第637話 閑話休題~水道工事~

「ココヲコウヤッテ…コウダ」

「わあー…!」


蛇口をひねって流し台に水を出し、蛇口を締めて水を止める。

『水道』の完成である。


四階建てのマンションの四階の角部屋でその工事を終えたリーパグは、目の前でそこの住人、人間族の娘に水道の実演をしてみせ、彼女を驚かせる。


「外ノ水道ハモウ使ッタコトアルダロ。アレト同ジダ」

「なるほどー…」


感心しきりな女性の前で少しカッコよく見える角度についてしばし模索したリーパグは、だが彼女の興味が水道にしかないことに気づくと小さくため息をついてその横を通り抜けた。


「ジャア風呂場ノ工事モシチマウゾ。水道ノ使イ方ハヤッテ覚エロ。水道代ッテノヲ忘レンナ!」

「は、はい!」


リーパグが消えるとその娘はぱたぱた、と流し台の前に駆けよって「へー」とか「わー」とか嘆声を上げながら台所に備え付けられた水道の使い心地を確かめはじめた。

なにせわざわざ水を汲みに行く必要もなく家の中で蛇口をひねるだけで水を使い放題というのはこの世界の住人にとっては斬新すぎかつ便利すぎるのだ。

こういう反応になるのも当然と言えば当然だろう。


水道自体は別にクラスク市のオリジナルではない。

水の流れを作り導水された流路、或いはそこから水を引く事を水道と呼ぶのであれば、水の豊富な地方であれば結構な頻度で導入されている。


ただしそれは水路を掘って川の水を街中に導く、といった程度のものであって、大きく三つの問題がある。

一つ目は高低差以外で水流を制御できないため高層階に水を運べないこと。

二つ目は浄水装置がなく川の水をそのまま利用せざるを得ないため衛生面に問題を抱えている事。

そして三つ目に上水と下水の区別をつけていないため汚水や生活排水などが飲用の水を摂取する水路にそのまま垂れ流されてしまうことだ。


水には浄化作用があり、大抵の汚物は水に流しておけばいずれ浄化される。

ただし人型生物フェインミューブが都市などを建造した場合は話が別だ。


増えた人口の分排出する汚水が増えて、川の浄化作用を容易く上回ってしまうのである。

そのため水を安全に利用しようとすると完全とまではゆかずとも少なくとも水をある程度奇麗にしておく必要があるのだ。


下水処理が発達したミエの世界でも根本的な考え方は変わらない。

浄水処理を行った『かなり奇麗になった水』を川に戻すのもその思想からである。

なるたけ汚れを取った後、残りは川に任せる、というスタンスなのだ。


一方でこの街で今…太守クラスクが王都へと発った後、未だ王都から戻らぬこの時期…敷設工事が行われているこの街の水道は、飲料前の浄水処理と排水後の下水処理施設を備えており、上水道と下水道に分けられさらに地下を流れるため不純物が混じる心配もない、という優れものだ。


一部魔法技術が過度に発達した国が魔術によって似たようなことを実現しているものを除けば、他地域ではあと数世紀は実現しないであろう技術である。


だがだからといって別にクラスク市の技術力が他国より極端に発達しているわけではない。

いや一部の蓄熱池やそこから派生する技術どもは流石に相当な技術革新ではあるけれど、その他の部分はだいたいこの世界この時代の技術で賄っている。



ただし…クラスク市は他の国と異なり複数の種族の技術を合体できる。



たとえば水道を実現させるために複数の種族の力を借りている事は以前に述べた。

パイプを製作するためのドワーフ族の金属鋳造技術。

メッキを施すためのノーム族の錬金術。

長期間の仕様に耐えるための天翼族ユームズの奇跡の力。

そして高層階に水を組み上げる機構や浄化施設の沈殿槽などにはエルフ族による水の精霊魔術の力が使われている。


総体で言えばなんでもそつなくこなせる人間族がもっとも発展している。

だが現在の人間族の技術や魔術では簡単に手の届かぬ領域を、各種族は有していた。


有してはいた…が、それらの技術魔術は個々の種族が自領で用いるのみで、決して糾合されることはなかった。

人間族以外の種族は人間族とあまり仲が良くないことが多く、また人間族相手以外の他種族同士であっても、これまた仲の悪い連中が多かったからだ。


クラスク市はそれらを一つにまとめ上げた。

それぞれの種族が有する長所を持ち寄ることで、総体としてとんでもなく高い技術ツリーを手に入れてしまったのである。


これまでにもそうした動きがなかったとは言わない。

ただし実現できたことは一度もなかった。

必ずどこかで種族同士の諍いが発生し、融和の流れは断ち切られた。


それをどの種族とも険悪だったオーク族が成し遂げてしまったというのはなんとも皮肉な話だ。


「リーパグ。蛇口トシャワーノズル一式持ッテキタダー」

「ワッフカ! ソコ置イトイテクレ」

「ワカッタダー」


ワッフが重い箱を持って階段をえっちらおっちら登って来て、リーパグに言われるがまま箱を置いた。


「オ疲レダ」

「疲テテンノハオメーダヨ。ナニ自分デ運ンデンダヨ」

「? ココニ持ッテクル必要アッタダ?」

「ソウジャネーヨ?!」


要領を得ないワッフの返事にリーパグが思わず叫ぶ。


「オ前ニモ部下イルダローガ! オメージャナクテモデキル範囲ノ仕事ハ他ノ奴ニヤラセロ! オ前ガ全部ヤッテタライツマデモ部下ガ育タネーダローガ!!」

「オオー」


ワッフは目を輝かせてリーパグの言葉に感動する。


「リーパグハスゲーダナ!」

「…フン、俺ハ少シデモ楽ガシテーダケダ」


部下が仕事をすればそれだけ自分の仕事量が減る。

実にいい事ではないか。

それを言い訳に部下に仕事をどんどん振ることの何がいけないというのだ。

リーパグはそんな風に自己正当化をした。


「…デモリーパグ今スゴイ仕事シテルダ?」

「ソレハ水道工事ノヲマダ誰モ持ッテネーカラダヨ! 俺ガ覚エネート他ノ奴ニ教エラアレネーダローガ! ソイツラガ他ノ奴ニ教エラレル程度ノ一人前ニナッタラ最終的ニ俺ガ楽デキルダロー」

「オオオー!!」


考えたこともない発想にワッフが感嘆する。

なるほどたしかに。

それはとてもかしこいやりかたではないか、と。


確かにリーパグの言い分は正しい。

一面では正しい。


なにせこんな高層…といっても四階建て程度だが…建築を作るのは人間族の街だけだし、人間族の街でもその高層階に水道工事を行う技術などどこにも存在しない。

街の施工担当であるリーパグがその仕事を覚え部下にみっちり教え込み、その部下が他の技術者にその手法を伝授できるようになったならリーパグのする仕事はぐんと減るだろう。



、だが。



だが水道工事に限らずこの街の技術革新は以前からずっと続いている。

太守夫人の妙な発想力から新たなインフラ事業は後から後から湧いてくるのだ。


となると技術担当のリーパグとしては今の技術を部下に伝え終えたなら次の技術の習得が始まり、その技術を部下に教え終えたならこれまた次の工事がはじまることとなって、いつまでたっても作業が終わらないいたちごっこになってしまう。

これではいつまで経っても楽ができないではないか。


実際リーパグもそこは自覚していた。

最近後から後からやらねばならぬ仕事が舞い込んでくる。

そのためにいろんな場所に出向き、様々な技術を学んで、試行錯誤しながら自分のものとしてゆく。

実に大変で面倒な作業である。



ただ…どうにも困ったことに、リーパグはそんな多忙さが嫌いではなかった。

新たな技術を学び修めてゆくというのは、どうも彼にとってとても充実した時間の使い方らしいのだ。




ゆえに楽をしたい楽をしたいなどと嘯きながら…

彼は今日もまた、こうして技術の最前線に身を置いて仕事をしているのである。






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