第577話 姫様とオークの騎士
その時。強い強い
少女の悲鳴を聞くや否やクラスクは己の愛馬に鞭を入れた。
いや…違う。
もし悲鳴を聞いてから鞭を入れていたのであれば彼女の落下地点には間に合わなかっただろう。
ギリギリで届かず目の前で少女の墜死の瞬間を目撃することになっていたはずだ。
だから…その時起きた結果から逆算するのであれば、クラスクは『少女が樹から落ちる前に既に鞭を入れていた』ということになる。
そんな勘の良さと呼ぶにはもはや予知能力めいた速さで鞭を入れたクラスクは体勢低く低く馬にしがみつくようにして一気に丘を駆け登る。
視界に樹上から落ちる影が映る。
その陰の肉の付き方から咄嗟に相手が何者か判断するクラスク。
鍛えていない。
あの筋力では直接戦闘力はない。
小さい。
体型から考えて人間族の子供のはず。
女だ。
あの華奢な体つきなら間違いない。
つまり鍛えていない人間族の少女が樹から落下している、ということになる。
もちろん判断する、と言ってもこれらをいちいち流暢に考えていたわけではない。
視界全体。
聞こえてくる悲鳴。
風に乗って漂ってくるにおい。
鞭を握る腕に感じるふるえ。
それら彼の五感の全てが、まるで意思と思考を持っているかのように目の前の状況を判断したとしか思えない。
ただクラスクは非力な少女だというだけで油断はしていなかった。
肩周りに張っているむちりとした筋肉が、それが単に騎乗のためではなく彼が臨戦態勢を解いていないことを物語っている。
確かにその少女と
だがそれは確実に無害である事を意味しない。
例えば毒塗りの短剣や指の隙間に仕込む毒針などであれば、非力な少女でも大きなオークを倒す力を得る事ができるだろう。
ゆえに今落下している少女が偶然落下しているだけの無害な娘なのか、それとも偶然を装ってこちらを誘っている危険な暗殺者なのか、この時点では判断がつかない。
わからない。
わからないけれど……それでもクラスクは全力で愛馬を駆る。
もしその少女がただの木登りしていた無害な一般人だったら取り返しがつかないからだ。
ただこのペースならギリギリ間に合う…となったところでクラスクはハタと気づいた。
このまま受け止めたら、マズい。
相手の落下速度と、そしてこちらの突進速度。
二つを掛け合わせたところに加えてクラスクの纏っている硬い鎧である。
仮に受け止められたとしてもこれでは跳ね飛ばすのと変わらない。
止まった地面にぶつかるのと高速で突っ込んでくる地面にぶつかるのとどっちが痛い? のような問いかけだ。
最悪地上に落下するより酷いダメージになりかねぬ。
だが減速していては間に合わない。
全力で突っ込むしかない。
クラスクは咄嗟に己の上体をぐりんと回して左手を大きく後ろに振り、そこではためいている己のマントの端を指先で摘まんだ。
そしてその指先をスッと滑らせマントの先端まで持ってゆき、素早く前に伸ばす。
そして手綱を持つ手を放し、代わりに両の
いわばマントで造った即席のトランポリンのようなものを生み出したわけだ。
クラスクはそのままその落下中の少女に体当たりするように突っ込んでゆく。
ギリギリもギリギリ。
そんな勢いでもなければ到底間に合わぬタイミングだったからだ。
ぼいん、と音がした。
クラスクの目の前で、彼の構えたマント目がけて少女が落下し、そのまま大きく跳ねた音だ。
クラスクはその際マントを前方にやや傾けて受け止めた。
水平に構えた場合少女はそのまま真上に跳ねて、クラスクが
それでは意味がない。
まあ樹上から落ちるよりはだいぶマシではあるだろうが。
ゆえに彼は前方に弾くようにして少女を受け、そのまま両脚で己の愛馬に指示して急減速、マントを持つ手を放し、宙に浮いた少女をゆっくりと抱き留めて馬を停めたのだ。
「大丈夫カ」
「は、はわわ…」
「ハワワ?」
動転している少女の不思議な物言いに首を捻るクラスク。
「言葉喋れルカ」
「んな……っ!?」
だがクラスクの少々不躾な問いが少女の癇に障った。
「しゃっべれるわよ! 馬鹿にしないでよ! あんたこそなんで
クラスクの腕の中に抱かれたまま真下からクラスクの顎を指さしまくし立てる。
少女の思った以上に強い口調にクラスクは多少面食らったが、別段怒りは湧いてこなかった。
むしろ好戦的なその態度を好もしいとすら感じているように見える。
「おかシくナイ。勉強シタ」
「勉強~~? オークのくせにナマイキよナマイキ!!」
「人種差別よくナイ」
「オークの口で言う事かー!!」
相手がクラスクでなければ実にもっともな叫びを上げる少女…エィレッドロ。
その耳に多くの馬蹄の音が響いてきた。
突然飛び出したクラスクをラオクィクと配下のオークどもが追いかけてきたのである。
「クラスク! 大丈夫カ!」
「問題ナイ。子供ダ」
子供は別に安全ではないと言いかけたラオクィクは、だがクラスクの目を見てその言葉を飲み込む。
クラスク自身もまたそれを十分把握しているとわかったからだ。
「ナンダナンダ」
「子供カ」
「ガキダナ」
「子供カー」
オーク兵どもが巧みに馬を操りながらクラスクの周囲を囲み、無遠慮な視線を少女に向ける。
先ほどまでの勢いはどこへやら、少女は強い圧迫感を覚えその身を震わせた。
オークが嫌い、の奥にはオークが怖い、という気持ちが隠れている。
オークに攫われる。
オークに連れ去られる。
オークの●●にされる。
絵物語も、昔話も、宮廷のパーティで吟遊詩人の歌も。
オーク達のそうした行状を赤裸々に語っていた。
なにせ倫理協定や子供に対する配慮などを謳った法律があるわけでもないのだから。
ゆえに少女は周囲のオークに怯えて……
クラスクの腕の中、彼にひしとしがみついた。
「懐カレタ」
「懐カレタ」
「太守ガ懐カレタ」
「太守モテルヨナー」
「「「イイナー」」」
オークどもが一様に羨ましそうにしているが、それはクラスクが女性にモテるという事実に対してであり、目の前の少女そのものへの垂涎ではない。
オークの女性観は出産や育児の適正に向いており、出産に耐えられない子供に対してはほとんど興味を示さない。
オーク族は種族全体でロリコンの気がないのである。
一方でたとえ小柄であっても
女性としての好みもスリムな美女よりはややふくよかで健康的な方が好まれる。
ゆえに未だその肢体に少女の特徴を強く表す少女について彼らが拘泥することはなく、単なる話のタネにされていただけだった。
とはいえその少女の愛らしさは十分オーク達の興味を引いたし、その美しさにも目を奪われはした。
他種族相手に何を…と思うかもしれないが、その感覚はオーク族の種族特性に由来している。
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