第581話 挑発
「え? あれ? なんで?」
クラスクの方、そして騎士団の方を交互に診ながらエィレが混乱する。
そもそも彼らオーク達は父である国王が呼び出したはず。
つまり国賓である。
その国賓を国王直属の翡翠騎士団が殺意全開で出迎えるというのはいくらなんでもおかしくはないだろうか。
「全然おかシくナイナ。なにせ俺の手の中にお前がイル」
「あ……」
「おそらく遠間から俺達の行軍に気づき、その時お前にも気づイテ慌テテ騎士隊を展開させタ、ッテトこロカナ」
クラスクに指摘されて今更ながらに思い至った。
エィレはアルザス王国第四王女。
低位とはいえ王位継承権を有する王族の一人なのだ。
そして翡翠騎士団は国王子飼いの騎士団だ。
国王とその一家を守護する剣である。
それがいかに国王が招いた相手だからとて悪名(それも女性関係で!)高きオークの手に王女の身柄が押えられているというのは失態以外の何物でもない。
すぐにでもオーク達を誅殺して姫様を取り返そうとしてもおかしくはないのだ。
またエィレ自身は無自覚だったが彼らの怒気の源には彼女自身の態度も手伝っていた。
エィレはその言動からわかる通り快活で活動的な娘であり、よく王宮を抜け出しては街などを見学に出かけていた。
街の住人や翡翠騎士団の面々なども彼女の事をよく知っていて、可愛がっていたものだ。
そんな娘が以前から大嫌いと公言していたオークと同じ馬に乗っている。
それどころか楽しげに話している。
それはまあそのオークに何かされたと考えるのが普通だろう。
つまりはまあ、クラスクとエィレの今の和やかな雰囲気がただでさえ剣呑な空気を纏っている翡翠騎士団の面々をますますいきり立たせているわけだ。
「貴様ァ……その娘を解放しろ!!」
馬を停めたクラスクの正面、およそ5ウィールブ(約4.5m)程の距離から抜き放った白刃を突きつけ、騎士の一人が殺気立った声で告げる。
「フン、そのムスメ、カ……」
クラスクは小声で呟き何か算段をしている。
だが彼のすぐ顎の下にいるエィレは激しく動転していた。
まあ動揺するのも当たり前だろう。
なにせいま己が背を預けている相手は命の恩人である。
その上話してみれば存外に話のわかる相手で、彼女が認識している一般的なオーク族とはまるで違う。
少なくとも問答無用で斬っていい相手ではないはずだ。
「ちょ、ちょっと待ってみんな、この人……このオークは……!」
途中まで言いかけたエィレの言葉は、だが最後まで言い切ることなく背後のオークに止められた。
ぽんと少女の頭を叩いて顔を己の方に向けさせたクラスクは、人差し指を己の唇に当ててだんまりを指示する。
わけもわからずとりあえず了解して頷くエィレ。
それを見てますますいきり立つ騎士団。
「翡翠騎士団ダケトハ俺もつくづく運がイイ」
「えー…?」
クラスクの小声の呟きにエィレは納得ゆかぬ表情を浮かべた。
明らかに相当手強い相手のはずだからだ。
ただ……クラスクが評価していたのはそもそも相手の強さではなかったのである。
「この娘ハ! 我らオーク兵がこのアルザス王国に危難を
「なにぃっ!!」
「はえっ!?」
クラスクの言葉に騎士たちが驚きざわめき、そしてそれを聞いていた当のエィレがすっとんきょうな声を上げた。
確かに大意として嘘はついていない。
彼女が単身オークどもの揚げ足を取らんと樹上で見張りをしていたのは事実だし、その後彼らに連れられて王都まできたのも確かである。
それを虜囚と言うのならまああながち間違いでもないのかもしれない。
彼らにその気は毛頭ないとしてもだ。
ただ今のクラスクの言葉には重大なところが抜けている。
彼女が不慮の事故で樹の上から落下して、クラスクに命を救われた下りである。
その部分がないと、まるで彼女が見張りをしていたがクラスクらに気づかれ、逃亡もしくは奮戦の末捉えられたかのように聞こえてしまう。
だがそれだとだいぶニュアンスが変わってしまわないだろうか?
一方の騎士たちは今の話を聞いてお転婆な姫様が彼女なりに王国の事を憂慮して単身オーク達の調査に出かけ、だが隠密に不慣れな彼女が不幸にも見つかってしまい捕らえられた…のように解釈してしまった。
というか、エィレが気にかけているまさにその個所をあえて伏せて語ったことにより、そう解釈せざるを得ない内容になってしまっている。
(え? あれ? ちょっと待ってちょっと待って……)
なぜ事実を全て伝えないのか。
なぜ素直に己を彼らに引き渡さないのか。
エィレにはわからないことだらけである。
ただひとつわかったこと。
それは翡翠騎士団の騎士たちが彼女の身分を告げなかったことと、クラスクがそれを聞いて彼自身もまたそれを知らぬように装った、という点だ。
それが何を意味するかまではわからなかったけれど、彼女は既にクラスクからその答えに至る教えを受けていた。
すなわち『権力は力』であること。
彼女の第四王女という肩書が力を持っているということ。
つまり騎士たちはエィレに大きな力があるということをオーク達に悟られぬよう振舞っていて、クラスクもそれに気づいていない風を装っている、ということだ。
「単身デ我らの素行を調査すルなド見上げタ心がけデあル。この娘ハそのママお前達に返すつもりダッタガ……気が変わっタ」
「「「なにぃ!?」」」
(なんでー!?)
ニタリ、と唇の端を吊り上げて、クラスクは傲岸に笑う。
彼の唐突な宣言に目を白黒させるエィレ。
「この国の王に招かれタ我らに対しこうまデ殺気立っテ出迎えられテハナ。王の卑劣ナ罠を疑わざルを得ナイ。トなれバこの娘は体のイイ質にナルナア」
「き、貴様ァ!!」
(だからなんでーっ!?)
火に油を注ぐようなことを言い放つクラスクにますます混乱する。
だが彼女の背にそっと当てられた彼の掌はとても落ち着いていて、少女はそれが意図的な挑発なのだとすぐに察した。
なにをしたいのかはわからない。
けれどこれはきっと必要な事なのだろう。
まだ会って間もない相手だけれど、クラスクについても配下のオーク達についても信頼に値する相手だと彼女には思えた。
ならば信じよう。
これはきっと意味のあることだ。
もし彼が己に協力を要請してきたら、素直にそれに従おう。
それはクラスクの≪カリスマ≫の為せる業であると同時に、彼女自身の資質でもある。
少ない情報からの判断力。
そして己の判断に身をゆだねる決断力。
未だ十数歳に過ぎぬ少女は、けれどその内に既に支配者としての資質、その萌芽を宿していたのである。
翡翠騎士団の騎士たちの多くはクラスク市からやってくるというオーク達を信用していなかった
無論彼らは国王直轄の騎士団であり、王の命令は絶対ではある。
だが命令に従う事と喜んで従うことはまた別である。
彼らは田舎に勝手に街を造っている卑小なオークどもなどろくに信用してはいなかったのだ。
そこにきて国王が彼らを招聘。
面白くないと思っていたところに出迎えの当日なぜか行軍中の彼らがまさかに第四王女を虜囚としているのを発見。
こうして大至急人払いをして完全武装で待ち受けていた、といわけだ。
もしここで彼らを討ち果たせればよし。
そうでなくとも王女を捕えた罪やらなにやらを着せて街には入れぬと息巻いていたのである。
ただ今の流れは彼らにとって望ましくはない。
クラスクは彼らの殺気が自分達に向けられているとしてその喧嘩を買おうとしている。
だが実際には騎士たちの怒りの元は彼が第四王女を捕虜としている点についてであり、彼女についてはなるべく早く無傷で取り戻したいのだ。
けれど敵対するとなった時点で彼女の名や立場を告げる事ができぬ。
告げれば当然人質として活用されてしまうからだ。
オーク達が彼女の価値に気づいていないうちに王女を取り戻さねばならないのである。
だが彼女の名や立場を告げず、『ただの少女』を取り戻そうとしていると仮定した場合、騎士たちの殺意や敵愾心は王女を捕虜としている事ではなく、単にクラスクやオーク族のことを快く思っておらず、協力する気がないからだとクラスク側に誤解されても仕方ない。
つまり王女を取り戻さんとする騎士道精神に則った行為ではなく、単に国王とクラスクが会うのが気に喰わぬゆえ喧嘩を吹っかけている、という形になってしまっているのだ。
けれど騎士達としてはそれを否定しない。
否定したいがすることができない。
なぜならそれを否定するということは少女の正体を明かすこととなってしまうからだ。
つまりクラスクは彼女の名も立場も全て聞き出し承知の上で……
それを知らぬふりをすることで、あたかも騎士団側に非があるような状況を巧みに作り出し、己が喧嘩を売る算段を整えたのである。
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