



そのまま、勢いよくすっ転んだ。



素早く状況を確認した男はすぐに理解する。

己の足元に緑色の障害物があって、それに足を取られたのだ。


である。

ちょうど足首あたりの高さに海藻のロープが張られていたのだ。


先ほどその男に単身挑み吹き飛ばされたヴィラを受け止めんとシャルが咄嗟に唱えた精霊魔術、〈座礁藻域ギィスクルマク〉。

海藻を生やし操る呪文である。


エィレはそのうちの一本を掴みその先端をヴィラに渡し、己の腕を支柱代わりにしてヴィラに距離を取らせた。

ちょうど噴水から伸びた海藻がエィレを中間地点として折り返し、その先端がヴィラまで伸びているような状態である。


そして二人で示し合わせその男の背後、地面すれすれにその海藻を張って、目論見通り相手がユーアレニルに吹き飛ばされた際その海藻を足首の高さまで引っ張り上げ、見事相手を転倒させた、というわけだ。


「どうだー!」

「やった!」

「やーるじゃんあんたたち!」


娘三人が快哉を叫ぶ。


スフォーとユーアレニルによって護衛されていたと知ったエィレはとても嬉しかった。

と同時に悔しくもあった。


クラスク達はこれほどに自分のことを気にかけてくれているというのに、現状自分の方は何も返せていない、と。

単に守られているだけでは、助けられる一方では我慢ならぬのがエィレの気性である。


もちろんなにもかも計算通り、というわけではなく偶発的要素の方が強い。

二人が撃ち合ってユーアレニルが殴り勝ち、なおかつ相手が真後ろに吹き飛ばなければこの罠は成立しない。

なにせ相手が横に避けた時点で終わりだったのだから。

いや、偶然というより相手の油断と言うべきだろうか。


「ヨクヤッタ小娘ドモ!」


ただ偶機であろうとなかろうと金星には違いない。

その不気味な中年男が起き上がるより早く、宙を舞ったスフォーが片手指に一瞬でナイフを四本挟んだ。


先刻までの戦いでは常に両手指でナイフを投擲していたスフォーは、ただ今回に限り片手にしかナイフを準備していない。

残りの片手は≪早業≫にて懐から小瓶を取り出し、親指で素早く蓋を開けるとその内の液体をナイフに振りかけた。


「テメーノ耐性ト弱点ト治癒能力考エタラ…コイツハドウダイ?」


そして太陽を背に真下にて今にも起き上がらんとしていた中年男目掛けて投げ放った。



悲鳴が、あがった。



先刻まで傷を受けようが受けまいが表情すらろくに変えず淡々と蠢き続けてきたその男は、胸部、右肩、咽喉、それに左頬に突き刺さったナイフに初めて苦悶の叫びを上げたのだ。

明らかに激痛に対するそれである。


「効いてるー!?」


エィレは素早くそのナイフの柄の色を確認する。


四本とも、白い。

つまり『善』の力が込められたナイフなのだろう。


実はそれらのナイフは先ほど投擲し地面に落ちたものをスフォーが密かに拾い集めたものなのだけれど、流石にそこまでは気づいていない。


ただ彼女にもわかったことはある。

白いナイフは先ほどまでの攻撃で唯一相手に傷をつける事ができたものだった。

ただ傷はついてもすぐに傷口は塞がってしまっていたし、相手も叫び声を上げたりはしなかった。


ならば今の相手の過剰な反応、その理由は先ほどまでと違う行為…つまりあの小瓶の中身に秘密がある、ということになる。


「善なる攻撃と…そっか! か!」


エィレの気づきに地面に着地したスフォーが少し目を見開いて感心した。

彼がナイフに振りかけたのは聖水である。

教会で売っているものだ。


そして聖水とは…清らかな水を瓶に詰め、聖職者が〈祝福ットード〉の奇跡を与えたものなのだ。


聖水は直接振りかければ不死者などにダメージを与えられる。

それだけでなく、武器などに塗布すれば一時的に『祝福された武器』として振るう事ができるのだ。

無論聖水が乾くまでのほんの数振りにすぎないが。


その不気味な男の鉄壁のような護りを突破するのに必要だったもの…それはつまり『祝福されている』『善なる攻撃』。

その両方の条件を同時に満たしている必要があったのだ。


大将グゥルー! ナイフノ上カラ殴レゲイク ゥル クベ クレイヴ!」

委細承知イムゥキー!!」


スフォーが咄嗟に叫んだ言葉はだった。

応じたユーアレニルの叫びもまた巨人の言葉であった。

相手にこちらの意図を悟られぬようにとの咄嗟の判断である。


そして言うを待たず既にユーアレニルは地を蹴り宙に身を躍らせていた。


咄嗟に左手を突き出し黒い散弾を放つその中年男。


展開せよファイクブク! 『力場式・四クァェディスケドリ』〈魔盾障壁フキォッグ・イスケッド〉!!


だが今度はまともな詠唱がユーアレニルの口から洩れ、同時に彼の正面に無数の爆発が起きた。

黒い光弾が炸裂したのだ。


ユーアレニルには届いていない。


その散弾が如き黒い光は、すべてユーアレニルの前方で不可視の楯に弾かれた。



降って来る。

無数の爆発の向こうから、食人鬼オーガが降って来る。


それでもなお対応せんとその右手をゴムのようにしならせ突き出す男。


「それは一度見た!」


だが己の前方の張った目に見えぬ盾で斜めにそれを受け流したユーアレニルは、己の拳を大きく振り上げる。


「ぬうん!」


ずどん、と音がした。

ユーアレニルが着地と同時に拳を突き立てた音だ。


それは狙い過たずその男の首に刺さったナイフの上から叩きつけられて……

その男の首がぶちんと弾けるとべしゃん、ぐしゃんと音を立てながら噴水の縁に当たって跳ね返り城壁に当たって堀に落ちた。



素早く一歩下がり、ユーアレニルは首から下だけとなったその男から距離を開ける。

そして目を細めじいと観察し、首から下のみではもはや動かぬと確認した後、ようやく緊張を解いた。


「ふううう~~~~~~~」


大きく息を吐き、呼吸を整えた彼は、未だ緊張の向け切らぬ娘達にニィと笑みを浮かべた。


「もう大丈夫だ。心配いらん」


大きく吸われた息。

上がる歓声。


エィレ達が歓喜の声を上げながら互いに抱きあった。


「うむ。仲良き哉。仲良き哉」


カカと笑ったユーアレニルは、ナイフを拾い集めているスフォーに向かってこう呟いて、その戦いの終焉を告げた。



「わしらルミクニの者が街中で戦闘行為をしたのだから、まあ始末書ものだな。お主も書くのだぞ」

「そこは村掟ニアッタ緊急避難ッテ奴デドウニカシロヨ!」 危ウク死ヌトコダッタンダゾ!」

「事情は事情! 決まりは決まり! 守れんようでは我ら人の街で暮らしてゆけぬでな。ハハハハ!」

「クッソメンドクセエ……」






こうして……謎の襲撃事件はいったんの終わりを迎えたのだった





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