第585話 武器落とし

クラスクが拳を突き上げると同時に、どっと歓声が湧き上がった。


オーク兵だけではない。

周囲を取り囲んでいた騎士達からすら、その声は漏れていた。


もしクラスクが『オークの流儀』で戦っていたならおそらくもっと楽に勝利することができただろう。

例えば白兵戦の最中に相手を突然ぶん殴ったり、鍔迫り合いになった途端相手の腕を掴んで馬上から引きずり下ろしたり、すれ違いざま馬の首を叩き斬ったり、地面を転がるようにして馬の脚を斬り払ったりといった、いわゆる「なんでもあり」の戦い方だ。


だがそれではこの状況は発生しない。

歓声が沸くのはオークどもからのみで、騎士達からは大ブーイングが巻き起こったに違いない。


「おいおい…」

かよ…」

「ああ、だ…」


騎士達がどよめきながら何かを呟いていた。

商用共通語ギンニムの言葉で『武器落としディザーミング』を意味する単語である。


『武器落とし』とは剣士の戦術の一つで、字の如く相手の武器を叩き落とし無力化する技術である。

当然ながら普通に相手を斬り殺すより難度が高い。


高度な技術が要求されるため野盗などが覚えている事はまずないが、騎士などのように時に相手の捕縛を命じられる職であれば専門の訓練を受けて修得することもある。

戦士職であれば誰でも使えるというわけではないのだ。


それも油断している相手や技量の劣る相手ならともかく、剣技を技術として学んでいる相手にはなかなかに決めづらい。

当然ながら相手もそれを警戒しているからだ。

鎖鎧チェインメイル板金鎧プレートメイルを身に纏い、腕を手甲ガントレットを保護している騎士相手であればなおの事実現は困難だろう。


さらに今回は彼我の状況にも問題があった。

クラスクの挑発により、練習試合などではなく騎士達は皆真剣で立ち向かってきたのだ。

しかも第一騎士隊と第二騎士隊の隊長副隊長相手である。

その相手全員に武器落としを決めようるとすればその難度は果てしなく高い。


だがそれをそのオークはやってのけてしまった。

やり遂げてしまった。

それも実に鮮やかに。

それは明らかに高い高い技量と練磨の為せる業であって、自らが厳しい訓練を積んできた騎士達だからこそ、その偉業を前に思わず湧かずにはいられなかったのである。


「フム。成程成程」


顎をさすりながら一人何かに納得していた風のクラスクは、そのまま背後に振り返る。

そこにはクラスクの圧倒的な技量を前にキラッキラに瞳を輝かせたエィレがいた。


「すごい…すごいすごいすごーい!!」


エィレはやや過剰に興奮していた。

まあ彼女にとってはこの城の騎士団こそが絶対的な強さの尺度だったのだから、それをこうも見事にあしらう様を見せられては感嘆するのも当然と言えよう。


「クラスクすっごく強いのね! さっきのあれどうやったの!? 馬を後ろに下がらせるアレ! 合図は? どうやって騎士達に気づかれずjに出したの? それとあの剣が勝手に抜けるやつ! どういう技術!? それともクラスクって魔術師? オークなのに!?」


次々とまくし立てるように質問攻めにするエィレだったが、興奮しているがゆえにクラスクが僅かに目を細めたことに気づかない。

クラスクはその矢継ぎ早の質問の中、彼女の資質に瞠目していたのだ。


合図なしに馬を下がらせた。

これは実際にはクラスクと呼吸を合わせてうまそうキートク・フクィルが自らの意思で下がったものである。


そして剣を手を使わずに引き抜いたこと。

これまた白銀の剣『魔竜殺し』が勝手に自らクラスクの身を護っただけであり、クラスクが何かしたわけではない。

まあその剣が己を護るであろうことを見越してあえてそちら側に隙を見せていたのも確かだけれど。


ゆえにどちらも彼女の言っている事は的を外している。

クラスクは自らの馬に合図を出していないし、剣を特殊な技術や魔術で引き抜いたりもしていない。


だがクラスクが目に止めたのは彼女が誤っていた事ではない。

彼女がそれをだ。


それはあのクラスクの尋常ならざる動きをある程度ということであり、同時に先刻の戦いでクラスクが彼らに勝利するための必要な要素…すなわち『要訣』を彼女が把握できていた、ということだ。


それはなかなかにできる事ではない。

しかもこの若さである。

それゆえにクラスクはその少女の言葉に驚嘆したのだ。


「トもかく。ハ終わりダ。エィレ。もう戻れ」

「え?」

「「「ん?」」」


エィレの怪訝そう声に、騎士たちの不審気な声が続いた。


「貴様、我らに屈っせぬ限りエィ……その娘を返さぬとそう言わなかったか」


第一騎士隊副隊長、ウッソアスムンが口を開き、問いただす。

話が違うではないか、と。


「違ウ。俺ハお前らに屈する『コト』があれバナンテ言っテナイ。屈する『トコ』があれバ、そう言ったハズダ」

「「「あ……?」」」


『屈する事』があれば娘を返す。

『屈する』があれば娘を返す。


それは一見似ているようで意味するところはまるで違う。


「今の、勝ちを拾っタのハ俺ダガお前達の技術に感じ入っタ所あっタ。特に馬術ガイイナ。俺ト違っテちゃんト馬操っテル。特に後ロに回り込む動きイイ。半径短イ。巧みな技術ダ」

「……俺にゃあテメエの操馬のが驚いたけどな。あの一瞬でどうやって合図出しやがった」


共通語ギンニムを当たり前のように使いこなしながら馬術について語るオークに眉をしかめながら、第二騎士隊隊長ドレゴムが慌てて駆け寄った従士達が拾い上げた己の戦槌を肩に担ぎつつ尋ねた。


「アレは俺の技術違ウ。コイツが勝手に判断シテ自分デやっタ。俺ハその動きに合わせタダケダ」

「「うん……?」」


なにやら操馬の術について聞き捨てならないことを言われた気がして、隊長二人が顔を見合わせる。


「それに俺は条件に勝ち負けノ結果付けテナイ。俺が満足シタら言っタ。俺満足シタ。ダから返す」

「!!」


ざわり、と騎士達がざわめいた。

ツォルムや今交戦していた隊長副隊長らだけではない。

周囲の騎士達もだ。


先ほどまでそのオークは虜囚としていた娘が何者かについて言及していなかった。

知っていれば脅しに使うはずだとの思い込みがあったから、騎士達はそのオークが彼女の正体を知らぬものと思い込んでいたわけだ。


だが知っていた。

そのオーク…クラスクは知った上でそれを黙っていた。

とすると彼らが王女を救い出すために己の挑発に乗らざるを得ないとわかった上で先ほどの発言をしていたわけだ。


「知っていたのか!」

「知っテタ。ダガ一戦交えタ方がお前達も俺達を王宮に連れテきやすいダロ? こんダケ厳重な戒厳令敷いトイテ戦果ナシデハ他の騎士団に示しがつかんダロウシナ」

「「あ……!」」


クラスクの言葉にツォルムは愕然とした。


王都には各勢力ごとに直属の騎士団がおり、翡翠騎士団は国王直属である。

無論王国という体面上すべての騎士団が表向きは国の為に働くこととなっているが、その中でも国王子飼いで最も忠実なのがこの騎士団だ。


この翡翠騎士団はその性質上国王とその家族を守護する大切な任があり、それを何よりの誇りとしている。

当然ながら第四王女エィレッドロもその最重要守護対象の一人だ。

特に彼女はお忍びで城を抜け出すことも多く、また派手な剣戟などを好むため翡翠騎士団の訓練場などにはよく出入りしていた。

騎士達も困ったものだと嘆息しながら彼女をマスコットのように可愛がっていたものである。


そんな彼女がオークに囚われの身となった。

それは放っておけるはずがない。

最悪国王とその親族を守護する翡翠騎士団の名折れであると他の騎士団どもから揶揄され非難されかねない。


慌てた彼らは急ぎ戒厳令を敷き、他の騎士団が首を突っ込めないようにして、城の外でクラスクから彼女を奪還すべく待ち受けていた、というわけだ。





ただ……殺気立って騎兵槍ランスを準備していた彼らは気づくよしもなかったのだ。

かの赤竜すら煙に巻いたその大オークの策謀によって、自分たちがまんまとおびき出されていた事に。





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