第576話 だってそれは運命の
クラスク市の存在はバクラダ王国からの完全な独立を目指している国王としてはとても有用であり、是非あの場に留まり続けてほしい。
だがそれが彼の手綱の内にいないというのは大きな不安材料でもある。
クラスク市がアルザス王国に味方する理由がないためだ。
単純な話クラスク市がバクラダ王国と自治権に関する折衝を行って、あの都市をバクラダ軍の駐留地として提供した場合、国王としては一気に窮地に陥ることとなる。
その選択はクラスクやミエの立場からすればほぼあり得ないものなのではあるのだけれど、国王アルザス=エルスフィル三世はそれを確信できるほどに彼らの事を知らないのだ。
そして最後の一つ。
アルザス王国の宮廷の各勢力との関係については、個々の勢力との利害関係による。
例えば秘書官にトゥーヴが最重視しているのはバクラダ王国の意思であり、そのほとんどの目的はクラスク市とは相容れない。
軍務大臣デッスロが最重視しているのは軍事都市ドルムの意地と対魔族戦であり、そういう意味ではドルム南方の存在およびその地域の安定性は彼にとってメリットになり得る。
一方でその地域が敵対的であった場合、ドルム防衛のためにクラスク市を攻め滅ぼす動機も十分にある。
財務大臣ニーモウは己の領地たる商業都市ツォモーペの儲けとひいてはアルザス王国の経済発展が主目的で、巨額の利益を得ているクラスク市に対し非常に強い興味を抱いているし、連日のようにクラスク市に部下を密かに派遣させてはその知識や技術を吸収し自都市に反映させようとしているようだ。
経済発展、という意味では十分手を取り合える素地がある一方で、その知識を全て得てしまったらクラスク市を潰すことを躊躇する理由が失われ、即日裏切る可能性も捨てきれない。
そして国王アルザス=エルスフィル三世。
彼とはアルザス王国国土の開拓と浄化、および対バクラダ王国という意味に於いては利害が一致しており、橋梁関係を築ける余地は十分にある。
一方でクラスク市が独立を求めている事に関してはクラスク市とは敵対関係にある。
広大な南部の耕地を己に従わぬ一都市にみすみす明け渡すことは王国国王として是が非でも阻止したいことだろうからだ。
以上の関係性を鑑みると、国王はクラスク市と協調路線を取ってくる可能性も強硬路線と取ってくる可能性もどちらもある。
他の二人は置いておいて、ざっくり宮廷の主要人物との利害を考えてみるとこんな感じになる。
このあたりはクラスクも正確に理解しており、ラオクィクもおおむね把握している。
…クラスクはともかく他のオークがそれだけ国情を把握できている事は驚嘆すべきことであり、このあたりクラスク個人の武名は聞き知っていてもアルザス王国側には把握できていないことだろう。
二人はそれぞれ王国内の情勢と自分達への利害関係を頭の中で思い描きながら再確認するように幾つか言葉を交わす。
「デ、「結局アレドウスル」
「そうダナ……」
お互い政情の把握をしつつ、一段落したところでラオクィクが話を戻す。
馬首が少しだけ上を向いて、小さな坂道に差し掛かった。
のままいけばあと100ウィールブ(約90m)ほどで林を通過するだろう。
あの樹上の謎の観測者の真下を過ぎるわけだ。
相手の詳細は不明。
おそらくほぼ間違いなく王国側の何者か。
観測だけであれば特に気にする必要はないけれど、もしこちらの命を狙ってるとなれば相手の真下を通過するのは危険だ。
けれどここで大きく迂回すれば麦畑を通過するしかない。
それはそれで何かこちらに不利な報告をされかねず、取りたくない選択だ。
というかそもそも王国側からそうした存在の通達は来ていない。
つまりこの見張りは秘密裏に行われているもので、もしここで樹上の存在を処分しても向こう側はこちらを追及できないはず。
毒塗りの投げナイフなどの飛び道具を使ってくることも考えると、このあたりで始末しておくのが一番いいのでは……?
言葉には出さぬが、そんなやや物騒なことを互いに考える。
樹の上に隠れているお転婆お姫様は、まさかに己がそんな不穏な相談の俎上に上げられているなど思いもしていないだろう。
ラオクィクの背に負われている魔法の槍。
それを投げつければただの一投で彼女の胴は刺し貫かれダメージより先にショックで絶命してしまうだろう。
少女にとってそんな運命が今や眼前に控えていたその時……
突然、強い風が吹いた。
アルザス王国の国土は広大な盆地である。
そして西の
『
「きゃっ!?」
その強い風に煽られて丘上の木々が大きくざわめいた。
特に若木の多いその林は全体的に幹が細く、その割に日照が多いため葉はよく茂っていて、ずいぶんと大きく揺れた。
少女…エィレッドロは慌てて幹にしがみつこうとしたが…一瞬遅かった。
彼女の腰掛けていた枝が大きく撓り、直後にぼきりと折れる。
幹に伸ばした手は遂に届かず、彼女は真っ逆さまに地面へと落下した。
(あれ…?)
エィレッドロは不思議な感覚に襲われた。
何かが自分の手から離れ、消えゆくような感覚。
(わたし、死ぬの…?)
なんとなく予感する。
今手放したのはきっと己の命だ。
このまま地面に落ちたら、きっと死ぬ。
でも自分にはどうすることもできない。
ただ落ちる事しかできない。
だって空も飛べない。
受け身も取れない。
大人のように頑丈でもない。
だからきっと助からない。
(ああ、でも…)
樹上から地面まではほんの一瞬。
瞬きの間の出来事だろう。
だというのに……妙に余裕をもって、少女は心の内で呟いた。
(お父様と喧嘩したままお別れなのは、ちょっとイヤ、だな…)
ぼふん、と音がした。
硬い硬い地面に叩きつけられると覚悟していたはずなのに、なぜか彼女がたどり着いた落下地点にはやけに弾力があった。
少女の、エィレッドロの身体が大きく跳ねる。
宙を舞いながらなぜか真上ではなく斜め上方向に跳ねる。
ちょうど丘の上から王都の方に向かってぽーんと跳ねたのだ。
「? ??」
わからない。
わけがわからない。
なぜ自分は死んでない?
なんで地面がこんなにやらかいの?
一体何がどうなって……
考えるより早く、少女は抱き留められた。
大きな、大きな腕の中。
その中に、少女はすっぽりと収まった。
つまりお姫様がお姫様抱っこされた格好である。
そして…少女の目の前には、顔。
大きな大きな緑色の顔。
オークだ。
オークである。
オークが大っ嫌いのエィレッドロは、あろうことかその当のオークに助けられたのだ。
「ちょ……っ」
「怪我ナイか」
「~~~~~~~~~~~~~~っ!」
離せと。
すぐに下ろせと叫びたかった。
じたばたともがき、あがいて、そのオークの顔面に蹴りの一つでも入れて脱出したかった。
いやそのつもりだった。
そのつもり……だったはず、なのに。
(え…………?)
ばくん、と心臓が大きく鳴った。
どっどっどっどっどっどっどっど……と早鐘のように鳴り続けた。
そのオークの顔から眼が離せない。
心臓の動悸が、高鳴る胸が収まってくれない。
少女は動転した。
そんなはずはない。
絶対にあり得ない。
自分はずっとずっとオークが嫌いだった。
大嫌いだった。
そのはずだ。
今でもそのはずなのだ。
そのはず、なのに……
この動悸は何だろう。
さっきから止まらぬこの胸の高鳴りはなんだろう。
目の前のオークの顔から目が離せない。
その澄んだ瞳に吸い寄せられる。
嘘でしょ。
だって、だってだって、
だってこれじゃあまるで……
大っ嫌いなはずのオークに、一目惚れしたみたいじゃない!
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