第579話 少女の熟考

「ちょっと待ってちょっと待って考えるから」

「わかっタ。待つ」


クラスクに抱っこされながら腕を組み首を捻り考え込む少女エィレ。


「えーっと、えっと、お父様があなたを呼び出すってことはつまり呼んだら来るかもって思ってたってことでー」

「そうダ」

「あなた…」

「クラスクダ」

「えーっとクラスクが…」


途中で言い換えた少女が一瞬ぽ、と頬を染めた。

クラスクの名を初めて口にして気恥ずかしかったようだ。


「なんでクラスクが来るのかって言ったら…クラスクにもメリットがあるから?」

「そうダナ」

「じゃあじゃあつまり……え〜っと、クラスクとお父様が協力できるかもしれない、ってこと?」

「その通り。エイレは賢イナ」

「って撫でるなー!!」


ごつい掌から思った以上に優しく撫でられたエィレが照れ隠しにがなり立てる。


「そうダ。協力デきルかもしれナイ。デモ。場合によっテは敵同士になルかもしれナイ」

「それは最初からでしょ! あなたたちが勝手にうちの国の中に街なんて造るからー!」

「そうダ。最初から敵同士ダ。つまりこの会合ハ敵同士ガ妥協の可能性を求めテ顔を合わせ相手の出方を伺う交渉の場ダ」


ふむふむ、とエィレは頷く。

そう表現されるとわかりやすい。


アルザス王国とクラスク市。

政治的な事についてはあまり詳しくないけれど、どうも双方の利害が一致する部分もあるらしく、その部分に着目して手を取り合う道がないかどうかを探るためお互い顔合わせをしよう、ということのようだ。


「ダからそのすぐにデモ敵にナルかもシレナイ相手に、自分の身分を明かすのダメダ」

「あ……!」


そこまで言われてようやく気付いた。

けれど

そういう相手であればお互いなるべく有利な条件を得ようと画策するはずだ。


そうした時……人質がいたとしたらどうだろう。

それも国王の娘と言うとびっきり高値がつきそうな人質である。


慌てて周囲を見渡すが、既にオーク騎兵が二重にも三重にも少女を囲っており逃げ場などどこにもない。

もし自分が人質にされ交渉材料などにされてしまっては王国の大ピンチである。


少女は身体が小刻みに震えた。

自分が犯したとんでもない罪に今更思い至ったからだ。


そしてなぜか、怯えた少女はクラスクにひしと身を寄せた。

目の前の相手こそ国王の仇敵になるかもしれないその当のオークだというのに。


「エィレ」

「な、なによ……」


身を寄せたことで顔が近づき、クラスクが顔を向けた時そのあまりの近さに知らず動悸を早めてしまうエィレ。


「エィレ。俺怪力。力強イ」

「み、見ればわかるわ」


己を支えている太い左腕。

その横で彼の右腕が巨大な力こぶを作り、エィレはこくこくと頷いた。


「この馬…うまそうキートク・フクィル走るの速イ。ダ」

「そ、そうね…あの距離から間に合ったんだもんね」


クラスクがぽんぽんと二人を乗せている巨馬の頭を軽く叩き、うまそうキートク・フクィルがぶるる…と得意げに嘶いた。


「そしテお前の名前も強イ。ダ」

「えらい、つよさ……?」


一瞬きょとんとしたエィレだったが、すぐにクラスクの言わんとしている事を理解した。

力持ちなのも速度が速いのも権力があるのもどれも立派な長所には違いない。

『分野』が違うだけだ。

クラスクはオーク族だからその評価基準を『強さ』という表現で説明してるだけなのだ。


「そうダ。お前偉イ。偉イハ強イ。俺も族長から市長になっテ今は太守になっタからよくわかル。偉イハ強イ。ダから使

「………………!」

「俺がこの国の王と喧嘩すルこトになっタらお前ここにイルのトテモよくナイ。俺頭廻ル悪イオークならお前人質すル」

「……妄りに名乗っちゃダメ、ってことよね?」

「そもそも一人デここに来ルのも危ナイ。ラオの投槍でぶっすり貫かれテタかもシれん」

「なにそれこわい!」


クラスクが顎で指し示す先で腕まくり(のポーズ。まくるような袖はない)しながら投槍を構える長身痩躯のオークの姿に震えあがるエィレ。


「…でもクラスクは悪賢いオークじゃない?」

「賢さハ他の奴が決めル事ダナ。悪イかドうかハ……」


ぽり、と兜を掻きながら、クラスクが丘の下の麦畑を眺めながら呟く。



「…歴史が決めル事だ」



どきり、とした。


エィレの心臓が大きく跳ねて、思わずクラスクを仰ぎ見る。

その瞳は静謐で、不思議と叡智を湛えているように見える。


オークなのに。

オークなのに。

オークのはずなのに。


先ほどまでとはまた違う己の心臓の鼓動を確かめるように、少女は己の胸に手を当てる。


「城に行く。怪我ハナさそうダが痛いトこロハあルか」

「足がちょっと痛い、かも? ちょっと捻っちゃったかな」

「そうカ。ここに来ルには何使っタ。馬カ」

「うん」


こくんと頷いたエィレの背後からオーク兵の一人が林を抜けてやってくる。


「大将ー! 他ニ隠レタ奴イナイ! 代ワリニ林ノ奥ニ馬繋ガレテタ!」

「大将言ウナ」


どうやら少女の知らぬ間に他に伏兵がいないかどうか調べに行っていたようだ。

エィレはオークどもの用意周到さに感心した。


「喰ウ?」

「食べるの!?」

「喰ウナ。エィレのダ」

「チェー」

「私のじゃなければ食べるの!?」


思わずカルチャーショックを受けるエィレ。

まあそうした風習がない種族からすればだいぶ衝撃的ではあろう。


「エィレ、自分の馬乗れルカ」

「え? あ、うん。どうだろ。ちょっと下ろして」


クラスクの腕の中から妙に離れがたく一瞬躊躇するが、すぐに思い直してそう進言する。

そして馬の背に横向きに降ろされたエィレはよっと軽やかに飛び降りて…一瞬顔をしかめた。


「やっぱりちょっと痛いかも? おかしいな。さっきまでは全然だったんだけど」


少女の報告を聞いてクラスクはフムと顎に手を当てた。


「なら俺の馬ノ乗っテロ」

「きゃっ!?」


ひょいとつままれたエィレはそのまま片腕でかるがると持ち上げられ、馬の背、クラスクの前にすとんと降ろされる。

先ほどまでのお姫様抱っことは違う。

クラスクの開いたまたぐらの前にちょこんと座っているような恰好だ。


「大将……ジャナカッタ太守、馬ドウスル。喰ワナイナラ連レテケナイゾ」


エィレの乗馬を引いてきたオーク兵がそう告げる。


そう、彼らオーク騎兵隊は現在歩兵を連れてきていない。

騎兵のみの軍隊である。


通常遠出をするなら歩兵や食料運搬用の荷馬車などを用意するものだが、クラスクはあえて騎兵のみで遠征していた。

騎兵のみの方がいざという時機動力があるし、攻めるにも逃げるにもやりやすいと考えての事である。


ちなみに食料は魔導師ベルナデッドのなんでも袋ベルナデッツ フェムゥ フェポルテックに握り飯や飼葉として放り込まれている。

これなら場所は一切取らないし重量も軽微なものだ。


軍隊にとって超重要な魔具なのだが、予算の都合ですべての国が完備できているわけではない。

そもそもが魔導師に予算を渡すことに抵抗のある国も少なくない。

彼らが要求した金額を多めにちょろまかして自分たちの研究資金に充てたりしていないかと疑いの目を向けているためである。

……まあその疑念はおおむね正しいことが多いのだが。


このあたりは国が小さくとも魔具の作成とその予算の捻出に一切頓着がないクラスク市はだいぶ進んでいると言えるだろう。

もっとも魔術戦によって使用不可になったり破壊されたりすることもあるので過信は禁物だが。


ともあれすべてが騎兵のクラスク兵団は当然全員馬に乗っており、エィレがクラスクと共にうまそうキートク・フクィルに騎乗するとなるとその馬を操る者がいなくなってしまう。


「どうしよう……やっぱり私があの子に……」

「心配イらン。うまそうキートク・フクィル


クラスクを見上げておずおずとそう尋ねたエィレの言葉に首を振ったクラスクは、己の愛馬を軽く撫でて声をかける。

ぶひひん、と嘶いたうまそうキートク・フクィルはオーク兵が連れてきた馬の方に首を向け幾度か低く嘶く。

相手もまたぶるる……と小さく嘶くと、そのままオーク兵の手にした引綱をはむ、と己で咥え、そのままとっとっと…とうまそうキートク・フクィルの横に並んで再び低く嘶くと、その場で大人しく佇んだ。


エィレは思わず目を丸くしてその光景を見つめ、己の上にあるクラスクの顔に向かって瞳をキラッキラに輝かせて問いかける。





「もしかして貴方……馬の言葉がしゃべれるの!?」





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