第622話 外交官エィレッドロ
「アルザス王国より派遣された外交官、国王アルザス=エルスフィル三世が四女。アルザス=エィレッドロと申します。皆々様方、どうか以後お見知りおきを」
恭しく貴族風の辞儀をしながらエィレが挨拶をする。
その美しさと醸し出される高貴さに思わず息を飲む一同。
「…マトモナ挨拶モデきルンダナ」
「ちょっ! 当ったり前でしょ! 私王女よ王女! 逆になんでできないと思ったのよ!!」
「出会っタ時の様子カラ?」
「う゛…っ、ぐうの音も出ない…」
そしてその後に続く二人のコントと先刻とまるで異なる少女の反応にこれまた唖然とする一同。
「…しかしなるほどの。外交官と来たか」
意外な展開に最初あっけに取られていたシャミルだったが、すぐに状況を察し目を細めた。
「どうやら魔印入りの親書がよほど功を奏したと見ゆる。この街を最重要交渉相手と見做して即己の娘を寄越して楔にせんとするとは、この国の王もなかなかに遣り手ではないか」
「オイシャミル、俺達ニモワカルヨーニ話セ」
「リーパグや、お主くらいはわしが説明せんでもわかるようになってくれんか」
「政治ノ話ハマダ苦手ナンダヨ! オークダゾ!!」
「その常識から脱却するためにこの街を造ったんじゃろが」
やや小柄のオーク(それでもエィレからすればだいぶ大きいが)とノーム族の娘…娘? それとも大人なのだろうか…が言い争っている。
が、互いにあまり刺々しさは感じない。
言葉使いが悪いだけで二人にとっては日常会話のようなものなのだろう。
エィレはそう解釈した。
ただエィレにはそのノームの娘の年齢がよくわからなかった。
外見は少女のようにも見えるが発言が到底若い娘のそれではなかったからだ。
やらやれと肩をすくめたそのノームの娘は、つい先刻軽口を叩いたオークの方を向きながら語って聞かせるように説明をはじめた。
「まず国王はこの国の王じゃ。一番偉いわけじゃな。つまりその娘も偉い」
「ソウナノカ?」
「オーク族でもなければそうじゃ」
のっけから追加の説明が必要になる。
だがオーク族にとっては当人が偉いことには納得できても当人が偉いイコールその子供が偉い、という図式がいまいちピンとこない。
だって当人の偉さは本人の努力や強さで勝ち取ったものだろうけれど、その子供は単に子供というだけでは別に自分でなにも為し遂げてはいないではないか。
その子供が自力で狩りを成功させるなり己の親を打ち倒して力を示すなりしたのなら認める事にやぶさかではないけれど。
…というのがオーク族の理屈である。
「その偉い相手を外交官として派遣したわけじゃ。外交官はわかるじゃろ」
「下クラスク南ニ詰メテル奴ラダヨナ? ソレクライワカル。家建テル手伝イシタシナ」
「思った以上に伝わっとってなによりじゃ。外交官には『格』がある。王の血族…つまり偉い者をを遣わすということはつまりそれだけこの街を重要視しておるということじゃ。それも今回うちの太守殿が出向いたことでそう判断したことになる」
「ソレモワカル。最初カラヤベー奴ッテ思ッテタラハナカラソノ外交官ッテノヲ派遣シテルッテコトダロ? 最初舐メテタ奴ガヤッパリ侮レネーッテナッテ慌テテ対策シタッテコトカ」
「うむ。表現に些かの問題はあるがその解釈でおおむね間違っとらん」
「ダロー?」
「じゃがそれなら説明せんでもわかるようにならんか」
「次カラハ忘レネーヨ! 今回ノハ!」
丁々発止、とまではゆかぬまでも慣れた二人のやりとりを聞きながらエィレは目を丸くしていた。
クラスク以外の賢い…いや知識は未だ足りぬまでも頭の回転の速いオーク族。
彼に流暢に説明する知的なノーム族。
そして彼ら以外にもたくさんいる異種の者達。
ドワーフ族の娘。
エルフ族の少女。
やたら身体の大きな…巨人族だろうか? の娘。
だがなにより衝撃的だったこと。
それは先刻オークが放った一言だった。
偉いやつの娘が偉い、という言葉に対する疑義である。
彼女は生来のお転婆さから城を抜け出し街を出歩くこともあって、そのせいで庶民の暮らしの楽しさも苦しさも他の兄姉より多く見知っていた。
王家のようなしがらみもなく自由に暮らしている庶民たちが、その経済力から決して楽な生活でないことも肌で感じていた。
なぜ自分はそんな苦労をしなくて済んでいるのか。
それは王族だからだ。
王族の娘として、彼女はこれまで多くの恩恵を当たり前のように受けてきた。
王の娘なのだから負うべき責務と義務があり、それに対して当然与えられるべき恵があると、それが当たり前であると教えられてきた。
そういうものだと、彼女自身もずっと思っていた。
けれどオーク族にはその理屈が通じないのだ。
実力主義の彼らには当人が努力の結果偉いことは理解できても、偉い人物の子供が偉い人物の子供であることを理由に偉い、ということが理解できないのである。
そこに思い至った時時…エィレはふと思った。
それなら王の娘ではない自分の価値って、一体なに…?
「すまん遅れた!」
と、そこに扉を勢い良く開けて半エルフの娘が飛び込んできた。
そしてクラスクの隣にいる娘を目にしてぎょっと目を丸くする。
「姫様!?」
「キャス!!」
一人は驚いたような、一人は嬉しそうな声を上げ、久方ぶりの再会を果たす。
だがキャスはすぐに我に返ると、エィレに向かい一礼し別の人物の方へ顔を向けた。
「クラスク殿、よくぞ戻られ。ただ王都での戦果を伺う前に一ついいか」
「ナンダ」
「ラオクィク。クラスク殿が城に辿り着いた時点でお前の任務は終わりだ。すぐに行ってやれ」
「行ク……?」
キャスの物言いがピンとこず、首を傾げるラオクィク。
彼女は深くため息をついて背後の扉を指さした。
「たった今しがただ。生まれた!」
「!!」
「だからすぐに行ってやれ」
ラオクィクがクラスクの方を向くと、クラスクが大きく頷いた。
それを目にするや否やその長躯のオークは大慌てで扉を開けて円卓の間から飛び出し駆け去ってゆく。
「出産ノ手伝イシテタのカ」
「ああ。それで遅くなった。すまない」
「構わン」
クラスクに謝罪したキャスは改めてエィレの方に向き直る。
「姫様、何故ここに?」
「このたびアルザス王侯の外交官として正規に派遣されました」
「なるほど…? ということはクラスク殿、王都での交渉は上手く行ったのという認識でいいのだな」
「多分ソウ」
「ならばまず一安心か…」
大きく息を吐くキャスの顔を横からゲルダが覗き込む。
「この姫さんと知り合いなのか」
「翡翠騎士団に所属していた頃に少々な」
「なるほど?」
「ところでなぜ立ち話をしているのだ?」
「なんでってそりゃあクラスクの旦那が帰って来たって言うから少しでも手の空いてた奴が慌てて居館に集合してみりゃあなんか王族の娘さんが隣に立ってて挨拶するもんだから…」
「…ということはこちらの挨拶は一切なしか」
「「「あ……」」」
やれやれと深くため息を吐いたキャスは、改めて居住まいを正しエィレの方へと向き直る。
「辺境の田舎街にて礼を弁えぬことご平に御容赦願いたい、アルザス王国の姫君よ。我が名はキャスバスィ。この街の軍事顧問兼クラスク殿の親衛隊隊長を務めさせてもらっている」
「これは御丁寧に。いつぞやぶりですね」
「まあ、うむ。私も少々驚いた」
「お互い様です。宮廷の夜会で吟遊詩人が貴女の名を出すのを聞いて驚きました。この街で活躍なさっていたとか。なんにせよご無事で何よりですわ」
「…その件についてはすまないと思っている」
ばつが悪そうにキャスが顔を背けるが、その顔色にはエィレに対する謝意はあっても悔恨の色は見られなかった。
王国を裏切りこの街の側についたことを、彼女は一切悔いていないのだ。
エィレは心の内で警鐘を鳴らす。
キャスほどの忠義の騎士をして王国を離反せしめたこの街。
そしておそらくその最大の理由であろうこの街の太守、クラスク。
これは……思った以上に厄介なのかもしれないぞ、と。
ただ……彼女は未だこの街の真の恐ろしさを知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます