第623話 不可避の理想像

キャスに促されるように次々と挨拶を交わす一同。

彼ら…いや人数比的には彼女らの方が適切だろうか…の自己紹介を聞きながら、エィレは心の中で己の箍を締め直していた。


クラスク市…これまで王都では悪評高いとされてきたオークの街。

けれど噂と実体はだいぶ違うようだ。


エィレはこの居館に到達する前、まずこの街に入る前に周囲に広がる広大なチェック柄の畑に目を輝かせ、続いてそびえる城壁の大きさに驚愕し、門をくぐってその整然とした街並みに驚嘆した。


これが思った以上に先進的な街なのである。

とてもではないがオークが支配する街とは思えない。


その想いを新たにしたのが今自己紹介をしている面々である。


様々な種族がいて、さらには女性が多い。

クラスクに同道していたラオクィクというオークを別にすれば、この部屋にいる他のオークは二人だけだ。


これまでオーク族といえば他種族を見下し、また女性蔑視と女性差別のひどい種族だと聞いてきた。

いや実際殆どのオーク族は未だそうなのだろう。

けれど少なくともこの街は、この街のオーク達は違う。

まるで違う。


そこを理解し把握しておかないと、王国側が足元をすくわれかねないと、エィレは直感した。


(それって…つまり…)


そう、それはつまり、外交官として派遣されたエィレの役目がとても大きい、ということだ。


これまでアルザス王国…というか王都の宮廷に於いて、この街の話題や情報は秘書官トゥーヴの手によって意図的に歪められたり矮小化させられてきた。

知識も情報もろくにない状態で、どうしてもこの街について知りたくば財務大臣ニーモウのように個別に調査するしかなかったのだ。


けれどそれでは駄目だ。

一般のオークとこの街のそれはあまりに乖離しすぎている。

半端な知識のままでこの街の相手をしたら危険だ。

正しい情報を、知識を、王都に届けなければ。


外交官としてエィレが派遣されてきた理由がまさにそれである。

スパイというと聞こえが悪いけれど、アルザス王国とクラスク市、互いの主張をまとめ上げ交渉を締結させるためには、それぞれの街の、国の情報を、事情をお互いに知ってもらわなければならぬ。


責任重大な役目だ。

けれど必ず完遂させなければ。

そんな使命感にエィレが一人燃えているところに……



その娘が、やってきた。



「もぉ~、キャスさーん! 私を置いて先に行かないでくださいよー!」


扉がゆっくりと開いて…その向こうから息を切らせながらミエが入ってきた。




…唐突に、花が、咲いた。




無論実在の花ではないし、サフィナの魔術の仕業でもない。

エィレの心象風景である。


少女の目から見たその女性は……あまりに奇麗だったのだ。


まるでその背中から噴き出した光が辺りを包み込んでいるかのよう。

足元に色とりどりの花が咲き乱れ、かぐわしい香りがあたりに満ち満ちているようにすら感じる。

その笑顔は眩しく、口から放たれた言の葉は魔法のようにエィレの心を蕩かせた。


なにせ扉の向こうからやって来たその女性はエィレが心の内で理想とする女性…いわゆる理想像そのものに手足が直接生えて目の前にお出しされたかのような存在だった。


あまりの美しさにいっそ神々しさすら感じて、エィレが呆然とその娘…ミエを凝視する。

その視線に気づいたミエは、今更ながらにクラスクの隣に見慣れぬ美少女が佇んでいる事に気づいた。


「まあまあ旦那様、その奇麗なドレスを纏った愛らしい女の子はどなたです?」

「エィレダ。アルザス王国の第四王女ダト」

「おひめさま! まあまあまあ! 素敵!」


ぽんと手を叩き瞳を輝かせるミエ。

その笑顔がこれまた素敵すぎて思わず眩暈を感じるエィレ。


「でその王姫様がなんでうちの街に…?」

「この国の王様が寄越シタ。外交官ダそうダ」

「外交官! 王国からの外交官! まあまあまあ!」


ミエは膝を屈めてエィレと視線を合わせにこやかに微笑んだ。


「その御歳で遠路はるばる大変だったでしょう。お疲れ様ですねー」


ぱああああああ…とエィレの頬がバラ色に染まる。

ミエに話しかけられて、少女は明らかに舞い上がっていた。


だがなぜ一目会っただけでこれほどにミエに対して過剰に反応するのだろう。


…実は彼女はミエに以前あったことがある。

というか、話の流れ的に会っていないとおかしい。


かつてクラスクが一介の若きオークに過ぎなかった頃、何かいいものを積んでそうな御立派な馬車を襲撃した事があった。

そこに乗っていたのがバクラダ王国に見合い同然の外交使節として派遣され、帰路についていたエィレである。


護衛の兵士らは分断され、各個撃破され、馬車は横転し、じいやに抱きかかえられたエィレは馬車から転げ落ちた。

目の前に迫るオークども。

恐怖に打ち震える少女。

絶体絶命の危機。



そこに…崖上から転げ落ちる王にして駆け降りてきた一人の娘がいた。



「あ、あの…! こ、この子たちを見逃してあげることはできませんか?!」



、自分達に背を向け、両手を広げてオークどもの前に立ちはだかるその姿は、どう見ても自分達を守り庇おうとする様に見えた。


なんで?

どうして?


なんでそんなことをするのかわからない。

なんでそんなことをしてくれるのかわからない。


自分が王族だから助けてくれた?

でも身なりから貴族の女性とは思えない。

庶民の娘が紋章学を学んでいるとも思えないし、馬車に刻まれた紋章だけで王家のものだと判別はつかないだろう。



とするなら…

その女性は、こちらの身分もなにもなく、でオークの前に立ち塞がったのだ。



結局その後どうなったのかエィレは知らぬ。

オークが威圧の文句として唯一覚えていた共通語ギンニム、『オークの花嫁』という言葉を聞いて恐怖のあまり失神してしまったからだ。

そして後に目が覚めた時、彼女はその旅の一切の記憶を失っていた。


だが…記憶を失っても得た経験が完全に消え失せたわけではない。

心の奥底でクラスクの事を覚えていたように、彼女はミエの事も心に刻んでいた。


人の為に行動できる献身性。

恐怖の象徴たるオークの前に飛び出せる勇敢さ。

そして見ず知らずの者を命がけで助けんとする善良な心。



目が覚めた時…エィレの中にはそんな理想の女性像が生まれていた。



誰かの役に立ちたくて城を抜け出してはあちこち歩き回る。

人助けの役に立つかもとこれまで嫌がっていた勉学に励む。


エィレの行動原理はその時刻まれた強烈な想いから来ているものだ。

王国に害をもたらすかもしれぬオーク族の一行を見張らんと単身監視体制を引かんとしたのもまさにその表れである。


そんな彼女の前に、理想の女性像がひょっこりと現れた。

その体型といい、声といい、美しい黒髪といい、ミエのなにもかもがエィレの理想だった。



当たり前である。

エィレが憧れたのはかつての…この世界に来た当時のミエそのものなのだから。



「旦那様、お食事は?」

「後デ喰ウ。トりあえず俺がイナイ間に届イタ各国の親書見ル」

「わふ! クラさまこちらに纏めてありまふ!」

「わかっタ」


ネッカが差し出した封書を手に取りどっかと円卓に座り込むクラスク。

それを左右から挟み込むようにして取り囲み注意事項を言い添えてゆくネッカとキャス。


「あらあら旦那様はお仕事優先ですか。それじゃあエィレちゃん、お腹減ってなあい? 私と一緒にご飯食べましょうか」

「は、はい! よろこんで!!」


もし獣人ドゥーツネムが如く尻尾が生えていれば勢いよくぶんぶんと振ってそうな勢いでエィレが食いついた。


「よいお返事! それじゃあこちらに」

「はい!」


ミエに言われるがまま彼女の後についてゆく姿はまるで主人に懐く小犬のよう。

まあこの世界に犬はいないので、ペットになりそうなのは小兎やリスなどだろうが。


「…なんじゃ、ずいぶんと懐いておるな」

「ホントだ。なんだありゃ」

「おー…なかよしこよし…」


不思議そうな面持ちで二人の背を見送るシャミル達。



憧れの男と、理想の女性と…

そんな二人に挟まれて、王国のためにと固い決意を以ってこの街に臨んだエィレの意思はほんの半鐘楼の間に潰えてしまった。






彼女の命運は…まさにクラスク夫婦の薬籠中のものとなってしまったのである。






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