第633話 マンション
一行は中街を抜け南中門へ。
そしてその門の脇の通用門をくぐってさらにその先へと向かった。
「ええと…街の外周部ということは下クラスク、その南部だから下クラスク南…ってことになるのかしら」
「はい姫様! 仰る通りです! 物覚えがいいですね!」
ミエが手を合わせて喜んだ。
ただエィレとしてはどちらかというとすぐに把握できる単純明快な住所を設定したこの街の方が驚きである。
それも郵便制度のために導入したのだという。
なかなか簡単にできる判断ではない。
「ということは…あら?」
「む…」
「なんだ……?」
ミエ以外の一同がそれぞれ怪訝そうな声を上げた。
実際彼らが声を上げる程度に、その街並みが奇妙だったからだ。
クラスク市は中心部に居館があり、そこを中心に発展している。
街の中央部…すなわち上街ほど街並みは整然としており、そしてそこから離れるごとに、街の外縁部になるほどに街並みが雑然となってゆく。
まあ街の外周部ほど後から群れ集まった住人達の居住区になるわけで、それだけ手間のかからぬ簡便な家や店などが軒を連ねることになるのだから当たり前といえば当たり前の話だ。
実際彼らが今日の昼に街の東外門から入ってきたときはそんな印象だった。
門をくぐるごとにぐっと洗練されてゆく街並みに彼らはこれが本当にオークの支配する街なのかと目を疑ったものだ。
まあ実際前に述べた通り街中をオーク族が当たり前のように闊歩している光景を目の当たりにしてその点は信じざるを得なかったのだが。
ゆえに彼らは街の南側もそうなのだろうと勝手に思い込んでいた。
だが…
「街並みが…」
「ええ、だいぶ整っていますね」
エィレの呟きを騎士パリイヤが察し、言葉を継いだ。
彼らが気づいた通り、その街並みは不思議に整っていたのだ。
さらに不思議な点がある。
人が多いのだ。
今はもう夜であり、街灯に照らされているから問題なく歩けはするけれど日はもうとっぷりと暮れている。
ミエに説明された通り前後の大門は閉じられ、街の外から入ってっ来る者もいない。
だというのにこの辺りはずいぶんと人が多い。
馬車の往来が止んだことをいい事に人々が道のど真ん中を自由に歩き回り、雑踏を生み出している。
多くの者は道沿いのレストランで食事を摂っていた。
これも先ほどまでとは違う。
中街にあった店はもっと店幅が狭く、食事するスペースのない店舗の店先で注文して肉串やクレープなどを受け取る、いわゆる『買い食い』系の店が多かったのだ。
だがこのあたりの店舗は中で食事ができる十分な広さがあって、さらに外にテラスなどまで併設されており、皆そこで食事と酒を優雅に楽しみながら夜空や街灯の灯りなどを満喫している。
またその店のデザインもずいぶんと瀟洒でお洒落なのだ。
「これは一体…?」
「はいいったんとうちゃーく。騎士さん達の宿舎はあちらですねー」
「おお…!?」
ミエが指さしたのは街道の左手、一行は南下してきたのだから方角としては東方面だろうか。
夜間営業しているカフェや喫茶店の奥に、それはあった。
主街道から幾つか奥まった場所。
そこに高い建造物がそびえている。
かなり高い。
六階建てくらいだろうか。
この世界では相当な高層建築である。
「えーっと、便宜上マンションって呼んでます」
「マンション…?」
確かにこちらから見る限り構造としてはかつてのミエの世界にあったマンションに近い。
人が住む部屋が幾つも横に連なっていて、さらにそれが上に積みあがっている。
建物の中に人が住む部屋が幾つもあるイメージだ。
もっともマンションは原義的には『大豪邸』という意味であり、特定の国でマンションと呼ばれる建物群も定義としては全部『アパート』と呼ぶのが正しいのだけれど、そのあたりは名付け親のミエの感覚なのでどうしようもない。
まあそもそも翻訳されていない彼女の母国語はこの世界の住人にとっていずれも未知の言語であることには変わりないので、『アパート』だろうと『マンション』だろうと大差ないのだけれど。
街道沿いに並んでいるのはその多くがレストランや喫茶店などの飲食店で、またそうでない店も平屋が多い。
その奥にあるマンションは道沿いに横に広がっていて、一見すると城のように目立っていた。
「そですね、一度マンションの方を先に案内しちゃいましょうか。姫様の泊まるところはこんな大人数でぞろぞろ行けないので」
「わかりました。お願いします」
騎士達が何か言おうとしたところをエィレが制する。
彼らは全員王女の護衛として来ているのだ。
彼女が寝泊まりする場所までついて行って可能ならそこで番をしたいと望むのは当然だろう。
けれどミエにはミエの段取りがあるのだろうと
ミエの先導で道を左に曲がる一同
どうやらこちらが近道のようだ。
一行は進路を東に取り、繁盛しているレストランの脇を抜け奥へと進んで先ほどのマンションの前までやって来る。。
それは通りに面してずっと横に色がっており、交差点で直角に曲がりさらに奥へと続いている。
そしてその奥行きもだいぶ長い。
言うなれば道で区切られた長方形の一区画の外周がまるごと建造物になっているようなものだ。
その材質は当然ながら時代に即した石組みである。
主街道の方から見た姿はミエの世界のマンションに確かに近かったけれど、間近で見るとその形態は少々異なっている。
ミエの知っているマンションは横に細長い建造物が幾棟も連なっているタイプだが、ここに建っているのは四方をぐるりと囲うような構造だ。
だからミエの世界の故国のそれよりも、むしろ欧州などに古くから残された石組みのアパートに近い造りと言えるだろう。
まあ向こうと違ってこの街のマンションは新築ほやほやなのだけれど。
騎士達は視線を横に走らせ、その建物の周囲を確認する。
マンションの左右の道に並んでいる建物はさほど高くない。
高さもまちまちだ。
せいぜい二階建てやそこらと言ったところだろうか。
おそらく街の区画整理が追いついていないのだろう。
周りに建っているのは街が発展してゆく際に外周に沿って住民たちが自発的に(勝手に)建てた家々に違いない。
そこに割り込むようにして街の方が公的建造物としてこのマンションとやらを建築したのだ。
「ささ、中に入りましょう」
ミエに促されれままマンションの中に入る。
マンション内はエントランスを抜けると細い通路が続いており、その横に扉が並んでいた。
マンションというよりはホテルのそれに近いだろうか。
一行は階段を登りながら最上階の六階に辿り着く。
「えーっと603、603…あった、ここですね」
フロントから鍵を受け取ったミエが扉の鍵を開け、騎士達を案内した。
「おお……!」
中に入った騎士達が驚いた。
六人程度は楽に過ごせそうな広さで最低限の家具までしつらえてある。
このまま今日からでも住めそうだ。
「む、なるほど。中央は庭になっているのですな」
窓(ガラス張り)から部屋の奥を覗き込んで騎士の一人が呟く。
どうやら一区画丸ごとマンションと言っても中身までぎっしり詰まっているわけではなく、道沿いに建物がぐるりと建って、中央は広場となっているようだ。
「はい。採光の問題もありますしあまり密集しすぎるのも色々問題がありまして」
「なるほど、これは有難い」
「部屋の設備の使い方は後から管理人さんがしてくれるはずです。幸いまだ埋まっていないのでこの隣の二部屋も開けますから、今晩はそこを使って寝泊まりしてください。十人分眠れるスペースはあるはずなので」
「承知しました。ご丁寧に痛み入ります」
頭を下げる騎士に微笑んだミエはエィレの方に向き直った。
「じゃあ姫様のご寝所に案内しますね。そちらに泊まれるのはエィレッドロ様とお付きの…エズソムエムズさんで合ってます? ありがとうございます。 のお二人までですが……騎士様方のうち四名もこちらの街に留まるのですよね? 明日からそちらに出向くことになると思いますから、今日の内に道だけでも把握しておかれます?」
ミエは暗に全員は連れてゆけぬと釘を刺し、騎士達もそれに応じた。
そこで明日帰る騎士六名はマンションで一足先に休憩に入ることとなり、この街に留まるエィレとお付きのじいや、それに騎士四名が彼女の寝所とやらまで赴くこととなった。
妙に発展したこの下クラスク南地区の謎を残したまま。
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