第653話 人魚族の生態
「ということはこの街に助けられて…?」
「そゆこと」
エィレの問いに片手をひらひらさせながらシャルが応える。
「なんか門のとこに術が仕込んであってさー、番兵の質問に嘘ついたやつがわかる的な…? それでわたしを隠してるのがバレちゃって、瞬く間にオーク兵たちに取り囲まれてお縄! ってカンジ」
「へー! へー! へー!」
エィレが外交官として大門をくぐった時はありきたりの質問しかされなかった気がするしけれど、どうやらその裏には思った以上に厳しいセキュリティが引かれていたらしい。
エィレは感心しきりでしきりに唸っていたけれど、外交官という彼女の立場上感心するよりむしろこの街の在り方に警戒すべきなのでは、という点についてはとりあえず置いておく。
「でまあ信用できそうな海上貿易する行商人を待ちながらこの街にしばらく滞在するってことでルミクニに匿われてたんだけど、これがなかなか来なくってねー。でヒマなら水道事業を手伝ってくれってミエに頼まれて、まあ旅費稼ぎには悪くないかなってこうして街で仕事してたワケ。ミエとクラスクは旅費くらいこっちで出すって言ってたけど、別にこの街にさらわれたわけでもないのにそこまで世話になるのもねー」
「おー、シャルりっぱ!」」
瞳を輝かせてヴィラウアが感心する。
「そよー、立派よー、崇め奉りなさい」
「へへー!」
「素直すぎるでしょアンタは!!」
言われるがままに平伏するヴィラウアにシャルが幾度目かのツッコミを入れた。
「ええっと…水道事業を?」
エィレはシャルの言葉がいまいちピンと来なくて追加で質問する。
「そよー。人魚族は水の精霊と親和性高いからね。こうして水に漬かってれば地下の水道管の中の水の流れとか全部わかるし。あとは水流操で下水の浄水層の沈殿物とかもちょちょいのちょいって」
「ああ……!」
それでようやく得心がいってエィレは手を叩いた。
「やっぱり! ってことは街で噂の謎の歌姫の貴女なのね!」
「あー…そうね。そうなるかしら。そういえば人魚族が水の精霊に語り掛けてるとき他の種族には歌ってるように聞こえるって言われたわ気がする」
「なるほど……」
エィレの頭の中で何かがぴたりとはまり、すべてがつながった。
つまりシャルは人魚族で、謎の歌姫だったのだ。
謎の歌声は彼女が水の精霊に語りかけ各地の水道管の様子を覗いていた時のもので、その力は水に触れていないと使えない。
だから誰かが近づいてきたら彼女はいつでも水の中に隠れ潜むことができて、そのおかげで今まで正体不明だったわけだ。
それで遅まきながらエィレは先程の己の妙な直観の理由も理解できた。
きっと心のどこかで謎の歌姫と謎の緑髪の美少女を同一人物ではないかと疑って、先日見失ったのと同じような場所に向かったのではと推測し、水路の流れから北を選んだのだ。
結果として先日と同じような場所に到着し、そして見事彼女を発見できた、というわけである。
だからもしかしたら、先日謎の歌姫を追いかけて見失ったと思った時も、案外彼女は噴水や堀の内に隠れ潜んでいたのかもしれない。
「シャル、貴女街で噂になってるわよ。正体不明の謎の歌声って」
「あー知ってる知ってる。ユーから聞いてるわ。別にいいんじゃない? 街にはそうしたゴシップも必要よ」
「ふふっ、自分で言う?」
「なによー」
くすくすと笑いだすエィレにどこか不服そうにシャルが頬を膨らませた。
「気になる気になる! わたしも聞きたいことある!」
「なーに巨人娘」
「ヴィラ! ヴィラウアだからヴィラ!」」
「じゃあそのヴィラ」
ややぞんざいに受け答えるシャルだが、ヴィラウア…ヴィラは一向に気にしない。
そうした皮肉交じりの言動を気にかけられるほどにまだ社交性自体が育っていないのだ。
「あし! さっきまで足で歩いてた! 今おさかな! どうして?」
「おさかな、じゃなくてヒレね、尾びれ!」
「尾びれ!」
ぴしゃんと尾びれで水面を打ち鳴らし、シャルがため息を吐く。
「人魚族の尾びれは乾かすと人間族みたいに足に変化するのよ」
「「へー」」
「で水をそこそこ……そうね、手桶一杯くらい? 足に浴びるとこうして尾びれに戻るってワケ。水に漬ければ一発だけどねー」
「「おおー」」
エィレとヴィラウアが瞳を輝かせてシャルの言葉に聞き入る。
「ってアンタもそっちの反応なのエィレ」
「うん。人魚族のこと自体は聞いたことあるけど、そういった細かい特性は聞かされてない。そもそも詳しく知るほど交流なかったっぽいし」
「まあそりゃねー。基本人間族との交流なんて全部拒絶してきたし」
「なんで!? なんで!?」
「いろいろあったのよ、いろいろ」
「いろいろ!」
ヴィラの疑問を適当にあしらうシャル。
真面目に語るとだいぶ暗めの話になるからだろうし、単純無比なヴィラに下手に人間族の醜さを教え込んだら妙なことになりかねない。
おそらくそのあたりを懸念して適当にぼかしたのだろう。
エィレにはそんな風に聞こえた。
「じゃあ自分の意志じゃないんだ」
「そうね。水の精霊を使って地上で自発的に人魚の姿に戻ることもできるけどまあまずやらないし」
「そっか…人魚本来の姿に戻る時って基本水辺だもんね」
「そゆこと」
それならば確かに人魚の姿に戻るときは単に水に飛び込めばいい算段である。
近くに水場がないのに人魚の姿に戻れば移動も困難になるしまずやる意味がない。
単に奴隷商に捕まえてくださいとアピールしているようなものだ。
「なら不意に水を浴びちゃっても…」
エィレの言葉にシャルは露骨に眉をしかめた。
「あー、なるわね。特ににわか雨とかに降られると致命的」
「あー……」
「まあ雨の勢いによるけどね。多少当たったくらいなら平気だし」
「あー、だからロングスカート…あれ雨よけだったんだ」
「そそ。鋭いわね」
シャルが感心したように目を細める。
「今は…あれ? そういえばさっきのスカートはどうしたの?」
「ああ、それは足がヒレに変化するときに一緒に取り込まれて消えちゃうの。姿を変える魔術とかと一緒ね」
「「へえええええええええ!」」
例えば人間族の魔導士が魔術によって鳥の姿に変身したとき、纏っていたローブや手にした,杖など、身に着けているもので変身後の姿に取り込まれて消えてしまう。
そして変身を解除するとそれらの装備ごと一緒に戻るのだ。
これが猿に変身するのであれば、杖などは手にしたまま残っているかもしれない。
変身後の姿でも扱える場合は装備もそのまま残るのである。
人魚の場合下半身のみだがそうした魔術的な変身と同じ効果を発揮させるため、人魚の尾びれに合わぬ下半身の装備…スカートなど…は変身時に取り込まれて消えてしまうわけだ。
「もうひとついい?」
「いいわよ。今日の仕事はもう終わってるし」
「人魚って海が生息域って聞いたけど…ここのお堀は淡水だよね?」
「淡水にすんでる人魚もいるわよー。人間族と交流全然ないだろうから知らないかもだけど」
「そうなの?!」
「そーなの。あと別に淡水に住んでるから別種ってわけでもないわよ。わたしたちは淡水にも海水にも適応できるってだけ。まあ汽水域でしばらく体を慣らす必要があるけどねー」
「「へえええええええええええええ!!」」
汽水域とは海水と淡水が入り混じる場所…川の河口部などのことだ。
川で生まれ海に戻ってくる魚……鮭なども、川から海に、そして海から川に向かう際にこうした汽水域で体を慣らしてから超えてゆく。
人魚族も同じことができる、というわけだ。
初めて会った人魚族。
物珍しさだけでなく話も面白い。
三人はまるで昨日今日あったとは思えないほど話し込んだ。
まるで話が尽きることなどないように
その間……誰一人その場には通りがからなかった。
そう、なぜか誰一人通りがかかることはなかったのだ。
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