第654話 静寂の謎

女三人寄ればかしましい、とは言うけれど、その三人のおしゃべりは長く続いた。


巨人族と人魚族という城にいたころには想像もつかぬような知己を得て高揚しているエィレ。

同族相手では自分の趣味の話もろくにできず、一人孤独を囲っていたヴィラ。


そしてそもそも種族的に話好きかつ噂好きでありながら長いこと水瓶に押し込められ、その後クラスク市で救われてからも男だらけかつ異種族だらけの隠れ里でろくにおしゃべりできなかったシャル。


三人が三人とも同世代の同性との対話に飢えていたのである。

それは会話も弾もうというものだ。


「でもシャルは街の方で暮らしてるんでしょう? ヴィラのこと知らなかったみたいだし」

「見かけなかった! 村で見たことなかった!」

「まあそうねー。なんせ村にいても退屈だし? 街中散歩しながら時々こうして泳いでる方がまだ気が紛れるっていうかー」

「じゃあその、これまで街の子供たちと仲良くなったりとかは…」

「こんな内陸まで連れてこられた経緯が経緯だしねー。同世代の子と仲良くなったとして親に知られたりしたら面倒かなーとか思っちゃって」

「私たちは?」

「あんたたちは最初から正体知っちゃってたじゃん。それに隠れ里の住人と仲良くしてる子ならまあ大丈夫でしょ。あんた口堅そうだし」

「ああ……」


確かに王族として機密は決して漏らさぬ心構えで入るけれど、それを他人から評価されるのは少し嬉しい。

面と向かって言われたエィレは少しはにかんだ。


「あとはあれよ、この街そもそも同世代の子が少ないのよ! 全然見かけないもん!」

「そうなの!?」


シャルの嘆きにエィレが驚くが、それに関してはこの街の構造的な問題と言えるかもしれない。


クラスク市は生まれて数年の若い街である。

そして街の方針としてオーク族の伴侶になり得る女性を優先的に移住させようとする。

当然ながら独身が望ましい。


となると街が積極的に採用したいのは若い独身女性となる。

独身でありさえすれば未婚であろうと未亡人であろうと大した問題ではない。


彼女たちが街に移住してきたのが早くて数年前。

その後オークたちが上手く立ち回れたとして生まれたこともはまだ赤子か幼児である。


一方で街に無断で勝手に住みつき、なし崩し的に居住権を手にした者たちもいる。

そうした連中の多くは大人の男性である。


よそで暮らしが立ち行かなくなった喰い詰め者や、或いはこの街に大きな商機があると見て飛び込んできたヤマ師が多かったからだ。

そもそも女性でそういう立場の者は普通に移住希望してそのまま通ることが多かったということもある。


となると、この街には欠けている年齢層がある。

老人と、そして赤子から大人の間ののだ。


ゆえにシャルも適当な話し相手が上手く見つけられず、こういう他愛のないおしゃべりに飢えていた、というわけだ。


この街でオークと結ばれた娘たちが今出産ラッシュを迎えているが、オーク族の特性から生まれてくるのはほとんどオーク族の男子のはずだ。

そういう意味でもシャルが気兼ねなく話せる同性の相手はエィレ達以外当分枯渇することになるだろう。


さて雑談が一段落し一息ついたあたりで、エィレは最初に歌姫探しで彼女を見失った時から気になっていたことを尋ねてみた。


「そういえば昨日も今日もあたりに全然人の気配がないけれど、人払いのおまじないとかかけてるの?」


それは彼女にとって何に気もない一言で、単なる会話のネタというか、話題のひとつとして取り上げただけの質問だった。


「そんなんできたら苦労しないわよ。地上の相手に効果及ぼすのってあんまり得意じゃないのよねー。水の中に隠れて水の色と同色になってやりすごす呪文とかはあるわよ。まあさっきは間に合わなかったんだけどー」


シャルがジト目でヴィラを睨み、ヴィラが鼻息荒く得意げに肩をいからせた。


「ふ~ん……じゃあ昨日も今日もシャルの仕事場に人通りが全然ないのはそういう時間帯を選んでってこと?」

「まー確かにそういう時間を選んで仕事はしてるわね。閉ざされた水道管の中を見るためには水に浸からないといけないし、そうすると尾びれが出ちゃうからそれを人に見られるわけにはいかないしねー」


そこまで言いさして、シャルはわずかに眉をひそめた。


「そういえばつい長話しちゃったけど、人っ子一人通らないわね」

「ですよね。私街に来たばっかりなのでよくわかってないですけど、このあたりってそんなに人通り少ないものなんです?」

「ううん…確かにお仕事する時はなるべく人通りの少ない場所や少ない時間帯選んでるけど、それでもちょくちょく人が通って慌てて隠れること結構あるし。こんだけお喋りしてて誰も通らないのはなんか、変、ね……?」



シャルが最後まで言い終わらぬうちに、その『誰か』が現れた。



「あ……」

「え? なに? エィレ?」


エィレが素早く噴水のへりに座り込み、ヴィラの袖を引っ張り己の方に引き寄せて強引に腕を組んで同じように座らせた。

ヴィラは意味もわからず不思議そうに、だがされるがままにエィレとともに座り込んで彼女に(少し嬉しそうに)寄りかかる。


エィレはアパートの陰から唐突に現れた人物からシャルの姿を隠すためヴィラと己の身体を使って壁になったのだけれど、ヴィラにはそれがすぐに理解できなかったのだ。


二人の背後で小さくちゃぽんと音がする。

シャルが噴水の底に隠れた時に放った水音だ。


噴水に飛び込み全身浴している娘はだいぶ奇妙であり、目撃されれば不審に思われ近寄られその下半身が目撃されてしまう恐れがある。

そうなれば人魚族の悲劇が再びこの街で繰り返されてしまうかもしれない。


エィレとヴィラ以外に己の今の姿を見られたくなかったシャルはそれゆえ素早く隠れ、エィレは言われずともすぐにそれを察し咄嗟に協力した、というわけだ。


しばらくの間わけもわからず、だがエィレとくっつくこと自体に否のあろうはずのないヴィラは首をひねっていたが、これまで聞いた話と背後のシャルの行動から徐々に事情を理解が追いついて、遂に「あー!」と大声で納得の叫びを上げ…そうになってエィレに組んだ腕を引っ張られ慌てて口をつぐんだ。


その人物…アパートの影から現れたのは男だった。

人間族の男性である。


年のころは中年くらいで、顎髭を生やしている。

生え際はやや後退しているが、まあ年相応といったところだろうか。


見たところアパート裏の憩いの場に休憩にやってきた冴えない中年男性…といった風に見える。

そのはずだ。


そのはずなのだが……エィレは妙な違和感を感じた。


「………?」


ぴちょん、と背後からわずかに音がして、同時にエィレの右手指に何か冷たい感触が走る。

現在彼女は噴水のへりに座り込みながらヴィラと腕を組んでおり、残った右手を脇に置いて体を支えている状態だ。

その右手指が何者か…というかおそらく背後の噴水に隠れたシャルだろう…によって濡らされたのだ。


(ねえねえ、あいつなんか変じゃない?)


唐突に心の中に声が響いてびくりとその身を揺らす。

組んでいたヴィラの腕が震えて彼女にも同様の現象が起こっていることが推察されたので、また大声など出さぬように組んだ腕を引っ張って注意を促した。


「あ、うー…」


案の定大声で叫びだしそうだったヴィラは慌てて言葉を濁し言いつくろう。

そしてエィレと顔を見合わせて改めてその男の方に顔を向けた。


…確かに奇妙である。


まず人の気配が全くなかったこの広場に唐突に表れたことが不思議だ。

いやそれだけなら単なる偶然と片付けることもできるけれど、その男のが少々奇妙である。


まずこちらを見ていない。

広場にエィレとヴィラの二人が先客としているのだから一度くらいこちらに視線を向けそうなものなのだけれど一切そうした動きをしない。


歩いてきた正面を…誰もいないアパートの壁面をじいと見つめている。


その上体はやや前屈し、両手がだらんとたれ下がっている。

だのに顔だけは正面を向いていて、それでいてこちらには見向きもしないのだ。





その男はこちらを一瞥すらしていない。

にも関わらず、エィレとヴィラウアは明らかに自分たちが見られているのを感じた。


それも上から下まで、じっとりと。

まるでねぶるような視線で観察されているような気がするのだ。



一体何者だろう。

あの男は何者なのだろう。




警戒と猜疑と怯えの入り混じった少女たちの視線を一身に浴びた…





その男の顔が、ぐりん、と急角度でエィレたちの方を向いた。





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