第601話 進むもの

「そうダナ…」


トゥーヴの鋭い舌鋒に、クラスクは鷹揚に頷いた。


「確かにお前の言う通りダ。俺が立つマデウチの村にも略奪はあっタ。村にイタ娘達モ攫っテ来タ娘ダケダ」


そう語りながらクラスクは思い出す。

そうでない娘が一人だけいたな、と。


何を思ったのか。

何を感じたのか。


ともかくその娘は強引に攫うことなく、自らの足でついてきた。

自らの足であの村に、そして己の家に足を踏み入れた。


ただ健康的で子がたくさん産めそうだとしか考えていなかったクラスクに献身と敬意と奉仕を以て応え、彼に情緒と思いやりを与えてくれた。


他者を思いやる気持ちが彼に愛を教えた。

その娘を愛したがゆえにそれを失いたくないと思わせた。

彼女を失わぬために……己の村をなんとかせねばと思い立った。

そして村をなんとかせねば、という考えが、やがてオーク族という種自体への問いかけに変じてゆく。


クラスクが変われた理由。

今ここに立っている意味。



すべて、すべて彼女の為だった。



「語るに落ちたなオーク風情が。こやつは今自らの罪を認めた! 人を殺め娘をかどわかす罪人どがびとめ。自らのこのこ処断されに来たとはいい度胸だ。即刻貴様の首を……」



『ダガ』



一瞬で、宮廷が静まり返った。

クラスクの口から洩れた言葉は決して大きなものではなかった。

トゥーヴが用いているような遠くの者にもよく聞こえるような訓練された発声ではなかった。


だのに、聞こえた。

宮廷の隅から隅まで聞こえた。

彼の放った言葉はまるでその場にいる全員の耳元で語られたかのように、誰もがはっきりと聞き取れた。


弁舌にてクラスクを刺殺せんとしたトゥーヴすら二の句を継げずに言葉に詰まる。

異様に耳通りのいい声と、その声の主から放たれるが、弁舌にて身を立ててきたトゥーヴすら強引に聞き手に回らせてしまったのだ。


「タダ暴れルダけの奴ト、反省シテ身を正す奴。その後者が前者より報われナイなら、身を顧みル意味がナイ。神様への懺悔ッテのハ人ハ罪を犯す事、そシテ悔い改めれバそれが許されルからこそ成立すルモノダ」


クラスクの台詞に、壁際で大司教ヴィフタが静かに頷いた。


「子ハ悪戯をすル。過ちヲ犯す。知識も常識もナイ状態デハそれが過ちダト気づきようがナイからダ。親がそれを叱る。子ハそれを覚えて同じ事を繰り替えさなくなル」


そこでクラスクは腕を組んで首を傾けた。


「……ならナイ事もあルが」


そしてさらに熟考するように体をさらに傾けた。


「ならナイ事が多い気もするが、マア素直な子ダッタ事にしよう。それがイイ」


くすくす、と宮廷に笑いが漏れた。

特に女官たちからの声だ。


ただそれは侮蔑の嘲笑ではなかった。

クラスクの呻くような声に、身に覚えのある彼女たちが思わず共感してしまったのだ。


「素直ナ子ハ言う事聞イタ。なら親ハそれ以上何も言う事ナイハズダ。マサカ人間族の親ハ翌日にナッテも翌々日にナッテも子の過ちをネチネチ言イ立テルのカ?」

「貴様ら罪深きがオーク風情が純真な子供と同じだと申すか。たわけた事を抜かすな。貴様らが築いてきたのは屍山血河であろう。子供の悪戯などという可愛げなものと一緒になどてきるものか!」


秘書官トゥーヴがその舌鋒を以てクラスクの弁を止めんとする。

だが止まらない。

クラスクの言葉はさらに続いた。


人型生物フェインミューブノ輪。人型生物フェインミューブノ社会に加わらんトすル新参者ト言う意味デ俺達ノ街ノオークハ子供ダ。ダ。犯シタ過ちハ悔イタ。繰り返さんト努力シテル。それはイケナイ事ナノカ?」

「オーク風情が! オーク風情が抜かす事など我らが信じると思うのか!」

「~~~~~~!!」


ああ言えばこう言う。

何を言っても止まらない。

秘書官トゥーヴはクラスクの言葉に強い苛立ちを覚えた。



「タダ……」


けれどクラスクはここで腕組みをして暫し考え込むと、両手で己の頭頂部と顎を、上と下からがっしと掴む。


「確かに子供扱イすルにハオーク族ちょっト可愛くナイ。イヤダイブブサイクダナ。そこハお前ノ言う通りダ。反省スル」


どっ、と宮廷中から笑いが巻き起こった。

大身巨躯のオークのコミカルな口調と動きに思わず自制のタガが緩んでしまったのだ。

トゥーヴはこのオークの纏う空気に最大限の警鐘を鳴らす。


このオークにはを変える力がある。

人を導く者としての代え難き資質だ。

認めたくはないけれど、このオークが優れた為政者であろう事が、この宮廷のリラックスした空気からトゥーヴには痛い程に理解できた。


では駄目だ。

これ以上彼を貶める事はできぬ。

やはり、リスクを覚悟でを決行するしかない。


「サテ…」


トゥーヴが心の内で目まぐるしく策を巡らせていると、クラスクが片目を大きく開けて上を見た。

国王アルザス=エルスフィルと視線を合わせたのだ。


「辺境ノ自称太守にわざわざ国王陛下が手紙ヲ寄越シテくれタ事ニハ礼を言う。お陰デこうシテ王国内の観光もデキタ」


そう言いながらクラスクが懐に手を入れ、周囲の兵士たちが一瞬にして緊張する。

だがクラスクはもう一方の手をひらひらと振って、危険がない旨を彼らに伝えた。


ほっと緊張を解く兵士たちを見てトゥーヴは内心ゾッとした。

だって相手はオークである。

この巨躯である。

もし彼の言っている事が虚偽で懐から武器など出されたら大惨事になりかねない。

だから兵士たちは彼の言葉に惑わされず最大限の警戒を続けるべきなのだ。


だというのに彼らはその緊張を解いてしまった。

クラスクというそのオークの言う事を鵜呑みにしてしまったのだ。


それはである。

だがそれをこのオークは成立させてしまう。


これを野放しにしておくのは想像以上に危険だ。

バクラダ王国の目的を達成するうえで最大の障害であることは元からだけれど、放置しておけばそれ以上の脅威になりかねない。


「なのデ俺の方も手紙書イタ。送り主ノ俺ハ目の前ダガ、受け取っテくれ」

「…成程。手紙のやりとりか。面白い。受け取ろう」


クラスクが懐から取り出した封筒を兵士が受け取り、そのまま壁際まで進む。

そこにいた宮廷魔導師長ヴォソフと大司教ヴィフタ・ド・フグルが何かの呪文を唱え、小さく頷いた後、兵士はその手紙を国王のところへと運んだ。


魔術的な罠などを警戒しての事だろう。

クラスクは慎重な対処に感心し、相手の評価を上げた。


さて国王エルスフィル三世は、受け取った封筒の封を開けて僅かに目を細めた。

その中に入っていた手紙の紙質についてである。


白い。

そして手触りも良い。

羊皮紙ではないが、かなり丈夫そうで公式証書として十分に使えるものだ。


取り出した紙は折りたたまれており、広げるとそれなりの長さがあった。

とはいえ文面はさほど長くはない。


手紙をくれたことに対する感謝と、王都までの通行手形をくれた事への謝意が述べられている。

そしてとも書き記されていた。



だが……

その後半を目にした時、国王アルザス=エルスフィル三世の眼が驚きに見開かれた。



王を注視していた宮廷の者達から驚きのささやきとざわめきが上がる。

なぜなら国王エルスフィル三世の最大の強みはその表情にあったからだ。


無表情というわけではない。

だが何を考えているかわからない。


他の誰もが彼の真意を読めぬ中、彼だけが皆の心を読み、意見を識る。

それが国王アルザス=エルスフィル三世が会議を己を有利に運ぶやりくちであり、彼の最大の強みでもあったからだ。


ゆえに彼らは見たことがない。

国王の表情がこれほど変わる事態など。

常に王の傍に仕えたる秘書官トゥーヴすら見たことがなかったのだ。


「…陛下?」


トゥーヴのやや当惑した言葉に、エルスフィル三世が目線で彼を招く。

ゆっくりと段を登り玉座の横へと近づいたトゥーヴに、国王がその手紙を、手渡さずに見せた。


トゥーヴの表情がびしり、と強張った。

一瞬にして真っ青になって、そして顔中から大量の汗が噴き出てきた。





その手紙に書かれていたもの…いやを、『魔印』という。

クラスクがポーカーフェイスな国王相手に用意したである。






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