第594話 謁見

「オーク族、クラスク様、御入場」


ざわり、と壁際に立ち並ぶ文官どもがざわめき、兵士たちが槍を持つ手に力を込めた。


クラスク市はアルザス王国の領土内にはあるがアルザス王国に公的に認められた街ではない。

ゆえに公式にはクラスクが名乗ってきた村長、市長、太守はすべて『自称』に過ぎず、ここでその肩書が語られることはない。


そして謁見は他の種族などが国王に陳述や訴えなどをする際に利用されることも多く、種族については必ず宣言するならわしである。


結果として彼の呼称はシンプルに『オーク族のクラスク』となり、そしてシンプルであるがゆえに王宮の者達に与えるプレッシャーは大きかった。


なにせ宮廷会議が執り行われるこの部屋にオーク族が闖入したなどという事態今までに一度もなかったのだ。

……まああってたまるか、というかクラスク以外のオーク相手にそんな事態に陥っていたとしたらこの王国はとっくに滅んでいるだろうが。



ただ十分に身構えていたはずの彼らの前に現れた者は……その上でなお彼らの想像を超えていた。



巨体、巨躯、緑の肌。

ただそこに在るだけで他者を圧倒する存在感。

それでいて剥き出しの憤怒や殺意があるでなく、むしろ静謐な佇まい。


圧倒的な肉。

全身に満ち満ちた肉。

それが単なる剛力を産むための生来の筋肉ではなく、明らかに武力を発するために鍛え上げられたものだと、兵士たちにも一目でわかった。


そしてわかるからこそ理解できてしまう。

、と。

喩えこの場にいる兵士が全員一丸となって襲い掛かっても、このオークには敵わない。


いや、違う。

このには敵わない。

そう兵士たちは直感した。


単なる噂と一笑に付す秘書官殿には悪いけれど、この武ならば確かにかの伝説の赤竜に挑むに値するのでは、そんなことすら考えてしまう。


そんな中、騎士団の中で唯一同席の許された翡翠騎士団団長ヴェヨールと、軍務大臣デッスロだけが目を細めそのオークの武を検分するだけの備えがあった。

クラスクはその二人に軽く視線を送ると僅かに唇の端を吊り上げてそのまま歩を進める。


挑発しているような、それでいて泰然としているような。

オーク族の表情に詳しくない二人には、彼が心の底で何を考えているか測りかねた。


その想像以上の巨体に瞠目する宮廷、玉座の間。

クラスクが巨躯のオークであることを宮廷にいる殆どの者が知っていた。

夜会や舞踏会の際に呼ばれた吟遊詩人どもが大袈裟に語っていたからだ。


けれどそんな彼らも思いもしなかったのだ。

まさかに吟遊詩人どもが吹聴したその体格が誇張などではなかったなどと。


ただそんな巨漢が、それもオークがのっしのっしと己の前を通り過ぎてゆくというのに…

その場の一同が感じていたのはなぜか恐怖ではなかった。


それはそのオークがまともに礼服を着て、いやむしろパリッと着こなして、立ち居振る舞いが毅然として規律正しく、見る者に不安を与えなかったからだ。


クラスクは言葉を交わすことなく、だが己がこれまでに学んできた人間界の礼儀作法を示すことで、宮廷の者達の安心をのである。


だがそれだけではまだその巨躯に怯える者がいたかもしれない。

そうした小心者達の心を安んじさせたのはクラスクの目。その瞳だ。


静かで、落ち着いていて、それでいて決して冷めていない。

見る者に安堵と希望を与える不思議な瞳。

オークが…いや人間族ですら、こんな静謐な瞳の持ち主をその場にいた殆どの者が見たことがなかったのだ。



ほう、と小さなため息が漏れた。



クラスクの足音以外何一つしなかったその宮廷に、熱い吐息が。

それは壁際に控えていた貴婦人の口から洩れたものだった。


婦人は己が無意識に洩らしたその吐息に気づき慌てて口元を押える。

それほどにクラスクの放つ雄としての魅力は高い。

クラスク市でも彼が街中を歩いていれば思わず見惚れる女性も少なくないほどだ。

それも種族を問わず、である。

それほどに彼の≪カリスマ≫は高みに達していた。


ただそんな彼の様子を苦々し気に睨みつけている者もいた。

当然と言うべきか、秘書官のトゥーヴである。


そのオークを孤立無援の状態に追い込んで糾弾し、あわよくば亡き者にせんと画策している彼にとって、クラスクが放っているそのオーラはなんとも苛立たしく、また腹立たしい。


だが彼が現状歯噛みしながらクラスクを眺める周囲の目がみるみる変わってゆくのを見ているほかなかった。

なにせクラスクは今ただ歩いているだけ。

それも堂々と、礼を逸せずに歩いているのみなのである。

それを咎め立てすることはさしもの彼にもできなかった。


クラスクはやがてゆっくりと歩を止める。

玉座の前、数段の段差の下。


アルザス王国アルザス=エルスフィル三世と、自称クラスク市太守大オーククラスクは…

そうして、初めての邂逅を果たした。



その歴史的会談をこの国の重鎮たちが、文官たちが、そして兵士たちが固唾を飲んで見守っている。

いったいその巨躯のオークは何を考え、何が目的で危険を冒してここまで来たのだろう。

国王陛下と何を話すつもりなのだろうか、と。


誰ぞ知ろう。

その時のクラスクの胸の内を。

誰ぞ知ろう。

その時の彼の脳裏に去来していたものを。



(やっぱり偉イ奴高イ処好きダナー)



…その場の誰もが、彼の心を推し量ることができなかったのである。



「遠路はるばる、よく来たな」

「来タ」


短く、言葉を交わす。

交わしながら互いにじっと相手の瞳を見つめ、互いの腹を探り合う。


なぜこいつは俺を呼んだ?

なぜ彼はこちらの招きに応じた?


俺と手を組むつもりか? 始末するつもりか?

私と手を組む気があるのか? 他に意図があるのか?


こいつの目的は

彼の目的は




なんだ。




(…ワカランナ)

(ふむ、腹の底が読めん)


クラスクから見た国王エルスフィル三世の印象は少々奇妙だった。

表情が読めないのだ。


無表情、というわけではない。

鉄面皮や能面と言うわけでもない。


表情自体はある。

柔和で落ち着いている印象だ。


ただその表情から感情が読めない。

何を考えているのかもわからない。


なのに不思議と不安や不信は抱かない。

抱けない。


人間は相手の心が読めないと不安になるものだ。

自分の言っている事が相手を楽しませているのかそれとも怒らせてしまったのかわからないまま会話を続けるのは困難であり、苦痛である。


ゆえに受け手の方も笑ったり怒ったりして反応を返したり、それが難しい状況であれば言葉で興味の有無を示す。

それがコミュニケーションというものだ。


だが目の前の、偉そうな椅子に座った男の心の内がわからない。

わからないのになぜか話しにくくは感じない。

これまでクラスクが出会ったことのないタイプである。


こんな人間族もいるのか、とクラスクは素直に感心した。



(このがデきルナら…確かに反対勢力の舌鋒もやり過ごせそうダナ)



そう、それが国王エルスフィル三世のである。

誰の味方というわけでもなく、誰の敵というわけでもなく振舞いながら全員の意見を聞き、その中から最も優れた、それでいて自身の意向に沿ったものを選ぶ。

そうして彼はこれまでの宮廷会議を乗り切ってきた。


秘書官トゥーヴの意向を、その背後のバクラダ王国の策謀を悉く退けてきたのは彼のそんな処世術によるものだった。

もちろんそれができるだけの卓越した統率力と話術、それに≪カリスマ≫があってこその話ではあるが。



(ふむ、オーク族だから、という考えは捨てた方がよいな。わかっていたことだが)



一方の国王エルスフィル三世もまたクラスクの真意を測りかねていた。

相手側がこちらの情報を調べる術がないならともかく、クラスク市側には優れた情報源がいる。

そう、元翡翠騎士団第七騎士隊隊長たるキャスバスィだ。


つまりクラスクは宮廷内に巣食う各勢力と、己を敵視しているであろう秘書官トゥーヴの存在を知り、彼が間違いなく何かを画策していると知った上でここに赴いたことになる。


今後手を組む相手を見ておきたかった、無論それもあるだろう。

手紙などのやりとりだけではわからぬ、直接目にしなければわからぬことがある。

それに関してはこの宮廷にいた誰もがこのオークを目の当たりにして実感したはずだ。


だがそれだけで二つ返事でこうしてのこのことやってくるだろうか。

何か別の意図があるのではないか。

こちらの知らぬ何かの秘策があるのでは?





アルザス王国側が入手している情報が些か不足していて……その部分が国王自身にも読み切れていなかったのだ。






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