第615話 運命の皿

「我が名はデッスロ。この国の軍務大臣を務めておる」

「デッスロ。アンタがそうカ」

「知っているのか?」

「噂ダけナ。相当強イト聞イタ。

「剣を合わせたわけでもないのにか?」

「アンタくらイノ腕、斧を合わせル前に見テわかル程度ジャナイト俺ハここに立テテナイ」

「ハハハハハ。ずいぶんな買い被りだが有難い!」


ずいぶんな偉丈夫だが険は感じない。

目つきは鋭いがクラスクに殺気を向けているでもない。


その男…デッスロはクラスクの隣、にどっかと座った。


「武術での背合わせにも興味があるが、今は礼を言いに来た」

「礼……?」


クラスクの怪訝層の顔にデッスロはニヤリと笑って答える。


「ひとつは無人荒野だ。あの地を解放したのはお主らなのだろう。おかげでだいぶ助かっている」

「アア…ドルムの食料問題カ」


言われてクラスクは思い出した。

かつては街の者と北の衛星村以外にはろくに使われていなかったはずのクラスク市の北門の利用状況が大いに変化していること。

そしてそれはクラスク市のずっと北にある軍事都市ドルムへ向かう荷馬車であることを。


「気にすルナ。あれはうちの街が自衛デやっタ事ダ。ドルムへの道が安定シタのハタダの結果ダ」

「たとえそうだろうと助かったことに変わりはないのだ。この通り、礼を言わせてくれ」


デッスロが頭を下げ、文官達から驚きの声と囁きが漏れた。


軍務大臣という立場にある者がクラスク市の代表に頭を下げたのである。

未だどのような決着になるかわからぬ案件を抱えた両者の間でそんなことをすれば折衝の結果にすら影響を与えかねない。

ゆえにそうした行為は厳に慎むべきなのだ。


そもそもそんなことをすればあの秘書官が黙っているはずがない。

黙っているはずが…



…だのに、なぜか対岸の席から反応がない。

秘書官トゥーヴは彼ら…クラスクとデッスロの二人を睨みつけたまま、まるで石にでもなったかのように固まっていた。



だがそんな些末はさて置いて、ともあれデッスロは感謝は感謝と当たり前のように頭を下げる。

その素朴さをクラスクは好もしく感じた。


「出身ハ」

「ここより東。巨獣の巣モッシ ズロース ドースと呼ばれる山脈を越えた先にあるイゼッタ公国だ」

「イゼッタ…」


クラスクにとっての外交とはそのほとんどが己の街を領土の内に擁するアルザス王国と侵略の牙を研ぐバクラダ王国、そして西の多島丘陵エルグファヴォレジファートの諸小国群であって、そこから外れた国についてはあまり意識したことはない。

ないけれどその国の名は確かに聞いた覚えがあった。


「思イ出シタ。ウチの甜菜の原産地カ」

「おお! 我が国の特産を栽培しているのか!」

「シテル。窒素固定に有用ナノト砂糖が取れルからナ」

「むう…そうなのか。根から甘い汁が取れる事は知っていたがあれが砂糖になるのか」


そう、甜菜の原産地だからとて砂糖の産地になれるわけではない。

なにせミエの世界でも甜菜から砂糖の結晶が取れるようになったのは近世に入ってからだ。

それまでは甘い汁を煮詰めたどろりとした液体…いわゆるビートシロップとしての活用が主だった。

さらにそれより以前ともなれば、甘味どころかそもそも葉を食べるために栽培されたのである。


正直甜菜の葉は食用にするにはあまり美味しくはないのだけれど、寒冷地に強い作物というのは割と希少であり、甜菜の栽培が盛んな地域ではそもそも他の選択肢がなかったことも多かったようだ。


「色も違うしそもそもシロップを乾かしても砂糖のようにはならんぞ」

「色ハ活性炭デ白くデきル。砂糖ノように…つまり結晶化カ。結晶化はちょっトコツガイルナ。一番簡単ナのハ既に結晶化シタ砂糖をビートシロップに加えテ……」

「ふむふむ、ほうほう」


自国の特産品から砂糖が造れると聞きがぜん興味が湧いたらしきデッスロ。

クラスクがテーブルの上に描く図に相槌を打ちながら熱心に耳を傾ける。


軽く興奮をしながらワインを煽った彼は、空腹を覚え目の前の皿の肉にフォークを突き立てた。

まだ誰も手を付けていないのだし、このままいただいてしまおう…



同時に、二人の人物が動いた。



秘書官のトゥーヴが無言のまま立ち上がる。

だがそれより一瞬早く、クラスクがデッスロの方に首を向け彼の所作に目を止めた。


「やめテおケ」

「うん?」


言葉の意味がわからず、デッスロは首を捻る。

クラスクはじいと彼の手先を見つめながらわずかに逡巡していたが、やがて詮方なしと行動に移した。


「御無礼を承知デ失礼つかまつル」

「む? なにをする」


クラスクは…突然デッスロの腕を取ると、彼が手にしたフォーク、その先端を己の方に向け、突き刺さっている牛肉をそのまま咥え込んだ。


一瞬の出来事。

あまりに礼を逸した行為。


これまでの礼儀正しい彼の姿を見て感心していた周囲の文官どもはそのあまりに例を逸した行為に目を見開いて、やはり野のオークに毛が生えた程度の男かと少し失望した。



……次の、クラスクの言葉を聞くまでは。



「ウン。美味イ。美味イガ……。アンタハ喰わん方がイイ」


最初は小さなどよめきが…すぐに大きなざわめきが食堂に広がった。


食事をしていた者達は怯えたようにテーブルにフォークとナイフを置き、目の前の肉料理を恐怖の眼で見つめる。


「本当なのか」

「ここデ俺が嘘言ウメリットが何一つナイ。いたずらにうちの街の信用下げルダケ。疑ウなら牛カ馬にデモ喰わせテ確かめればイイ」

「確かに」


クラスクのもっともな言葉にデッスロは大きく頷いた。

確認すればすぐに真実がわかることに対しこの場で嘘をついたところで彼の利になることは何もないはずだ。


「それトお前達ハそのまま飯食っテ大丈夫ダト思う。猛毒ダからもしお前らの皿に入っテタラトっくに死んデル。ダから心配ナイ。

「「「あ……!!」」」


そう。

そうだ。


クラスクはさきほど己に質問をした文官にわかりやすく説明するために己の席からひとつ横に移動した。

そして空いた席にデッスロがどかりと腰を落とし、そこにあった皿の肉を食べようとした。



つまりその肉を本来食べるべき相手は…クラスクに他ならぬ。



「全員その場から動くでない」


自らもクラスクに色々聞きたいことがありながら、彼と文官たち、そして財務大臣ニーモウや軍務大臣デッスロとの会話に興味深く耳を傾けていた国王アルザス=エルスフィル三世が厳かな声でそう告げて、一同の動きが止まる。


クラスクを監視していた四人の兵士たち…彼らの一人が食堂の外に飛び出すと、僅かな間に兵士たちがどかどかと入って来て食堂の周囲の壁にずらりと立ち並び、入口を固めた。

誰一人逃げられぬように、である。


「ヴォソフとヴィフタはどうした」

「今大至急呼び出しております!」


そうなのだ。

先ほどの謁見の間からこちらの食堂へ、がそのまま移動した。

数少ない例外の数人、その中に宮廷魔導師ヴォソフと大司教ヴィフタが含まれていたのである。


犯人探しに役立つであろう大魔導師ヴォソフ、

毒の探知や解毒に力を発揮するであろう高位聖職者のヴィフタ。

その二人が判を押したように、今この場に不在なのである。



混迷を極める食堂。

殺気立つ兵士達。






反抗に用いられたのは猛毒。

標的は大オーククラスク。

アルザス王国の宮廷で発生した……オーク殺人未遂事件である。




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