第634話 下クラスク南大使館街
マンションを出た一行は先ほど通ってきた道を逆に辿り、そのまま街を縦断する中央街道を抜けてその対岸へと向かう。
つまりは街道の東側から西側へと向かったわけだ。
進んだ先の道も結構な広さであり、馬車なども通れそうである。
繁盛しているレストランの脇を抜け奥へと進む。
「………?」
が、その道が不意に途切れた。
目の前に大きな壁が聳えていたのだ。
いや正確にはそこにあったのは『門』だった。
街と街を隔てているあの大門程ではないが、個人宅にそれと比べるとだいぶんに大きな門が目の前にあって
そしてその左右に壁がずうっと続いているのだ。
広い。
とても広い。
壁が左右にずんと伸びている。
それが何かの建物だというのならとんでもない規模である。
先ほどの卸売市場の比ではない。
このあたり一角がまるまる敷地だとするなら街の中心に会った居館より遥かに大きな建物、ということになってしまう。
ただそれにしては妙な事がある。
壁の高さは凡そ10フース(約3m)。
邸宅の外壁としてはだいぶ高いけれどそれでも高層建築であればその高さは優に超えるはずだ。
けれど遠くからこの壁を見た時、その向こうに高い建物は見えなかった気がする。
それとも単に街灯の光線の具合で見えていなかっただけなのだろうか。
「失礼します。アルザス王国第四王女エィレッドロ様とそのお付きの者五名、御連絡通りこちらに」
「はい、照合します」
門番らしき相手と言葉を交わすミエ。
何かの書類に書き込んでいたその相手は、最後に小さく頷くとその背後にあった扉の鍵を開けた。
エィレ達が最初に見た大きな門の横にある、どうやら通用門のようだ。
これまた街の大門と同じ構造である。
「さ、お進みください」
「まあ…」
「これは…!」
ミエに促されるまま門をくぐった一同が見た者は…
閑静な住宅街、だった。
先ほどのマンションのようないわゆる集合住宅ではない。
一軒一軒しっかり塀に囲まれ庭も完備された、小さいながらも立派なお屋敷が並んでいる。
そしてそれらが幾つも連なって小さな街を形成していた。
「はい。これが我が町の『大使館街』です」
「大使館街…」
騎士の一人がすぐ近くの邸宅の正門に寄って見る。
そこには『ヘリアトロ小国大使館』と刻まれたプレートが埋め込まれていた。
他の騎士達もそれぞれ左右の邸宅の正門へと小走りに向かい表札を確認する。
そちらにもそれぞれ『ファルン王国大使館』『グラトリア王国大使館』と刻まれたプレートが確認できた。
「ファルンと言えばノームの国か」
「ヘリアトロは…」
「馬鹿、
「ああ! だがグラトリアは…!」
「ああ、グラトリアが…」
騎士達が口々に囁き合い、驚嘆する。
それ程に彼らにとって信じがたいことだったからだ。
グラトリア王国はドワーフの国だ。
クラスクが落盤事故よりドワーフ達を救ったあのオルドゥスの街もグラトリアの所領である。
ドワーフとオークと言えば長きに渡り斧と斧で互いの首を叩き斬ってきた言わば不倶戴天の天敵同士。
そんなドワーフの国がまさかにオーク族が造った街に大使を送り大使館を要するだなどと彼らには想像もつかなかったのである。
いや目の前で見てすら信じがたいほどだ。
「とするとつまりここにある全ての建物が…?」
「はい。大使館です。まあ今後国交を開く相手が増えるかもしれませんし、それも見込みで建てちゃってるんで空き家もありますけど」
「ああ……」
エィレはミエの言葉を聞きながら一人得心した。
『上街』『中街』『下街』をそれぞれ区切り、夜になると閉じるあの大門。
この大使館街の外周にはそれより規模は小さいもののそれに類する門が備わっていた。
おそらく魔術的なセキュリティなども施されているのだろう。
先ほどの衛兵の手続きをみるにこの敷地内の出入りも制限されているはずだ。
これなら確かに騎士達を全員引き連れて来たくはないはずだ。
人数を絞らないと手続きが面倒で仕方ないだろうし。
それでも騎士達四人を連れてきたのは今後この区画に幾度も出入りするからだろうか。
「つまり私の寝所というのは…私が駐在する大使館ですか」
「はい。こちらへ」
ミエに促されるままに幾つかの角を曲がり、目的地へとたどり着く。
こぢんまりとした、けれどだいぶ立派な邸宅が街灯に照らされ鉄柵越しに浮かび上がる。
「ささ、どうぞ中へ。騎士の皆様方も。今後こちらで姫様をお守りする事になるのですから…」
「は。では…」
言われるがままに敷地内に入ろうとした騎士の一人、ゴルヌがふと何気なく門の表札を見てぎょっとした。
そこには『アルザス王国大使館』と刻まれたネームプレートが嵌め込まれていたからだ。
ネームプレートは金属板で、そこに刻まれた文字は字義通り金属に刻まれたものだ。
手彫りの装飾も施されており、優れた職人の手によるものであろうことが見ただけでわかる。
頼まれたからと言って昨日今日で作れる代物ではないのだ。
それが既にはめ込み済みということはどういうことか。
つまり自分達がこの城に到着するだいぶ前から既に準備を整えてあったという事だ。
最初からアルザス王国がこの街と友好的に接してくるだろうと見越していたということになる。
そして騎士達が信じぬどころか想像もしていなかった未来が、今彼らの目の前の壁に嵌め込まれている。
それはとてもとても恐るべきことだ、と彼の心が訴えていた。
「本当なら大使館は大使館で独立させて、姫様のような要人は別のもっと安全な場所に寝泊まりしていただく方がいいのかもしれないんですけど、あいにくとうちの街はまだそこまで準備できていなくって…あと本当は大使館もセキュリティが一番強い上街に作るべきなんでしょうけど、これもスペース的な問題でもう厳しくて…流石に各種族の代表の方がいらっしゃるのにマンションみたいな集団住宅に押し込めるわけにもいきませんし…」
「お気になさらず。というかなるほど。先ほどのマンションはつまり各国の外交官の随行員が寝泊まりする場所なのですね」
「御推察の通りです姫様。あのマンションは中央が広場になってるんですけど、あれは各国の護衛の方なんかが交流しやすいようにっていう旦那様のアイデアで…」
「クラスク様の…」
「はい。では大使館の中を案内しますね」
ミエが闇の中に消え、直後に部屋が急に明るくなってエィレ達を仰天させた。
通常であれば夜は手に
ではいったいどうやって火を…といったところで急に部屋が明るくなったわけだ。
「ああ光源ですか? 街灯と同じですよ。
ミエの言う通り壁には上げ下げするレバーのようなものがついている。
「まあ理屈上この呪文はこちらが提供する燃料なんてないに等しいのでつけっぱなしでもいいんですが…それだとどのお屋敷も夜に煌々と付きっぱなしになって周りに迷惑かなって言うのと、あとは暗い方が好みって種族の方もいらっしゃいますからねー」
玄関からさらに奥の扉を開け、抜けた先にあるのは広めの応接間。
つまりアルザス王国が他国の代表などと親善を行う場所である。
タンスや本棚など既にある程度の家具は設置済みであり、ここの住人となった者は単に『中身』を揃えればいい、といった風情である。
このあたりは先ほどのマンションに近いだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます