第649話 新たな風の担い手たち
「というか…よく見たらこれって……!」
街の中心部…上街の店の看板を見ながらエィレは目を丸くする。
「どうしの? じゃなかった、どうしたの」
「ええっとお城…じゃなくって…私王都に住んでたんだけどね?」
「おうと!」
ぽくぽくぽく…
腕を組んでヴィラウアが頭から蒸気を噴き出しながら考え込んで…
ちーん。
「おっききなまち!」
「うーん、まあ、合ってるかな?」
厳密には一番規模が大きいのは商業都市ツォモーペだが大意は間違っていない。
「いちばんえらいまち!」
「うん! そう! そう!」
それはまあ間違っていないはず。
エィレは大いに頷いた。
「…そういえばえらいって、なに?」
「え…?」
首を傾げたヴィラウアの唐突な問いにエィレは一瞬言葉に詰まった。
偉い…単純に答えるなら『地位や身分が高いこと』だろうか。
だがヴィラウアがそんな疑問を持つ以上、彼女の元の生活はかなり素朴なもので、おそらく『地位』や『身分』に類するものがほとんど存在しなかったのだろう。
王室の家庭教師の教えが正しいとするならば巨人族は小さな集落で生活を営み師、それぞれの集団が糾合する事などまず発生しないという。
つまり彼らには『国』がない。
国がなければ王もなく、王と貴族たちの上下関係や契約関係も生まれない。
村の中だけで完結しているのなら、そして貨幣経済に浴していないなら、そもそも持つ者と持たざる者自体が発生せず、そうした意味での上下関係も生まれない可能性がある。
親は子供より立場が上だ。
少なくとも子供が大きくなるまでの間は、だが。
村を治める長がいるとしたらその人物も他の者より立場は上だろう。
だがそれ自体を理由にその人物が専横や身勝手をしていいという理由にはならないはずだ。
とするならそれは果たして『偉い』のか?
立場が上であることは『偉さ』なのか?
当たり前のように権力構造の上位に組み込まれていたエィレは、自らそんな根源的な疑念に突き当たって言葉に窮した。
「ええっと…そのー…ルミクニ、だっけ? ヴィラの隠れ里」
「そう!」
「そこに村長さんはいる?」
「いる! ユーアレニル!」
「その人……ヒトかな? がまあ…えらい、んじゃないかな…?」
「おおー」
ぽむ、と手を打つヴィラウア。
「ユーアレニルみたいなの、えらい?」
「うん。あとはそのー、ここの太守のクラスク様とか第一夫人のミエさんとかがー、えらい、かなー」
エィレの言葉にびしり、とヴィラウアが固まる。
「ミエサマ…えらい?」
「それは…まあ。太守夫人だし」
太守が偉いと付随する親族家族も偉いのだろうか、などと先刻から偉さの定義について真面目に考え込むエィレだったが、少なくともミエに関しては間違いないと確信していた。
彼女の理性と知性は十二分以上に敬意を払うに値すると思うからだ。
「? どうしたの?」
「村長もミエサマもえらいなら…えらいは、ちょっと、こわい」
「?」
妙な言い回しをされた気が、する。
ミエは怖いだろうか。
少なくともエィレは彼女に対しそうした感情を一切覚えたことはない。
まあとは言っても初めて邂逅して以降これまで数度しか会っていないし、(エィレの認識では)会ってからたった数日なのでエィレに知らぬ側面があるのかもしれないけれど。
少なくともエィレは彼女にそうした恐怖を感じるような側面はないと信じていた。
「…えらい、わかった。で、エィレ、そのえらいまちでどうしたの?」
「あーそうそう! その王都で最近流行してるものがあって…」
「りゅうこう!」
ヴィラウラが瞳を輝かせた。
彼女が好む衣服には単なる『カワイイ』だけではない。
『流行』というものがあると教わっていたからだ。
流行…
つまり同じ服でも時期や季節やその時々によって何がよりいいものかが変わるというのである。
ヴィラウアには正直それがよくわからない。
『カワイイ』ものはいつだって『カワイイ』ではないか。
それでは駄目なのだろうか、と思っている。
だが
学びたい。
それがネカターエルの、いやミエサマの言っていたという『相互理解』に繋がると思うから。
「そそ、流行。それがねー、さっきのエッゴティラさんの服もそうなんだけどー…」
そう呟きながらエィレはぐるりと通りを見渡す。
そこは上街の中央通り、噴水のほど近く、その西側の主街道。
道には馬車が行き交い、買い物に観光にと雑踏が群れを成していた。
そしてその道の左右には多くに店が軒を連ねている。
服屋、靴屋、化粧品店、家具屋、花屋、珍しいところでは模型品店。
八百屋、果物屋、肉屋、酒屋、土産物屋、それに漬物屋。
カフェ、レストラン、そして菓子屋さんにケーキ屋さん。
王都ですら見かけない珍しい店もあるし、王都と同じ店種だが並んでいるラインナップがまるで違う店もある。
具体的に言うと商品の値段がだいぶ違う気がする。
ともあれ驚くほどに多種の店が並んでいた。
まさに字の如く軒を連ねているのだ。
ただエィレにはなんでも揃っているように見えるその商店街だが、以前と比べると姿を消した、あるいは減らした店もある。
例えば金物屋や鍛冶屋は下クラスク北の小鍛冶街や大鍛冶街に移ったし、当時この通りを席巻していた屋台たちもその数を減らしている。
これは通りの通行が増え過ぎて屋台が邪魔になってしまい、上街の屋台の数が制限されたことによりその多くが中街や下街へと散った事、また屋台によって十分儲けた者達が店を構えカフェやレストランを経営するようになったことなどが主な要因である。
ともあれ以前に比べ多くのラインナップの店が並ぶようになったその大通りは、大層な賑わいを見せていた。
そしてその店に、エィレは見覚えがあったのだ。
「あれ…ホロル家具! 王都でも人気のやつ!」
「にんき! ほろる家具しってる! おしゃれなやつ!」
興奮して鼻息を荒くしたヴィラウアが、けれどすぐにすん…と寂しそうに斜め下を向いた。
「おしゃれだけどわたしのふくおっきすぎてはいらない…」
「それからあれ!
「おおー、だいぎょうれつ!!」
それらはいずれも王都で『今まで見られなかった女性的なセンスで…』のような評価を受けていた品々だった。
エィレの頭が高速で回転してゆく。
クラスク市。
襲撃に寄らずオーク達が配偶者を得るために造られた街。
そのため女性を多く招く必要があって、女性に対する多く優遇政策が取られている。
それはこの街の法律を実際調べた上での結論なので間違いない。
おそらくこの街が求めた『女性』には区別はなかったのだろう。
つまり女性であれば誰でもよかった。
だが実際に訪れた女性達にはきっと偏りがあったのだ。
エィレは王都の商人や職人たちを思い出した。
確か商工
だがそうした
今までエィレはそれをあまり疑問に思ったことはなかった。
『そういうものだ』と思っていたからだ。
だがこの街に来て、そしてこの商店街を改めて見て今更そのおかしさに気づく。
女性の商人は、そして女性の職人はどうしたのだろう、と。
この街にはそれがいる。
当たり前のように働いている。
先ほど挙げた職人たちだけではない。
この繁華街の店々で、元気そうに働いている者の多くが女性である。
商売人たちもまた女性達が多くを占めているのである。
きっと既存の街で
そしてそれが今や衣食関係で新風となっている『女性的な文化』の担い手として花開いているのだ。
エィレはぞくりとした。
女性蔑視の代名詞だったオーク族の庇護の下、女性の職人たちが、商人たちが生き生きと働いている。
この街が発信しているものは、想像以上にとんでもないのでは。
そんな想いが、彼女の内に広がっていった。
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