第639話 閑話休題~リベンジマッチ~

仕事を終えて街を出て、村へと帰る。


リーパグが跨っているのは白馬である。

同じくクラスク市から花のクラスク村へと観光に訪れようとしていた定期馬車が彼の横を通り過ぎ、その姿に目を瞠った。


オーク族の中ではかなり小柄な方であるリーパグだが、それでも身の丈は6フース(約180cm)ほどはあり、オークとしては貧弱なその体躯も他種族からすればかなりの偉丈夫に映る。

ゆえに軍隊などと異なりこうして単騎にて誰とも比較されぬで見る限りは、彼の姿はなかなかに勇壮に映るようだ。

まあその背後に広がっているのは牧歌的なチェック柄の畑なのだけれど。


リーパグは己に向けられた視線に悪いものが含まれていなことをちゃんと意識しており、内心ほくそ笑みながらすました顔で手を挙げて挨拶をする。

上品なオーク族などついぞ見た事のない観光客たちが馬車の中から嘆声を上げ、リーパグをますます調子づかせた。


とはいえそれで表情をだらしなく崩したりはしない。

彼に限らずこの街のオークどもはここ数年で表面を取り繕う術を急速に身に着けていたからだ。


なにせあけっぴろげであけすけな男は他種族の女にモテぬ。

オークの本音を隠せぬ者はいつまで経っても独身のままなことが多く、それゆえに彼らは急速に社交性を身に着けつつあった。


以前はそういう欲望や欲情をだだ洩らしにするオークであっても武力によって無理矢理女を略奪することができたけれど、襲撃と略奪が禁じられたこのクラスク市に於いてはそういう態度はもはや通用しない。

女側にがあるからだ。

ゆえにオーク達は女性に対し時に優しく、時に頼もしくエスコートそするようにして、彼女たちの歓心を買う技術を身に着けるようになったのだ。


ちなみに彼の跨っている馬の名はウウィキヴシ。

オーク語で『非常食』を意味する名で、この街のオーク騎馬隊の創初期のメンバーに名を連ねている古参の馬だ。


ただしウウィキヴシは他の馬に比べてだいぶ小柄だった。

並のオークを乗せて走ることはできても、鎧を着た重武装のオークを乗せたまま突撃するにはいささかパワーが足りなかったのだ。


ゆえに騎馬隊の質が上がるにつれてこの馬は出番を失い、他国から馬を輸入し騎馬隊が大幅に増員された際、遂に正規の騎馬隊から外れてしまった。

その後ウウィキヴシは花のクラスク村に残り、その大人しい性格から新兵の乗馬訓練や無料乗馬会などを受け持ち戦火と無関係の生活を送っていた。


リーパグはそもそも馬が苦手である。

騎馬隊の行軍なども苦手である。

騎乗自体が下手な事もあるし他の仲間と比べて矮小な彼の体躯がひと際目立ってしまうというのもある。


だが今彼が用いている道中…クラスク市からクラスク村までは少々離れており、歩いて行けない距離ではないが多忙な彼の身では少々時間がもったいない。

かといって馬車を利用すると大概観光客と同席になってしまうためそれも憚られた。


村を訪れる者達にはなるべく嫌な印象を持たせぬこと。

どんなに気を付けいてもオーク族はがさつであり、無自覚に相手を威圧したり嫌悪感を抱かせてしまうことがないとも言い切れない。

ゆえに用があるとき以外は不用意に近づかぬよう、と彼は心がけていた。

外面に比べて存外気の回るオークなのだ。


では他の交通手段はというとそれがなかなかない。

妻の発明した蒸気自動車が福音になるかと思ったがこちらはメンテ担当がいないと危なくて他人に預けられぬ実験段階だといい、シャミルが同乗していないと運転させてもらえない。


…よくよく考えてみればこれはおそらくこの世界で初めての夫婦でのドライブになるのだろうが、当人たちにそうした自覚は一切ない。

まあそもそも生物動力もなしに自走する非魔法乗用物自体がこの世界で初めてなのかもしれないけれど。


その他にも妻のシャミルが様々な発明(失敗)をしており、その中では板に車輪を取り付けた乗り物をリーパグは特に気に入っていた。

ミエの世界で言えば動力付きのキックボードやスケボーなどのようなものだろうか。


これらは実験走行では悪くない成績を上げたものの実際に外を走らせてみるとあまり乗り心地が悪すぎてお蔵入りとなった。

石や砂利で飛び跳ねる路面状態で二輪はあまりにバランスが悪すぎるし、足に負担が大きすぎるのだ。


ゆえに代替案としてリーパグは大人しめの非常食ウウィキヴシを借りてこうして街を往復しているわけである。


「道ガモット平ラナラナー」


などと道路の舗装の概念について真剣に考えるリーパグ。

なかなかの先見性と言えるだろう。

ただ気候的にゴムが育たぬ…というかそもそもゴムノキがあるのかすら定かでないこの世界では車輪からタイヤへの発想自体がなく、空気入りゴムタイヤなど完全に想像の範疇外なのは致し方ないところだろうか。


リーパグは果樹園と花畑を通り過ぎそのまま村へと入る。

彼的には花の美しさはあまり興味の範疇ではないようだ。

花かもたらす染料や蓄熱池、そしてそれらの経済効果については興味津々ではあるが。


非常食ウウィキヴシを牧場に放して自宅へと帰る。


増改築が繰り返された彼の家は村で一、二を争う大きさになっていた。


「帰ッタゼー…?」


扉を開けた途端響いてきたには妙な音だった。

ウイイイイイイイイイインというおよそ聞いたことのない甲高い音である。


「おお、帰ったかリーパグや」


音のする方に向かってみれば案の定シャミルの研究室。

中では彼女が手にしたものをボウルの中に突っ込んで先ほどの音を出していた。


「ナンダソリャ」


シャミルが手にしているのは持ち手がついているやや大き目な方形の箱で、その横に蓄熱池が取り付けられている。

そしてその下部から何かが伸びていて回転を続けていた。

どうやら先ほどの音はその何かの回転時に発せられていたもののようだ。


「うむよく聞いた。お主は手回し式遠心分離機グローエン・トヴェルシルの事を覚えておるか」

「知ッテルヨ。サッキモ横通ッタケド結構並ンデタゼ」


遠心分離機はシャミルが作成した大型の器械で牛乳からクリームを生成できるものだ。

それ以前はすべて手作業でやらなければならずひたすらに手間がかかった生クリームづくりがこの製品の普及と共に一気に楽になり街中のスイーツで使われるようになった。


かつては手間がかかりすぎて王侯貴族のみが愉しめる存在だった生クリームは、 この街に於いては今や庶民が手軽に味わるものにまで堕している。

そしてクリームの美味さを知った庶民がますますスイーツの需要を高めることとなった。

まさに潜在需要の掘り起こしに成功した好例と言えるだろう。


「そうじゃ。その撹拌機じゃが人気がありすぎて業者しか利用できておらんようじゃからな。こう庶民がクリームを自作できるおうにならんかなと」

「ソレジャーソレハ…」

「うむ。蓄熱池を動力に下にあるこの攪拌棒を回し材料を泡立てる器具じゃ。さしづめ携帯自動撹拌機フェムゥナクソルと言ったところかのう」


ふふんと自慢げに説明するシャミルをどこか警戒するような目つきで見つめるリーパグ。


「ココニモ化物ガイタカ」

「なんじゃ喧嘩売っとるんか」

「褒メテンダヨ」

「おお成程。脅威に感じるほど才能があるというニュアンスじゃったか。オーク語は乱暴が言い回しが多いゆえ誤解してしもうた」

「悪イ意味デモ言ッテルガナ」

「なんじゃとー」


拳を振り上げつつ怒ったような口調となるが声からは怒気を感じない。

だからこの二人にとってはこの掛け合いのようなやり取りが『いつも通り』なのかもしれなかった。


「ふっふっふ、この撹拌機を次の会合にもってゆけばアーリが飛びつくじゃろうな。それまでにせめて七分程度は完成させんと」

「ミエノアネゴダッタラ『マア全自動撹拌機デスネ!』トカ素デ言ッテキソウダケドナー」


つい呟いたその台詞にリーパグ自身がハッとして、すぐに目の玉を剥いたシャミルと顔を見合わせる。


「「ありえる!」」


二人が声を合わせ叫び、占術に寄らぬ次回会合における未来予知を成し遂げた。


「ところで今日ものかの」

「当タリメーダロ今日コソ勝ーツ!」


その後二人でハンドミキサーの改良点などについて話し合った後、シャミルが当たり前のように尋ね、リーパグが当たり前のように応じた。


「やれやれ、懲りん奴じゃのう」


そう言いながら上着のボタンを一つずつ外してゆくシャミル。


「今日ノ俺ハ一味違ウゼ! 甘クミネーコトダナ!」


そう叫びながら勢いよく上着を脱ぎ棄てるリーパグ。


「やれやれ、雰囲気作りもなっておらん。なにもベッドの上だけが戦場ではないぞ」


そう呟きながらしゅるりと上着を床に落とし、ネグリジェ姿になるシャミル。


「ウルセー今日コソヒィヒィイワセテヤルワ!」



そう言いながら二人は寝室へと消えて…

そして、翌朝。



「確かにヒィヒィは言うとったの。お主がじゃが」


窓から差し込む朝陽に照らされた寝室で、床に落とした上着を洗濯篭に放り込みながら、シャワー室に向かわんとタオルを肩にかけたシャミルの背後…寝室のベッドの上で、リーパグがすっかり干からびていた。


「フム。豪語する程度には『一味』違っとったがのう。何か変なものでも食ったか? 強壮効果ごときでどうにかなると思ったのなら呆れた浅はかさじゃ」


口元をハンカチで拭いながら部屋を出るシャミル。

ベッドの上でぴくりとも動かぬ全裸のリーパグ。





…どうやら夫婦の夜の力関係は、昔からあまり変わっていないらしい。




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