第655話 奇怪な男

「こっち見てる?」

「見てるね…」

(ちょっと目つきが怖いんだけどー!)


ヴィラが呟いた言葉にエィレが相槌を打ち、二人の頭の中でシャルの声が響いた。


「こっち来てる?」

「来てるね…」

(なんか動きが怖いんだけどー!)


その男はぐりんとエィレたちの方に首を向けた後、それに合わせるように首から下の向きをぐぐいとねじるように合わせ、そのまま無造作に距離を詰めてくる。


「なんか急いでる?」

「すすすすごい速さだね?!」

(なんか怖いんだけどー?!)


徐々に、だがみるみると速度を上げたその中年男は、まっすぐにエィレたちの方へと駆けてくる。

それもエィレたちの方へ顔を向けているのにその誰をも見ていない。

エィレ達の方角の、をじいと見ながら近づいてくる。

それでいて前傾しながら、両手をだらりと下げて。

これでは確かに少女たちに不気味と評されても仕方なかろう。


「やだ…クラスクさま、ミエさん……!」

(やーんどうしよう! どうしようあれ!! ななななんか怖くなーい!?)


一瞬のことと、そしてその男の不気味な挙動に身をすくませ、思わず涙声になるエィレ。

動転してパニックに陥っているらしきシャル。

そんな二人の声を聞いたヴィラは……己の右腕にしがみつくエィレをそっと振りほどいた。


「ヴィラ!?」

「だいじょうぶ。二人まもる。わたし巨人族だから…!」


あの男が何者かわからない。

ヴィラには難しいことはよくわからない。

けれどを不安にさせたり泣かせたりするのは、悪いことだ。

だからあの男はだ。

なら自分がなんとかしないと。

自分は巨人族なんだから……!


「二人に近づくの、やめろ……!」


体勢を低く、頭から当たりに行くようにしてヴィラがその男へと立ち向かい、突っ込んでゆく。


「ダメッ! ヴィラ!」

「だいじょうぶ! 私巨人…」

「「アナタ今巨人族じゃないでしょー!?」」


どが、という音がした。

肉と肉がぶつかって、片方が弾き飛ばされた音だ。

弾き飛ばされたのはヴィラの方であり、彼女はそのまままっすぐエィレの真横をすっ飛んでゆく。


「ヴィ……!」


ざんぶ、と真後ろで音がした。

噴水に何かが着水した音だ。


先程己の横をかっ飛んで行った勢いからするとどう考えても噴水に落ちそうにないというか、そのまま背後の堀を超えて上街との間にそびえる内城壁に叩きつけられるほどに思えたけれど、なぜかすぐ背後から音が聞こえた。

背中に水が激しく打ちかかったけれどそんなことは大した問題ではない。


友の無事。

気になるのはそれだけだ。


「そうだったー!」

「アンタ自分のじょーたいくらいちゃんと把握しときなさいよ! バカ! あんぽんたん!」


エィレが振り向くのと噴水からヴィラが上半身を起こすのがほぼ同時。

そしてその横でシャルが思わず噴水から飛び出して隣のヴィラウアに全力でツッコんでいた。


エィレは泣きそうなほどに安堵すると同時に先程の違和感の正体を知る。


『網』だ。

緑色の網がヴィラウアの背中の方に広がっている。


よく見るとそれは植物のように見える。

内陸住まいのエィレ無縁だったためそれ以上のことはわからなかったけれど、それは海藻だった。


座礁藻域ギィスクルマク〉と呼ばれる水の精霊魔術である。

接地面から大量の海藻を生やし、伸ばして相手を絡めとることもできるし、壁にして足止めをしたり視界を遮ったりする事もできる呪文だ。


地表でも生やすことができるが水のある場所で出した方が強いし、海の中でならさらに強化される。

深い海から生やせばその名の通り船足を止め座礁させることすらできるのだ。


シャルは咄嗟に唱えたその呪文でヴィラの吹き飛ぶ進路上に柔らかい壁を作り上げ、そこで彼女を受け止めて噴水に落としたのである。


「良かったあああああ……!」


心底ほっとして己の胸を押さえるエィレ。

だがその頬の真横をシャルの人差し指がびっと突き抜け彼女の背後を指した。


「まだ終わってない!」


そうだ。

まだ終わってない。

エィレは慌てて背後に振り向く。


その男はヴィラを突き飛ばしたことでわずかにその場にとどまっていたが、首をこきりと鳴らすと再びこちらの方へのしのしと近づいてくる。

最初はゆっくりと、だがみるみる加速しながら。


巨人族ではないとはいえ人間族(になっている)娘一人である。

それとまともにぶつかって平気なのもおかしければ、あれほどの勢いでヴィラを吹き飛ばす怪力もあきらかに異常であり、到底人間業とは思えない。


「どうする? どうする?」

「やっちゃう? やっちゃおっか!」

「で、でも相手も人間だし……!」


三人が言い合っている間にみるみると迫りくるその不気味な男。


「「「きゃー! きたー!?」」」


結論が出る前にあっという間に距離を詰められ、三人は思わず互いにしがみついた。



突然、爆発音が響く。



その男の右側頭部と右上腕部、そして右大腿部が突然爆発し、男が思わずたたらを踏んで足を止める。

そしてその横……10ウィーブル(約9m)ほど離れた場所に、何者かがすっと姿を現した。


「……ッタク、身ノキケンガ迫ッテルノニ相手ノ種族気ニシテル場合カ。コレダカラオ嬢様ッテ奴ハ…」


それは両手指の間に投擲用のナイフを各四本ずつ構え、右膝を上げて、左足一本でつま先立ちをしている……ゴブリンだった。


「ゴ、ゴブ……?」

「「スフォー!!」」


街中にゴブリンが!?

共通語をしゃべってる!?

仰天するエィレの横で、シャルとヴィラが手と手を合わせそのゴブリンの名を叫びながら黄色い声を上げた。


「え? 知り合い…?」

「ルミクニの村のひと!」

「めっちゃ強いのよ!!」

「へええ……?」


ゴブリンが人の街に?

しかもつよい?


エィレにはいまいちピンと来なかったけれど、そういえばさっき『隠れ里にはゴブリンもコボルトもいるのに…』のようなことを言っていたような気がする。

どうやらそのゴブリンが隠れ里ルミクニの住人であることは間違いないようだ。


謎の爆発を真横から受けた中年男は、その勢いに前身を阻まれ横にた。

服は焦げ、破れ、ズボンが半分消し飛び、その下の身体は黒焦げになっている。


だが埃でもはたくようにその男が焦げた右腕をはたくと、黒い欠片がぱらぱらと落ち、その下から白い腕が現れた。

袖はボロボロになっているというのにどうやら傷も火傷も負っていないようである。


男は己の身体の調子を確かめるように首をこきりと鳴らして腕を回し右足を捻る。

その様子だとおそらく足の方も焦げ跡が付いているだけで無傷なようだ。


「ッタク、ノームドモニ高イ金フンダクラレテンダカラ少シハ効イトケッテンダ」


ゴブリン…スフォーがそうぼやきながら上げた片足を地面につけ、態勢を低くする。

その発言から察するに先程の爆発は魔術的なものではなく、錬金術的な…いわゆる爆発物のようなものだったようだ。


「ジャア…コレナラドウダイ」


スフォーは上体を大きく後ろにそらし、両腕をぐぐいと己の背後でる。

そして指先から離された弓弦のように上体をびゅんと跳ねさせて、両手に持ったナイフを一斉に投擲した。



…ただし、なぜかナイフは十六本飛んだ。



手指の間に挟んで四本。

それが左右で計八本。

どう投げても一度に投擲できるのは八本までのはずだ。

その倍の数を一体どうやって飛ばしたのだろう。


ヴィラの目にもシャルの目にもそれは不可思議な術…魔術か何かにしか映らなかった。

だがエィレの目、クラスクが褒めたエィレの目だけは微かにそれを目撃する。


そのゴブリン…スフォーは上体を前に伸ばしナイフを投擲すると同時に右足を大きく下げつつ足元で弧を描くようにして己の左足と交差させていた。

そして前にのめった上体を横にねじるようにして回転させ、交差した足が元に戻るようにくるんと半回転、

そのままの勢いで姿勢を低くコマのように回りながら相手の方へと向き直り…その時には、既に両手指の間にナイフが挟まれていた。


≪早業≫≪連続投擲≫≪一斉射撃≫スキルによる投げナイフの乱れ打ちである。





十六本のナイフが…大気を裂き、奇妙な音を立てながらその男へと襲い掛かった。





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