第617話 誤算
「面倒ナ話ハ抜きダ。確認ダケシタイ。国王陛下ハうちノ街ト『交渉』すル気ハあルノカ」
「…ある」
問われた以上答えぬわけにはゆくまい。
エルスフィル三世は正直に今の己の気持ちを答えた。
クラスク市が成し遂げてきた功績。
クラスク自身が達成してきた数々の偉業。
あの地に堅牢な都市があって、それがバクラダという強国に対して有する意味と価値。
この短期間に
それをこちらに気づかせることなく今日この日まで隠し通した周到さと知略。
そしてなにより国王自身の気持ち。
それらを考えあわせれば、国王エルスフィル三世の答えは最初から決まっていた。
アルザス王国が有利だろうと、クラスク市が有利になろうと、あの街と、そして目の前の人物と交渉したい。手を取り合いたい。
いやするべきなのだ。
ざわり、とざわめく一同。
国王が周囲の結論が出終わる前にこれほどはっきりと己の意見を述べる事など今までになかったからだ。
それだけに王の意志の強さを感じ、ざわついたのである。
そして国王の言葉を聞いて蒼白な顔をますまそ青ざめさせるトゥーヴ。
無論彼自身も国王の内心を予期はしていた。
だがこれほどはっきりと宣言されるとは思っていなかったからだ。
「ナンダ。それ聞イテ安心シタ。ナらこの一件を解決すルの簡単。別に犯人誰デも構わナイ」
「「「は……?」」」
クラスクの言葉を聞いて周囲の者達は困惑した。
己自身に毒を盛った相手が誰でもいいとはどういうことだろうか。
というかそもそもなんで生きているのだろうか。
何故平気そうな顔で王と交渉しているのだろうか。
クラスクの言い分も、クラスクの状態も。混乱のさなかにあった彼らにはなにもわからなかったのだ。
ただ…その場にいた一同の中、エルスフィル三世だけは少しだけ眉を顰め、だがすぐに得心した。
この場で大事なのは犯人を見つける事ではない。
クラスク市とアルザス王国の交渉を進める事…いや、進めるための前提条件を満たすことだ。
つまりこの会席で『アルザス王国とクラスク市は平和裏に交渉の席に着く』という段取りを済ませる事が最重要なのだ。
そしてこのクラスクというオークは、この混乱と事件を、その目的のために利用しようとしている。
エルスフィル三世はそう察すると、静かに口を閉ざし彼の言葉を待った。
国王の視線を感じたクラスクはそのままくるりとその首を回すと…ある人物を見つめる。
「秘書官トゥーヴ殿」
そして、初めて彼の名を呼んだ。
「…なんだ」
直接名を告げられた以上答えぬわけにはゆかぬ。
不承不承トゥーヴが返事をする。
「今から俺が問う事につイテ、沈黙ハ是ト見做す。ソノ上デ問おう。俺ハ俺に給仕されタ肉を喰っタ。中に猛毒ガ入っテタ。人間族ナら即死ダ。オークも大体死ぬナ。これを信ジルカ?」
(………………!!)
クラスクにそう問われた瞬間、トゥーヴはその落ちくぼんだ眼をぎょろりと見開いて彼を睨みつける。
そして今の問いを発せさせてしまったことを深く深く後悔した。
それほどにその問いは彼にとって致命的だったからだ。
クラスク市を制圧するため、クラスクを破滅させるため、彼はあらゆる手練手管を尽くし情報収集に当たっていた。
特に己の手勢たる紫煙騎士団を連れて出向いた際そびえていたあの高い高い城壁を目の当たりにした日以降、後はそれを密に密に行っていた。
ある意味アルザス王国側でクラスクの功績について誰より詳しいのはトゥーヴと言ってもいい。
だがバクラダ王国の意に添わんとすればあの街はバクラダが接収しなければならぬ。
今の太守を名乗るオークには失脚してもらわねばならぬ。
だからトゥーヴはクラスクを全面的に否定するしかなかった。
彼の業績を、功績を、ありもしない嘘っぱちだと、大言壮語だと、大いなる誇張に過ぎぬと決めつけるしかなかった。
それらを少しでも認めてしまっては他の者達の親クラスク寄りの流れを止める事ができなかったからだ。
オークのする事だ。
危険極まりないオークのやることだ。
襲撃や略奪ばかり繰り返すオークの言動だ。
ゆえにそんなものは信用するに値せぬ。
一片の真実もありはしない。
真実ではないのだから耳を傾ける必要はないのだと、彼はそう主張し続けた。
そうせざるを得なかったからだ。
全面的に否定するより他に手がなかったのである。
だからこそ今のクラスクの言葉は彼の戦略に致命的なまでに突き刺さった。
クラスクの前に並べられた皿には猛毒が入っている。
それは間違いない、彼自身が指示した事だからだ。
そしてそれは遠ざけておいたヴィフタが戻ってくればすぐにでも判明するだろう。
その毒の入手経路や混入過程からトゥーヴに繋がる証拠は物理的にも魔術的にも出てこないはずだが、毒かどうかはすぐに判明してしまう。
ゆえにもしクラスクの言う事を『信じる』と答えたのなら、『オーク族の言葉にも信じるべきものがある』という事になってしまう。
そうなればクラスク市とアルザス王国との交渉もまた『相手の言葉を信じる事ができるのなら交渉の余地がある』という論拠が成立してしまう。
トゥーヴの全否定戦略が根底から覆ってしまう事になるのだ。
ゆえに彼はその言葉に『信じる』と答える事ができぬ。
一方でクラスクの言う事を『信じられぬ』と答えた場合、後からやって来た大司教ヴィフタによってその言動が虚偽であると判明してしまう。
いや最悪の場合それなら自分で確かめてみろと目の前のオークにあの皿を喰わされてしまうかもしれない。
前者であれば身の破滅だし、後者であれば確実な死だ。
ゆえに彼の言葉に『信じぬ』と返すこともできない。
つまり、どっちを答えても詰みなのだ。
そしてクラスクはさらに狡猾な道筋を用意していた。
『沈黙すれば是と見做す』。
彼は最初にそう告げていた。
もしクラスクの言葉を『信じる』と明言してしまった場合、それはバクラダ王国の意向と反したこととなり、トゥーヴは破滅してしまうだろう。
一方で沈黙を守り続けた場合、トゥーヴは先の宣言通りクラスクの言葉を肯定したこととして扱われるが、少なくとも『己はずっとバクラダ王国の意向に沿っていたのに、周囲が勝手にこちらの意を誤解してしまっただけ』と抗弁する事ができる。
当人がなんの言質も与えていないからである。
つまり、生き残りの目があるのだ。
ゆえに彼は黙り込むしかない。
沈黙を以ってこの場をやり過ごすしかない。
そう、己の街を、己自信を滅ぼさんと画策し続けてきたトゥーヴに破滅から逃れる道をわざわざ用意してやることで…
クラスクは、今回のアルザス王国とクラスク市との折衝に於いて、バクラダ王国の影響を除外する事に成功したのである。
なんでこんなことになってしまったのか。
トゥーヴはそのオークを睨みつけながら心の中で呻いた。
策を用意していた。
無数の選択肢を用意してきた。
クラスクが何を言おうと、どう言い繕おうと、その毒皿を喰わせる算段がついていたのだ。
実はデッスロの行動すら彼は予測していた。
クラスクがどう座席を動こうと、その皿の肉は、毒は、クラスクの腹の内に入る予定であった。
最悪もし彼がどうしてもそれを口にすることを拒んだのであれば、それを理由に彼を拘留、或いは断罪する手はずも整えていたのだ。
ありとあらゆる選択肢、あらゆる彼の行動を予測していたのである。
たたし…唯一、たったひとつだけトゥーヴが見落としていた選択肢があった。
クラスクがその猛毒を喰らってなお平気な顔で交渉を進める……その選択肢だけを、彼は失念していたのである。
まあ予測できてたまるか、という気がしないでもないけれど。
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