第596話 妖術使い
ざわめく宮中。
小声の囁きがあちこちで飛び交う。
二百年近く前、数々の苦難を乗り越え遂に伝説の魔竜殺しを手にした勇者フォリアグン。
各地で暴れまわり略奪を収奪をほしいままににしていたかの邪竜イクスク・ヴェクヲクスを打ち倒し、この世に平和をもたらしてくれるに違いないと当時の民衆は強く期待し、希望を抱いていた。
だが奮戦むなしく彼は赤竜に敗れ、その遺体を貪り喰われ、
けれど多くの民草は彼の名を忘れる事はなかった。
命を落としたとはいえ、フォリアグンもまたその聖剣でかの魔竜に大きな打撃を与え、長い休息と早き休眠に追い込んだのだから。
こうして次の休眠期明けまでこの地はつかの間の平穏を手に入れた。
傷を負った今こそが好機と多くの勇者や冒険者がかの赤竜を討伐戦と挑んだけれど、そのほとんどが帰ることはなかった。
なにせ休眠中の魔竜を討伐するためには空に
そう、当時アルザス王国は未だ瘴気満ちたる魔族の地。
平地を使えぬ彼らが赤竜に挑むには、険しい険しい山越えを以てしか術がなかったのである。
そんな悲劇の英雄が有していた伝説の剣が、今この宮中にある。
しかもそれはそのオークの手から離れる事を嫌い、空を飛空し己が抜き放たれた鞘の内へと自ら収まった。
魔竜殺しは魔力を帯びた聖剣であり、その内に知性と人格を宿し己の主を選ぶのだと言い伝えられている。
フォリアグンの苦難に満ちた冒険も、その剣に自らを認めさせるための旅だったとすら言われているほどだ。
本日の宮廷にも参列している吟遊詩人…庶民御用達の
その剣の性質は善良にして、高貴にして、高潔たる。
彼女が認めるあるじは真の勇者のみ。
即ちその胸に勇猛を宿すもの。
その心に正義を燃やすもの。
そしてその魂に善を刻むもの。
そうした者のみを彼女は勇者と認め、湛え、自らその者の鞘に収まり、その手に馴染むのだと言い伝えられている。
そして己が認めぬ相手が無理に扱おうとすれば、彼女を掴んだ手はまるで酸でも浴びたかのように火傷するのだとも。
つまりその伝説の聖剣に認められたこの巨躯なるオークは、本当に善良な心を持った勇者で、かの赤竜を倒してのけた英雄なのでは……?
「国王陛下の御前でなんたる蛮行を! 抜き身の剣を宮中で振り回すなど!!」
だがその空気を由とせぬ秘書官トゥーヴが激昂を以てそのざわめきを鎮めた。
もちろん彼は目の前で空飛ぶ剣を目にするまでかの名高き聖剣が薄汚いオークを己の主と選んでいたなどとは信じていなかった。
仮に目の前のオークがかの魔竜を討伐したのが真実であったとしても、その剣は単に財宝の山から手にして、その名声を利用して所持しただけだと思っていた。
思ってはいたけれど、そうでない可能性もまた捨てきっていなかったのだ。
かの聖剣には己の意思があるという。
意思があるから剣の側が主人を選ぶだなどという事態が発生するのだ。
己の意思があって主を選べる剣ならば、己の主に相応しくないと思った者の元からは去ってしまうのでは?
ならば魔竜を倒したと彼が自称している時期(実際には吟遊詩人などが勝手に喧伝しているだけで、クラスク自身が宣伝しているわけではないのだが)からそれなりの時間が経過していて、なおもそのオークが身に着けているなら、その聖剣が万が一でもそのオークを主人と認めている可能性がある。
可能性があるのなら対策をしなければならぬ。
もちろん売名の為に逃げられた聖剣の替わりに偽物を身に着けている可能性もあった。
だがそれは彼が自らこちらの王都へ赴いたことでほぼ消えた。
魔術で鑑定すれば本物かどうかなどすぐに判別できるのに、わざわざ偽物を誂える意味がない。
その程度の知能と策謀を相手が有している事を、トゥーヴはとうに把握していた。
聖剣が本物なら目の前のオークは剣に選ばれるだけの存在だという事だろう。
だから高潔な魂を持ち正義の心も持っているのかもしれない。
だがわかってはいてもそれをわかるわけにはゆかぬのだ。
バクラダの為にクラスク市の忌々しい城壁がそびえているあの地がどうしても必要で、そのために彼の存在が邪魔だというのなら、目の前のオークは薄汚く粗野な乱暴者であってもらわねばならぬ。
仮にそうでなくとも彼を処分した後そうであったことにしなければならぬ。
それが政治というものだ。
「剣を勝手に浮かせるだなどと貴様妖術使いか! オークの身でありながら村落を造るだなどと怪しいと思っていたがそのような力があれば納得よ! 己の武器を奪われぬようにと抜身の剣を操り宮中で振り回すだなどと無礼千万! 衛兵ども、きゃつを取り押さえろ!」
なんとも横暴な物言いだが、もし彼の言う通り今の剣の動きがクラスクのなんらかの術によって為されたものであれば、賓客相手に相当無礼な物言いでこそあるものの話の筋自体は通っている。
国王アルザス=エルスフィル三世は最初にトゥーヴを制止はしたが、それ以降の言動については強い言葉で止めはしなかった。
まるでトクーヴの片棒を担いでいるような態度だが、実際には少し違う。
国王は対立する両者の互いの主張と互いの策謀、そしてお互いの臨機に於ける応変を、すなわち二人の対処能力を上から見下ろしてじっくり吟味しているのだ。
彼はそうして皆の論戦を我関せずと傍観しながら時折口を挟み、知らぬ間に己の望む結末へと導く流れを作り出してゆく術に長けていた。
そしてそのついでに誰が誰の味方をし誰をこき下ろすのかを観察し、宮廷内の勢力図を常に把握するよう努めているのだ。
「フム、成程。妖術トきタカ」
兵士たちが槍を構え己の周囲を取り囲むのを眺めながら、クラスクは腕を組んで考え込んだ。
いや考え込む風を装った。
「確かにさっきのガ俺の力なら危険行為ダナ」
よくもまあこんな矢継ぎ早に難癖をつけられるものだとクラスクは素直に感心する。
なにせクラスク市を運営する連中は知性知恵知識どれをとっても優秀な人材ばかりだが、いかんせん腹芸に長けた政治家タイプが少ない。
できるとしたらせいぜいキャスくらいだろうか。
ゆえにこうした他者の弱みに付け込むような人材もまた不足気味なのである。
いやまあ、そういう人材が欲しいかどうかはともかくとしてだ。
「お前ハ黙っテロ」
カチャカチャ、と鞘から飛び出そうとする剣の柄頭を押さえつけるクラスク。
もし放っておいたら即座に天井近くまで吹っ飛んで、そのままあのヒショカンとやらを突き殺…しはしないかもしれないが、それに近い恫喝はしかねない。
どうもクラスクを粗略に扱うと機嫌を損ねるようなのだ。
クラスクを
「妖術カ。俺が妖術使イダト?」
「そうでなくばそんな手品まがいの真似はできまい」
妖術…それは怪物などが有している特殊な力だ。
例えば念じただけで相手の考えていることを読んだり、指先から電光を放ったり、己の周囲を茨で覆ったり、といった凡そ通常ではあり得ぬことを引き起こす力が妖術である。
炎を吐く≪竜の吐息≫や見た者を石に変える≪石化の視線≫などはその者が生来有している身体機能であって、これらは妖術には当たらない。
妖術とはイメージ的にはむしろ『精神集中のみで発動する、詠唱の必要がない魔術行使』に近いものと考えればいい。
かの赤竜も探し物を見つけ出す妖術を有していたと言われており、それで様々な財宝財貨を探し出しては奪い去って行ったという。
ただ魔術に似ている、というのは些か順序が逆転しているかもしれない。
魔導術の中には怪物どもが用いるそうした妖術にヒントを得て類似効果のものを開発した、といった経歴を持つ呪文も少なくないからだ。
ともあれクラスクは今や妖術使いのレッテルを貼られ、宮廷を荒らさんとした汚名を着せられようとしていた。
実際には剣が勝手に主人の所へ戻ってきただけなのだけれど、流石に言葉の喋れぬ剣を証言台に立たせるわけにはゆかぬ。
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