第593話 前評判
アルザス王国王都ギャラグフの中央に聳え立つ王城ザエルエムトファヴ城。
その宮廷の内部、玉座の間には今この国の重臣たちが一堂に会していた。
政務を執り行う前に行われる謁見の時間。
そこでは様々な階級の様々な陳述が行われる。
不平不満などどんな国どんな町だろうと偏在しており、当然このアルザス王国にも存在している。
むしろ枚挙に暇もないと言っていい程だ。
アルザス王国は庶民からの陳述も受け付けている。
こうした国は少なく、国民からの評判は高い。
ただ評判がいいからといって不平不満がないわけではない。
この手のものは受け付ければ受け付ける分だけ増えてゆくものだからだ。
その全てにみみを傾けていては時間がいくらあっても足りぬ。
また件数の多さから当然謁見時間は限られており、多くの陳述は翌日以降に回されてまさに予約待ちの行列さながらである。
まあそもそも国王自らが聞く必要もないようなことは陳述要望の際に適切な部署へ案内されるようになっているのだが。
謁見のほとんどは街の者達の訴えや要望で占められているが、中には有名な旅人や冒険者を呼んで話を聞いたりすることもある。
かつてアーリが所属していたという高ランク冒険者集団『
ちなみにこことは別に謁見用に『謁見の間』と呼ばれる専用の部屋があり、そちらは贅を尽くした調度などが取り揃えられたより狭い部屋だ。
こちらは主に国王が政務で多忙な際代理の者が謁見を執り行う時などに使用される…のだけれど、形式のみで滅多に用いられることはない。
国王アルザス=エルスフィル三世は直接人の話を聞くのを好むからだ。
ただ……今日の謁見はいつもとは少々趣が違っていた。
左右の壁に居並ぶ文官たちはどこかそわそわした様子で、さらにいつもに比べ衛兵の数がとても多い。
まるで王の前に犯罪者が連行されてくるかの如くである。
いや、その表現はあながち間違っていないのかもしれない。
なにせ今からここに通される相手はアルザス王国の国土に勝手に街を造り、無許可で国土を開拓して己が農地とし、国に税も納めずに
無法と言うなら間違いなく無法者なのである。
ただ衛兵の数が多いのは単にその人物が法を守らぬ荒くれ者だから、というだけではない。
その相手があまりにも危険だからである。
なにせ、今日の謁見の相手はオークなのだ。
暴れ者の凶漢にして略奪と収奪を繰り返す迷惑極まりない厄介者。
女性を襲い攫ってゆく最悪の蹂躙者でもある。
さらに今回国王に招聘されたのはその中でも大オークと呼ばれる最悪中の最悪だ。
幾つもの他部族のオークどもを叩き潰しひれ伏させ糾合してきたオーク達の大ボス。
国を相手取るとすら言われる狂暴極まりない蛮族どもの指導者なのだ。
そのオークは王国の南西に勝手に集落を作り、そこに己が叩き潰した他部族のオークどもを住まわせこき使って砦を築いているのだという。
噂によればだいぶ大きな集落となっているそうだが所詮はオークの造るものだ。
規模がでかいだけでどうせ大したことはないだろう。
…などと、事情に詳しくない文官どもの中にはそう考える者もいた。
国の中枢にある者としては正直だいぶ知識が遅れている上に偏っているが、それに関してはある意味仕方のない側面もある。
第一に距離の遠さ。
アルザス王国の国土は広く、エルフ族との種族間の不和のせいで国の中央を通過する事ができないためクラスク市までたどり着くには結構な時間がかかる。
したがって魔術などを用いずにこの両者を行き来する事は難しく、おいそれと訪ねに行くことはできぬ。
この世界に於いて距離が遠い、ということは情報の伝播が遅い、という事でもあり、同時に情報の正確性が下がる、ということでもある。
占術も失敗率や誤情報を取得する可能性が常にあるし、そもそも金貨を積んでまで魔導学院にそうした依頼をしたがるほど裕福で情報に飢えている者ばかりではない。
まあそれ以前に占術防壁を張り巡らせたクラスク市を容易に覗き込むことはできないのだが。
そして噂話には往々にして尾ひれがつくものだ。
また途中でまた聞きした者が勝手に付け加えた憶測などを聞いた者がそのまま信じてしまうこともある。
そうでなくとも主な情報源たる吟遊詩人たちは話を盛るのが大好きなのだ。
結果としてこの街にクラスク市の噂が届くころにはその情報は非常に信頼性の低い…いい加減なものになりがちとなる。
もちろんその中には真実もあるだろう。
だが数ある流言飛語のなかから真実のみを抜き出すことは困難だ。
ゆえに彼らは得た情報の中から己の認識に近い印象の情報のみを信頼する。
そして多くの者があらかじめ抱いている『オーク族の印象』がいいはずはないのである。
まあ彼らオークどもが他の
そして第二の要因…それが秘書官トゥーヴである。
彼はバクラダ王国の意向をなにより重視し、最優先で彼らの目的に沿おうとする。
現在のバクラダ王国の目標の一つがこのアルザス王国の占領と併合であり、そのためには橋頭保として最も優れたクラスク市およびその近辺を支配して実質的な自領としたいという思惑があることは以前にも述べた。
数十年かけて、それこそトゥーヴ以前の歴代の秘書官が進めてきたその計画はクラスクが名を上げる以前から現地のオークどもに幾度も幾度も繰り返し邪魔され、その都度煮え湯を飲まされてきた。
その計画がようやく進められそうだと手応えを感じていたまさにその時期に、クラスク市が生まれたのである。
それも散々邪魔され続けてきたオーク族の手で。
これが許せようはずがない。
トゥーヴのクラスク市に対する強い執着と憎悪はそうした契機によるものだ。
単なる逆恨み、と言うわけでもない。
彼の前に秘書官を務めていた者の中には失策によって罷免させられた者もいる。
アルザス王国の政治の話ではない。
バクラダ王国の意向に対する失策である。
これ以上あの国を失望させるわけにはゆかぬ。
そのためにはあの街を…いや市を自称しているあれを断じて認めるわけにはいかない。
トゥーヴは知っている。
あの城塞を知っている。
単なる田舎村を蹂躙するつもりで子飼いの紫煙騎士団と共に乗り込んで、時を同じく襲撃してきた地底軍の襲撃の前に這う這うの体で逃げ出した彼は骨身に染みて知っている。
あの高く聳えた城壁も、その優れた建設技術もよく知っている。
それどころか彼はその後あの村に人が群がって第二城壁、第三城壁が張り巡らされ、巨大な城塞都市と化している事まで把握している。
配下を派遣して幾度も調べさせているからだ。
金と手間をかけ、直接出向いて調べる分にはクラスク市は実に容易な調査対象である。
自分達の事を一切秘匿しておらず、さらに街道のど真ん中に鎮座している交易都市なのだから当たり前である。
ゆえにあの街の堅牢さも、武力も、経済力も彼は知悉している。
クラスク市の先見性も、発展性も、将来性すらある程度把握している。
報告者たちが興奮してまくしたてる、やや肥大化された情報の中からその結論を導き出せぬのならそもそも秘書官たり得ない。
理解した上で、彼はその立場上それを認めるわけにはゆかぬのだ。
ゆえに彼は種を撒く。
密やかに噂を流し、あの街に対する印象を操作する。
国王の言葉に反しない範囲で情報を歪め、あの街に対する周囲の評価を小さく、低く見積もらせるようにする。
オークどもの発言は嘘っぱちで、彼らの提示するものなど信じるに足らぬと印象づける。
無論そうした情報操作が通用しない者もいる。
自らあの街を調査しているらしき財務大臣のニーモウなどがそれだ。
だがトゥーヴの作戦自体はおおむね功を奏し、この宮廷にはクラスク市を軽視する風潮が広がっていた。
先ほどの文官の感想もそうしたトゥーヴの苦労の賜物、と言えるかもしれない。
いわばクラスクは四面楚歌に近い状態の宮廷に、自ら乗り込むこととなったわけだ。
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