第621話 自薦人身御供

「お姉さま。よろしいでしょうか」


なるべく己の本意を悟られぬように息を整え、エィレが三人の姉に向き合った。


「なんですか、エィレ。建設的な意見なのでしょうね」


長女エリザメスの冷たい声が飛ぶ。

その圧に身震いするエィレだったが、怯んではいられぬと心の内で己を叱咤する。


「そういうことでしたら、その、わたくしが適任かと存じますが…」

「なぜそう思うのです」


長女エリザメスは目を細め、問い詰めるように口調でエィレを威圧した。

普段であればその迫力に押されしどろもどろになり、己に意見を取り下げていたかもしれない。


だが今日のエィレは違った。


引かない。

引けない。

引き下がれない。


クラスクと一緒にいられるかもしれないこのチャンス、なんとしても逃すわけにはいかないんだから……!


「はい。エリザメスお姉さまとアッロティラソお姉さまはどちらも婚約者がいるではありませんか。もしここでお父様のお言いつけに従って外交官の任を受ければご成婚の日取りやその前に控えている行事などにも影響が出ましょう。なにより対手の街に長く留まるような任をお受けになれば婚約相手が己が軽んじられていると誤解するやもしれませぬ」

「む……」

「あらあら、そうねえ。それは困るわ」


思った以上にしっかりした意見を述べられてエリザメスが少し目を大きく見開いた。

彼女は確かにエィレの言葉に意表を突かれたのだ。


「それにクラスク市はオーク族が造った街だというではありませんか。無論お父様がお認めになったお相手、わたくし達が聞き知るオーク族とは文化も風習も色々と異なるところがあるのでしょう。ですがそれでもオーク族はオーク族です。実態はともあれ風聞はあまりよろしくありません。そんな街に婚姻を控えた身でお姉さま方が駐在なさると色々と口さがない噂を立てられる恐れがあります。姉さま方の今後を考えましてもこのお仕事引き受けるべきではないと具申いたします」

「エィレ、お前…」

「あらあらあら、エィレちゃんたらまあまあまあ」


長女エリザメスと次女アッロティラソがそれぞれ異なる口調で感嘆の声を上げた。

だがそこにある想いは同じだった。

二人とも理路整然としたエィレの物言いに感嘆したのである。

自分の妹は一体いつの間にこれほど成長したのだろう、と。


いつの間にも何もない。

エィレが成長したのは『今』である。

たった今、ただ想い人のために、彼女はその内に秘めた才能の翼を大きく広げたのだ。


「トゥヴァ姉様とわたくしにはまだ婚約者がおりません。選ぶならこの二人の内のどちらかかかと」

「…まあそうなるわね」


エィレの言葉に三女トゥヴァッソが不承不承頷く。


「ですが外交官となった暁には現地で限られた予算でやりくりしなければならぬはず。浪費癖のあるトゥヴァ姉様にはお辛い仕事となるでしょう。それならば消去法でわたくしが引き受けるのがもっとも適任かと存じます」

「浪費癖とはよく言ってくれたものねアンタ」


三女トゥヴァッソ が眉根を寄せ睨みつけるが、特段否定はしなかった。

彼女自身にも重々自覚のあることなのだろう。


「エィレ、お前…」

「まだ何かありますか? お姉さま」


内心どきりと心臓を打ち鳴らしながら、それでも表向きは落ち着き払った声で聞きっ返すエィレ。

自分自身が思っていた以上に上手く説得できたと思ったのだけれど、ひょっとしてまだ足りないのだろうか。

エィレはさらに思考を巡らせる。


だが……


「でもでも、でもでもでもぉ、わたしたちが引き受けないとエィレちゃんがぁ……」

「そうよ、アンタオークのこと嫌いなんでしょ! アンタこそそんな街にいられないじゃない!」

「あ……」


そこまで言われてエィレはy7おうやく気がついた。

なぜ自分がこの部屋に招かれるのが一番最後だったか。

姉たちが自分を呼ばず、三人でその役目を押し付け合っていたのか。


だ。


これまでのエィレはオーク嫌いを公言し、オークの名を聞いただけで不機嫌になるような娘だった。

そんな彼女をオークの街に派遣させるわけにはゆかぬ。

だがだからと言って自分がその任を負うのも嫌だ。

ゆえにこの姉たちは争っていたのである。


なんのことはない。

三人が三人ともエィレの事を心配し気遣っていたがゆえの争いだったのだ。


「お姉さま…」


じんと胸が熱くなって、エィレは己の口元に手を当てた。

この四姉妹は決して仲が悪いというわけではない。

ただ仲良しかと言われるとそうでもなかった。

四者四様に向いている方向が違い過ぎていたからだ。


けれど、少なくとも姉たちはエィレの事を大事にしてくれている。

今日それだけははっきりと肌で感じる事ができた。


「ありがとうございますお姉さま方。その言葉だけでエィレは救われた心持ちが致します。ですからエィレの事はどうかお気になさらず。わたくしは自ら名乗り出たのです。このアルザス=エィレッドロ、お父様の命を受け誇り高くその街へと赴きましょう」


胸に手を当て、静かに語る。

己の気持ちを、己の意思を。


「エィレ…」

「おねえさm……きゃっ!?」


普段表情をかたくなに崩さぬ長女エリザメスが少し感極まった表情でエィレを見つめ、そのまま無言で近寄って彼女をぎゅっと抱きしめる。

そしれそれに続いて次女アッロティラソと三女トゥヴァッソもまたエィレの元に駆け寄りひしと抱き着いた。


「貴女がそれほど立派な考えを持つようになっていたとは……私も思いませんでした。立派になりましたね、エィレ」


涙ぐみながらエィレを抱く腕の力を一層強くする長女。


「うう…ごめんねえ、損な役回りを押しつけちゃってえ。きらいなオークの街なんて行きたくないでしょうに。ごめんね、ごめんねえ」


ひたすらに泣きながらエィレにしがみつく次女。


「ふんだ! べ、別に感謝なんかしないんだからね! オーク嫌いのくせにわざわざ自分から言い出すのが悪いんだから! あんたが悪いのよ! あんたが……!」


そう言いながらもエィレの腕にぎゅっとしがみつく三女。


なんとも美しい姉妹愛。

なんとも美しい自己犠牲。


ただ…その美しい光景の中、ただ一人エィレだけは心の内で姉たちにひたすら謝罪していた。


(うう…ごめんなさいエリザメスお姉さま、アッロティラソお姉さま、トゥヴァ姉さま……!)


だってこれは彼女が望んだことなのだ。

姉たちと違って彼女は率先してその街に行きたいのである。

だからこそ冷静を装って姉たちを諭し己が選ばれるよう仕向けたのである。


にもかかわらず姉たちはそれを妹の姉を想ったゆえの行為と、尊い自己犠牲と解釈している。

まあそう思ってもらえるよう手を尽くしたのはエィレ自身なのだけれど。


「うう…お嬢様…なんと御立派になられて…! そうとも知らず渦中に入れまいと愚かにも画策したこのじいやが間違っておりました。その尊い御心、じいも感涙に御座います…!」


じいやがハンケチを取り出して零れる涙をぬぐう。

そして姉たちも泣いている。

そんな真っただ中でただ一人素面のエィレは…心の中で少しだけ後悔した。


(わーん! なんかすっごい罪悪感ー! とっても悪いことしてる気分ー!!)


幾度も幾度も心の内で謝りつつ…

それでも結局、エィレはクラスク市へ派遣される外交官の任を受けたのだった。




×        ×        ×




そんなわけで、クラスク市の上街居館。

街に戻ったクラスクの隣に…紅蓮のドレスを身に纏った美しい少女が立っていた。



「ト言うわけデ、王様に会っテ来タらなんか娘がついテ来タ」



クラスクの言葉に…クラスク市の首脳陣どもから渾身のツッコミが入る。






「「「なんでさー!?」」」





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