第599話 問答

「貴様ァ……!」

「トゥーヴ。もうよい」


なおも舌鋒を研ぎ澄まさんとする秘書官トゥーヴを制したのは国王アルザス=エルスフィル三世の重々しい声だった。


「ハ、いえしかし…」

「彼の身の潔白はヴォソフとヴィフタの二人が証明してくれたではないか。当座はそれでよい。下がれ」

「ハハッ!」


王にそこまで言われてはいかに秘書官と云えども一旦は退かざるを得ない。

彼は苦々しげな顔でこの宮廷が誇る大魔導師と大司教を睨みつけながら壁際に下がった。


ヴォソフとヴィフタの二人もまたクラスクに頭を下げて元の場所に戻る。

とりあえずの難事を切り抜けた事でクラスクは内心ほっと息をついた。


「クラスク殿、ひとつ尋ねごとをしても良いかな」

「ナンダ」

「貴様ァ! 国王陛下の御前であるぞ! 王に対する敬意が足りん!」


国王が静かに口を開き、クラスクが答える。

だがクラスクの返事に即座に秘書官トゥーヴが噛みついた。

少しでもクラスクの失点を稼いでおきたいのだろう。


「王?」


だがクラスクの態度は揺るぎない。

視線をトゥーヴの方に向けて、オーク族らしい獰猛な、鋭い歯を剥きだしにする。


「ここにイルノハダ。ジャナイ。もし俺ノ王様にシタイならが間違っテナイカ?」

「ぐ……っ」


そうなのである。

クラスクはこの謁見の間に入るとき『オーク族、クラスク様』と紹介された。

もしクラスク市がアルザス王国の支配下にあり、クラスクが王の下の封建領主であるならば、あそこで『アルザス王国バクザン領領主、オーク族クラスク殿』と紹介しなければならぬ。


実は王国側にはもあった。

紹介の時点でクラスクを自分の配下と宣言し、なし崩し的に彼を取り込まんとする手段…駆け引きもあったはずなのだ。


この方法、実はクラスクの側にもメリットがある。

以後アルザス王国の一員となり王国の領主としての責務を負わなければならず、税の一部を国に納めなければならぬ代わりに、クラスク市は王国側から公的に認められた都市となり、互いの軋轢は解消される。

つまり一方的な宣言ではあるが政治的見地からクラスク側がその宣言を飲みそのまま謁見に臨む可能性も決して低くはなかったのだ。


だが彼らはそうしなかった。

クラスク市を……少なくともでは認めず、クラスクを手紙の招きに応じた一個人として扱った。

まあオーク族であるクラスクを個人とはいえ王宮内に招いたこと自体が既に破格ではあるけれど、ともあれそれ以上踏み込もうとはしなかった。


つまりクラスクは現状アルザス王国の領主でもなければ臣民でもない。

ゆえにアルザス王国国王エルスフィル三世は彼にとって単なるに過ぎぬ。

己の王として敬う必要はないのである。


これに関しては秘書官トゥーヴの責任も少なからずある。

クラスクを市長と宣言する事はいわば彼をを領主として認めるという事だ。

かの地をアルザス王国侵略の足掛かりとしたいバクラダ王国にとって、クラスクとあの街は討伐の兵を挙げるべき存在でなければならぬ。

アルザス王国に盾突く抵抗勢力であってもらわねば困るのである。

ゆえにトゥーヴは方々に手を回して、先の宣言内容にこぎつけた、というわけだ、


「……ダガ己の王デなくトモこの広い領土の王ダ。それに敬意を表すルのハ確かに大事ダナ。デハドノような御質問デすカナ国王陛下?」


が、ここはクラスクがあっさりと折れた。

己の非を認め口調をスッと変えてのけ、その巨躯を折り曲げうやうやしく頭を下げる。

彼の巧みな弁術とその対応に、周囲の文官たちから小さな驚きの声が上がった。


クラスクとしては立場上ここで迂闊に下手に出るわけにはゆかぬ。

へりくだって王におもねればこの会談の様子はのちにこう語られる事になるだろう。



国王陛下の威光に伏し、オーク族クラスクは自ら兜を脱いだ、と。



クラスクが実際どう思っていようと関係ない。

言葉と態度次第では周囲はそう受け取って、そしてその噂はすぐにでも隣国に広まるだろう。

なにせ国王同士であれば魔導師の手を借りて瞬く間に情報伝達ができるのだ。

そうなればクラスク市はのちの外交政策に於いて他国から足元を見られかねない。

『自治都市を謳っていても所詮アルザス王国の飼い犬に過ぎぬ』という印象がついて回るからだ。


ゆえにクラスクは喩え四面楚歌のこの状況であっても迂闊に相手の下風に付くことはできぬ。

だが高圧的に出れば無礼と見做されこれまた評価が下がってしまう。


最善なのは国王エルスフィル三世の威に伏さず、その上で言葉遣いを改める事だ。

そして彼はそれを他国の王のへの敬意、という形で示してのけた。


己を下に置かず、それでいて王への敬意もしっかり示す。

実に正しいである。

それをこともなげにしてのけた事に文官たちは大いに感心したわけだ。


「貴様口答えを…!」

「よい。トゥーヴ、控えよ。二度言わせるな」

「は……っ」


なおも言い立てようとする秘書官を国王は片手で制した。

秘書官トゥーヴはむっつりと唇を曲げて大人しく下がる。


「話を戻してもよろしいかな。クラスク殿」

「問題ありマセンナ。国王陛下」


少々妙な言い回しだが国王への敬意は確かに感じられる。

そもそもトゥーヴほど彼の口ぶりをに気にしていないエルスフィル三世はそのまま言葉を続けた。


「何故汝はあの地に街を造ったか」


ざわり、と文官たちがざわめいた。


『オーク族が街を造る』


そんな荒唐無稽な話を実現させてしまったその巨躯たるオーク。

彼らもまたその話をこそ聞きたかったのだから。


「……オーク族ハ長イ間女ガ殆ド生まれテナイ。村によっテ差はあルガ少なくトモううちの村デハここ数十年一人モダ。ダから種族を維持すル為にハ他種族の女性が必要ダッタ。オーク族はダから、他種族の娘と子を為してもオークの子が生まれル。例外は人間族トの間の子供ダけダ」


それについては王国側もある程度把握はしていた。

略奪を繰り返すオーク族の集落を殲滅させたとき、そこにいたオーク族が男ばかりだったからだ。

女性は攫われた娘達のみだったのである。


異なる人型生物フェインミューブ同士の間子が産まれた場合、この世界では必ずどちらかの種族の子が生まれ、いわゆる『ハーフ』にはならない。

人型生物フェインミューブが神の似姿としてかたちどられ生まれたため、その姿を乱すのは神に対する冒涜だ、という世界法則があるためである。


例外は女神エミュアの生み出した人間族のみ。

人間族は平均的な能力を持つ種族であり、他の種族より勝った点は殆どないが他種族のような明確な欠点もない。

ゆえにもし人間族との間の子が両者の特徴を備えていた場合、その子を抱える事で各種族は『自分たちの種族だけでは解決できぬ種族的欠点に対する抵抗力』をつける事ができるようになる。


太陽の女神エミュアはそのメリットを神々に説き、最終的に他の神々はそれを受け入れた。

結果として人間族のみは他の種族と子を為した場合両者の特徴を備えた『ハーフ』が生まれる事となった。

いわば神々同士の契約の結果、世界法則に後付けされた、例外事項なのだ。


ともあれオーク族と人間族の間で子を為せばハーフオークの子が生まれ、そしてそれ以外の種族との間に子を為せばそのどちらかの種族が生まれる。

そしてそのほとんどの場合……オーク族と(人間以外の)他種族の間の子はオーク族となる。


こうした他種族間の子の種族の偏りは別にオーク族に限った話ではない。

どの種族とどの種族が子を為した場合どちらの種族がどれくらいの割合で生まれるのか、というのはある程度決まっており、これを種族間のと呼ぶと以前にも述べた。


こうした『綱引き』の偏りの理由は大概の場合神話にその答えを見出す事ができる。

例えばこの神はこの神と戦って負けたとか、或いは知恵比べで後れを取ったとか、そうしたなんらかの優劣がついた場合、勝者となった神の方の種族が生まれやすくなったりするのである。


人型生物フェインミューブは神々の似姿であり、同じ姿をした者は自然とその神を信仰する事が多い。

そして己に捧げられた信仰心は物質的な肉体を持たぬ神々の力の源である。




それだけに他種族同士の子がどちらの種族で生まれるのかというのは神々にとって死活問題であり、ゆえに力や知恵で勝る神の生み出した種族の方が己の姿を模した子を造りやすくなる、という理屈だ。

言うなれば異種族同士の出生種族の差は神々同士の力関係の縮図と言ってもいいだろう。




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