第616話 大オーククラスク殺人未遂事件

国王陛下が招いた客人、クラスク。

たとえその種族がオークであろうと、王が招いた賓客には違いない。

それをこの食事の席で暗殺しようとした輩がいる。


とんでもない不敬であり、また重罪である。

わざわざ招いた客人を暗殺などアルザス王国の信用失墜にも繋がりかねない。

まあもし彼が死んでいたらそうはならぬようにこの場にいた全員が口裏を合わせていただろうけれど。


「危ナイトこロダッタナ」

「むう……助かった」


クラスクの言葉に頷きながらデッスロが冷や汗を流す。

いかに己の肉体を鍛え上げていようと、猛毒相手ともなれば致命傷を受けかねない。

というか目の前の男はその毒を喰らっていながらなぜ平気そうな顔をしているのだ?


「助かっタ違ウ。その皿本来ナラ俺ガ食べル。俺のせイ」

「いやそれは違う! 誰のせいかと言うならばお主に毒を喰わせようとした者の責であろう!」

「それハそウ」


デッスロのもっともな言い分にクラスクもこくりと頷いた。


「だが一体誰が…? 他の者はこの皿を喰らって…いるな」


デッスロが見る限りクラスクと同じ皿を配膳され既に口をつけている者は半数以上いる。

クラスクは質問攻めに遭って手を付けるのが遅れただけで、皿自体は少し前に既に配り終えられていたからだ。


「同じ皿を配られクラスク殿だけに的確に毒を喰わせようとするなら…料理人には無理だな。配るのは給仕だ。とすれば給仕の者の仕業か」

「或イハ料理人ト給仕がグルかダナ。ちナみに俺に皿を配っタのハあの女官ダ。左から三番目の背の高イ女ダナ」

「よく覚えているな!」

「女の事ハ忘れン。オークダからナ」

「成程、納得した」


クラスクとデッスロが小声で囁き合う。

現在この食堂は壁際に兵士が詰め、入口を兵士たちが塞いでいる。

指揮をしているのは翡翠騎士団団長ヴェヨールである。

彼の指揮権は翡翠騎士団団員のものであり城の兵士は管轄外であるが、宮廷とは王の宮、国王直属の騎士団長である彼にはこうした時に臨時で彼らに対する指揮権が与えられるのだ。


現在クラスクに給仕した女官は兵士たちに背後を塞がれ逃げ場がない。

捕らえるだけなら簡単なはず…なのだが。


「オイ見ロ。少シ不味くナイカ」

「! ……いかん! おい兵士達、その女を止めろ!」


クラスクとデッスロが反応した時にはもう遅かった。

デッスロが指さした先、その女官は口の端から血を流し崩れ落ちる。


「毒か……こうした事態に備えあらかじめ口の中に仕込んでおいたのだな」


兵士たちが慌てて駆け寄った時にはもう遅かった。

女官は目を見開いたまま、うつろに天井を見つめこと切れていたのだ。


「女を使い捨テにすルトハ…勿体ナイ」


クラスクは実にオークらしい感想を漏らしつつ周囲の状況を確認する。

食堂は混乱に混乱を来しており、なかなか収集がつきそうにない。

まあ己の目の前にある皿に、或いは自分が既に食った肉に毒が入っていたかもしれないとなれば混乱するのは当たり前だけれど。


クラスクは女の様子をちらと確認し、もはや助かるまいとすぐに断じた。

なぜならこの場に大司教ヴィフタとやらがいないからである。


大司教がこの食事の席にいないのはおそらく犯人によって遠ざけられたからであって、なぜ遠ざけられたかといえばクラスク自身の殺害が成功したときに蘇生が間に合わぬようにするためだろう。

とすれば彼女の死もまた覆せないということになる。


おそらくイエタと同じく死後ある程度時間が経過してしまった対象への蘇生は試みること自体ができぬ、といった制約があるのではなかろうか。


「あの娘が黒幕のはずはなかろうな。当たり前の話だが」


デッスロはそう呟きつつも、内心犯人の目途はついていた。


クラスクが口にしたという毒。

おそらくあの女官が己の口腔内に仕込んでいたものも同じだろう。

毒と言っても種類は様々で、ひと飲みしただけで効果を発揮する即効性を有しそのまま対象を死に至らしめる毒と言うのはなかなか存在しない。

あったとしたら相当な…いわゆる猛毒、と呼ばれる部類のものになる。

それほどの高度な毒はそう簡単に用意できるものではない。


そんな劇毒を用意できる人脈。

女官に自死を含めた今回の行動を強要できるだけの権力。

毒の検知と解毒とに優れた大司教と犯人探しに向いた大魔導師をこの会食の席から遠ざけておく周到さとその手回しができるだけの知略。


クラスクを亡き者にさえすればあとはどうにでもできるという強引さ。

そして彼を殺害したい強い強い動機。

それらすべてが、犯人が彼しかないことを示している。



…秘書官トゥーヴ。

彼が今回の毒殺未遂事件の犯人に他あるまい。



考えてみればこの食堂に来る前から彼の行動は少しおかしかった。

会食の間に移動する際彼だけ別行動だったし、デッスロがクラスクの隣に座った時も妙な顔をした。

そして彼が目の前の皿から肉を喰おうとした時にクラスクと同時に反応した。


これはおそらく本来クラスクに喰わせるはずの肉をデッスロが口にしてしまいそうになったアクシデントのためだろう。

そんなことになればこの国の国防に重大な損傷を受けることとなる。

もっともこれはクラスク自身によって防がれた。

もしそうなら皮肉にも殺害しようとした当のクラスク自身に救われた形になるけれど。


とはいえ策謀に長けたトゥーヴの事である。

クラスクが席を移動する程度の事は予測して対策を立てていたのかもしれないが。


ただ仮にトゥーヴが主犯だとしても問題がある。

現状あらゆる状況証拠が彼を犯人であることを示してはいるが、彼を犯人だと決めつける物的証拠がない。

あの女官と彼を繋ぐ接点が何もないからだ。


ヴォソフとヴィフタの二人を遠ざけたのはおそらくクラスクを殺害したのち少しでもヴィフタに診させる時間が欲しかったのだろう。

死者の蘇生だけでなく解毒の奇跡もまた時間経過と共に困難になってゆくからだ。


ただもし手遅れだったとしても占術により犯人を暴ける可能性はある。

だがからもしやしたら時間をかける事で証拠を隠滅できるなんらかの魔術的処置を施しているのかもしれない。


この街の魔導師と聖職者を統べているヴォソフとヴィフタの二人に知られることなくそうした準備を整える方法など、デッスロには皆目見当がつかなかったけれど。


財務大臣ニーモウがやってくれたな、といった表情でトゥーヴを睨みつけるが口には出さぬ。

万が一潔白だった場合、或いはどうにかして証拠を隠滅されてしまった場合、無実の相手を糾弾する事になってしまう。

政治的にはそれは大変よろしくない。

相手に借りを作る事になるからだ。


そして前者はともかく、後者であればトゥーヴは達成しかねない。

つまり今回彼を失墜させる方法はほぼないと言っていい。

ニーモウは歯噛みをするがそれ以上の追及はできなかった。


国王エルスフィル三世はトゥーヴの蛮行を目の当たりにして後悔していた。

おそらく先刻のクラスクの手紙が彼のこの行為の引き金となった。

クラスクを殺害しない限りもうどうしようもないと思い極めての末の最後の手段だったのだろう。


混乱するこの食堂を鎮静化するためには己の言葉が必要だ。

エルスフィル三世が重い口を開こうとしたその時…


「…国王陛下」


クラスクが、彼の方に体を向けて、丁寧な口調で語りかけた。


ざわついていた周囲の声がみるみると小さくなってゆき、やがてしんと静まり返る。





毒殺の標的とされたクラスク(なぜか生きている)と、彼らの代表であるこの国の王エルスフィル三世。

その二人の会話に皆が一言一句聞き漏らすまいと口を閉じ耳を傾けた。




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