第598話 水面下の戦い
宮廷魔導士長ヴォソフに関しては話は簡単だった。
そもそも以前にクラスク市は街の財源にて大幅な補填をするという条件で魔導学院の誘致をヴォソフに打診している。
しかも主たる建材はクラスク市側の魔導師が全て無料で調達するという破格の条件である。
既存の街への魔導学院建造計画のうち有望そうなものは既にあらかた交渉を終えている。
未だに学院が未建造の街は予算の問題や地元住民との軋轢で建造計画は難航しており、この地方におけるこれ以上の学院建設は難しいとされていた。
そこにきて新たに誕生したクラスク市側からの学院誘致の申し出でがあり、それがヴォソフの口利きで通ったことで彼の功績としてカウントされたのだ。
魔導学院総本山たるエーランドラ魔法王国が認める各国の大魔導師、魔導大学院十七賢人の一人に名を連ねるヴォソフはその功により新たな特権を得るに至った。
当人はただ許諾の言葉と印鑑を押しただけなのだが。
となればヴォソフがクラスク市に、そしてその市長たるクラスクに大きな感謝と好意を抱くのは当然の帰結と言えるだろう。
しかも彼らはかの赤竜の、年経たことでたっぷり魔力を含んだ竜の素材を大量に所有している。
それを優先的に入手できるだなどと持ち掛けられれば、彼らに積極的に手を貸すのも吝かではない。
恩義の面でも利得の面でも、ヴォソフがクラスク市に与さぬ理由がないのである。
…一方で大司教ヴィフタ・ド・フグルの方はどうだろうか。
彼はこの国のすべての町の教会を管轄している。
全ての宗派の教会を、だ。
人間族が信仰するのは太陽の女神エミュアであることがほとんどではあるが、アルザス王故国全土を見ればそれ以外の教会もちらほら存在する。
主にノームたちが信仰する知恵の神ゼアルや、
信仰する神々の教会がそれであり、彼はそのすべてを管理している。
さて、この地から魔族を追い出すためにあらゆる国々が種族の壁を越えて手を取り合って連合軍を組み、力を合わせて彼らを打ち払ったことは以前に述べた。
そしてバクラダ王国の横暴を止めるため、各国がこの国の宮廷に己の国の代表をねじ込んで、バクラダ貴族から王になった初代国王に対抗せんとしたことも以前に述べたはずだ。
ただ、この両者にはあえて触れていなかった大きな齟齬がある。
魔族を打ち払ったのは近隣のあらゆる
だがこれまでに述べた宮廷勢力図、バクラダの専横を止めんとしてこの宮廷に己の国の代表を派遣した各国とは人間族の各国だった。
ならば……異種族たちの、人間族以外の種族の代表はどこへ行ったのだろう。
そもそも人間族以外の
バクラダ王国とは他国を併合し手に入れた富や人員で軍備を拡張し、拡大した軍隊を維持活用するためまた他国を侵略し…を繰り返してきた軍事国家である。
魔族を相手にする時は頼もしい戦力ではあるのだが、それ以外の時代に於いてはとても危険な、要注意国家である。
だが拡大を続ける彼らが狙いを定めるのはより国を栄えさせるための、国を富ませるための標的だ。
つまり広大な土地、耕しやすい平野を有する国が望ましい。
一方人間族以外の
そしてほとんどの種族が人間族より寿命が長く、己の種に誇りを持っている。
迂闊に攻め入れば彼らは命がけで抵抗するだろうし、強引に攻め滅ぼしても人間族が住みやすい土地はほんのわずかだ。
そして寿命の長い彼らは自分たちの国を滅ぼした相手をいつまでもいつまでも忘れず、ことあるごとに反抗や反乱を起こすだろう。
つまり労多くして実入りが少ないそれらの小国家にバクラダ王国が食指を伸ばす危険は少なく、よって他種族の者達はバクラダ王国を過剰に警戒したりはしなかった。
ただし……彼らはバクラダ王国を過剰に敵視はしなかったけれど、人間族の国家それ自体は大いに警戒していた。
人間族は寿命が短い代わりに繁殖力が高く、人口をあっという間に増やしてゆく。
そしてその増えた人口を養うためにより大きな国土を求め、先へ先へと進出してゆく。
先祖代々の土地に住み暮らし、千年前からろくに人口が増えていないことも珍しくない他の種族にとって、人間族のその性急すぎる生き方は驚嘆であり脅威であった。
ゆえにバクラダを止めるため、というよりもむしろ人間族の国家に
国家としての規模が小さすぎる彼らが送り込める役職はせいぜいひとつかふたつ。
その席に多くの種族の中から代表して何者かを据えねばならぬ。
各種族の代表が合議を重ね、人間族と比較的友好的な三種族、すなわち
まず真っ先に候補から外れたのは
彼らは政治にあまり興味がなく、人間族の蛮行を気にせず看過してしまう可能性があったからだ。
ノーム族は知性と知恵に優れた種族ではあるが、好奇心が強すぎて己が与えられた本分よりもそちらにかまけてしまう危惧が捨てきれないため(彼ら自身がその結論に太鼓判を押して大いに賛同した)、これまた候補から外れた。
そうして最終的に残った候補が
また生来の高い信仰心から神聖魔術を扱える者が多く、この世界の国家を運営するうえで不可欠な役職である大司教…国の教会たちを一括に管理する大任…を任せるのにもうってつけであった。
そう、大司教 ヴィフタ・ド・フグルは
そのゆったりとした法衣は彼の恰幅の良さを示すだけではなく背中の羽を内に収めるためのものでもあったのだ。
見た目は三十代程度、と述べたがそれもあくまで人間族換算である。
実年齢なら既に六十近い年であり、宮廷魔導士長ヴォソフより年上だ。
そしてリィウーの信者として、彼はクラスク市に大いに感謝していた。
なにせクラスクがかの赤竜退治について語る際、空の女神の加護によって勝利を得たと豪語し、喧伝していたからである。
近隣の街などではその話を聞いてリィウーに改宗する者も少なくなかったし、なによりクラスク市自体でその信者が爆発的に増えた。
…その主な信者はオークどもだった。
大概の
つまり地上のオーク達には信仰している神がいなかったのである。
そこに強大な赤竜を退治してのけたクラスクがそんなことを言い出したものだから、彼らに間に女神リィウーを信仰するものが激増した。
もっとも彼らのリィウーに対する信仰は空の女神のそれよりはむしろ勝利の女神としてのものではあるが、信仰は信仰、信心は信心である。
オーク達は性質的に魔術の適性が低く、いくら信仰したところで神聖魔術を扱えるようになる者は極めて稀だ。
ただその信仰が彼らにとって全くの無益というわけでもない。
神聖魔術は誰相手でも効果を発揮するが、信仰心の高い者の方が、そして同じ神を信仰している者の方がよりよく効く。
信仰によりその神との波長が合いやすくなり、結果魔術との親和性が高くなるためだ。
大怪我などが治りやすくなれば戦闘に於いて格段に有利となる。
ゆえにオーク達は熱心にリィウーを信仰するようになり、結果教会が足りなくなって街の各地に教会が建造される事態にまでなった。
信仰の強さは神の強さである。
人間族以外の種族はその人口が爆発的に増えるような事は殆どなく、結果神が求める信仰心もある程度で頭打ちとなってしまう。
その信仰心を爆発的に増やしてくれたクラスク市を、だから
宮廷魔導師長ヴォソフと大司教 ヴィフタ・ド・フグル。
二人は確かに秘書官トゥーヴとの会談に於いてこう約束した。
『この国の為に全力を尽くす』と。
だが彼らにとって『この国のため』とは即ちクラスク市を存続させること。
あの街とこの王国との仲を可能な限り友好的な状態で着地させることだ。
その意味で彼らがトゥーヴに対して述べた言葉には一切の虚偽は含まれていない。
そう……己を冤罪の罠に陥れんとする最大の脅威たちを、クラスクはこの謁見に臨む遥か以前、既に己が薬籠中としていたのである。
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