第648話 女性職人
そうしてエィレとヴィラの二人は街へと繰り出した。
当座の目的地は街の中心部である上街。
服飾職人エッゴティラの店である。
「まあまあいらっしゃい! この前の注文上がってますよ」
女店主が自ら出迎えて誂えた服を見せる。
ただし巨人族のサイズのためにとても大きい。
目をぱちくりさせたエィレはヴィラウアの方に振り向いた。
「このおみせわたしの正体しってる。わたしたちの村まで服のさいすん? にきてくれる」
「へー!」
街の中にも
エィレは少し驚きの目でそのふくよかな女性を見つめた。
「まあ行ったは行ったんだけど私は今こんなだから採寸自体は弟子…ああ亭主にやらせたんだけどね。悪いねえ私が測ってあげられなくって」
「だいじょうぶ! だい! じょう! ぶ!!」
ヴィラウアが両腕をぶんぶん振って気にしていない旨を伝える。
もし彼女が元のサイズだったらその振り回した腕で店が壊滅していたかもしれないと考えると、変化の呪文は見事に用を果たしていると言えよう。
ちなみにぽんぽん、とエッゴティラが叩いた彼女の腹部は大きく膨らんでいた。
どうやら妊娠中のようだ。
店の奥、仕事場では一人の男が服の仕立てをしている。
大柄な人物で、袖から見える腕の色が緑がかっていた。
オーク族の特徴である。
とすれば彼がエッゴティラの弟子…そして彼女の夫、ということになるのだろうか。
そのオークはまったく口をきかず、ただ黙々と針を動かしている。
その運針には迷いがなく、見る者が見れば相当の場数をこなしていることがわかるだろう。
「ほんとにねえ…この街に来た時はオークなんて適当にあしらうつもりだったんだけどねえ」
嘆息しながら肩をすくめるエッゴティラ。
彼女は女性ゆえに他の街の職工
女性を優遇するという噂を聞きつけてのことだ。
クラスク村への最初期の移住希望者の一人である。
この村へ移住する際彼女は村の目的をはっきりと伝えられている。
オークの配偶者を求めるために造られた村だ、と。
だが同時にこうも言われた。
この村のオーク達は村長クラスクがしっかり言い聞かせてあるので決して暴力を以て女性には迫らない。
強引な手も使わせないし、脅させたりもしない。
もしそんなことを欠片でも感じたのなら村長に知らせてほしい、と 。
「貴女が彼らの手を取ることがあるとしたら、ただ貴女の自由意思あるのみです」
そう、村長夫人に言われたのだ。
それならば何も問題はない。
全員やんわりと拒絶すればいいだけのこと。
自分はただ差別されることなく職人として腕を振るいたいだけなのだから…と。
当時エッゴティラはそう思っていた。
実際最初の内彼女はオーク達のことは軽くあしらっていた。
だが村の住人の多くがオーク族である以上、彼らを顧客として扱わざるを得ない。
エッゴティラ目当てに服を買い漁るオークどもはいいカモ…もといお得意様であったが、お洒落を何も知らなかったオーク達がだんだんと彼女の仕立てた服を着こなしてゆくのはなかなかに快味だったし、オーク達の流儀に合った流行が生まれたりするのもなかなか興味深かった。
いわば彼女はオーク達の流行の最先端にいたわけだ。
そんな中、彼女に弟子入りを希望するオークどもが現れる。
もちろんエッゴティラ自身が目当ての連中だ。
彼女は自分の仕事に誇りを持っていたし、そうした下心丸出しの連中など願い下げだったので、己の師もかくやという厳しい指導を行って皆追い出してしまった。
だが…一人だけ。
たった一人だけ、彼女のしごきに耐えて店に居残ったオークがいた。
彼は寡黙で、エッゴティラが目当てであると明言はしたけれど、それはそれとして服の仕立て自体にも強い興味があるようだった。
黙々と針を動かす服飾職人独特の空気感も彼の好むところだったようだ。
そのまま弟子として居座った彼はぼそりぼそりと朴訥にエッゴティラに運針やボタン付けなどの様々な技術を尋ね、エッゴティラもまた真面目に応じた。
まだ早い。
生意気だ。
女のくせに。
これらはエッゴティラ自身がかつて散々言われてきた文句である。
下心だけで弟子入りしようとする不心得者共はいざ知らず、そのオークは真面目に技術を学ばんとする若者だった。
かつて彼女が受け続けてきたいわれのない非難を、彼女自身が彼に与えるわけにはいかなかったのだ。
そうしてそのオーク…ウクルキックは、エッゴティラについて仕事先の家々を訪問し、彼女の手伝いをするようになり、やがて…
「…やがてこんなになっちまってねえ。なにやってんのかしらねえ、私」
「「へええ……!」」
エッゴティラの独白にエィレとヴィラウアはただただ感心した。
まさにこの街はオーク族が配偶者を得るための街なのだ。
それを痛感する。
だが同時に彼らオーク達は女心を手にしようとかなり真剣に挑んでいるようである。
全員が全員そうとは限らないが、少なくともエッゴティラの亭主に収まったオークはかなり朴訥かつ誠実に彼女を射止めたのだ。
「…うん?」
と、その時エィレは妙な既視感を覚えた。
服の一部に縫い付けられている何かが妙に気になったのだ。
「これは…?」
「ああロゴだよロゴ。ロゴマーク。うちの店の品にはみんなついてるよ」
「へえ…」
店主の頭文字をあしらって美しい紋章のように仕立てている。
小さなものだが簡単には真似できない高い技術力を感じた。
これがあって服の価値を高める事はあっても、決しておとしめることはないだろう。
「でもこれお城…じゃなかった王都でみかけたような…?」
「ああ! 都でも何人か御贔屓にされてる方がいるね。最初の一着は既製のドレスで、それ以降は向こうで体のサイズ測って送ってもらってるけど。うちの街が喧嘩してなけりゃ直接出向いて採寸したいとこなんだけどねえ」
なぞと言いつつ手をひらひらと振りながら笑う店主エッゴティラ。
エィレは確かに王都でそのロゴを見たことがあった。
それも姉の私室で。
エィレのふたつ上の姉トゥヴァッソはファッションに煩く、流行に敏感の娘だった。
そんな彼女のお気に入りの一着にこのロゴが縫い付けられていた気がする。
すっかり思い出した。
そうだ、確か姉はその服を自慢げに見せながらこう語っていた。
『女性的な感性が活きた素晴らしい一着よ!』と。
この世界では職人と言えば男の仕事、といった風潮がある。
ゆえに男性服だろうと女性服だろうと、作るのは常に男の役割だった。
それを着る女性の側にも文句はなかった。
服の選択肢が他になかったからだ。
つまり衣服というのはそういうものだと思い込んでいたわけである。
だがそこに新星が現れた。
いや殴り込みをかけてきた。
クラスク市の女性服飾職人、エッゴティラの仕立てた服だ。
男の仕立てる服とは明らかに路線の異なるデザイン。
それを初めて見た他の職人…男の職人たちは鼻で笑った。
こんなちゃちな服が受けるはずがないと。
けれど…その服が女性相手に大層受けた。
彼女は己の服を女の感性で縫製する。
ゆえに優雅で、美しく、それでいて男の服にはない華やかさがあった。
また女には女にしかわからぬこだわりや悩みがある。
どこに何が当たる、ここが衣擦れして痛い、月のものはどう処理したらいいのか、等々だ。
これは男性にはわからない。
無論話を聞いて対処する事はできるけれど、彼らの身体は女のそれではない。
耳で聞き、或いは羊皮紙に記した内容を再現するのと、己自身がそれを体験していて最善を模索するのとでは針の運びも工夫の余地もまるで違う。
そうしたところも含めてエッゴティラの仕立てた服やドレスはそれを着た女性達に大人気を博したのだ。
今はまだ一部の女性たちだけがその特権に酔っている。
けれど彼女たちはやがて夜会の席で自慢げに周囲の貴婦人に広めてゆくだろう。
女性らしい配慮の効いた、それでいてきらびやかな、男に見せるだけではない、女自身が愉しめる服のことを。
エッゴティラの店がてんてこ舞いになるのはそう遠い話ではない。
そして…それは職人世界が男のものだという風潮を打ち壊す小さな…けれどとても大きな一打になるに違いないのだ。
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