第572話 謎の観測者
「気ヅイテタカ」
「アア。俺達ヲ見テルナ。サッキカラズットダ」
何食わぬ顔で馬を進めながら、謎の監視者について小声で語り合るクラスクとラオクィク。
「お前が気ツクッテ事ハ本人ガ見テルッテ事カ」
「オ前ト一緒ニサレテモ困ル。俺ハタダノオークダゾ」
「俺ダッテタダのオークダ」
「ドウダカナ」
「酷くナイ?!」
街の首脳陣であってもクラスクに対してこれほどの軽口を叩ける者は少ない。
年も同じで初めて襲撃に出たのも同じ日、幼いころからずっと一緒だったラオクィクならではの距離感と言えるだろう。
なおクラスクの発言にはやや特殊な事情がある。
例えば〈
部屋の中にいながら遥か遠方の光景を見ることができる呪文だ。
単体で完結する呪文ではなく、魔導師であれば水晶球などを用いてそこに映像を映し出す。
同系統の呪文は
この呪文を唱える際には見たい光景や人物などを指定する必要があり、言い回しが曖昧だと失敗したり別の場所が映し出されたりする。
上位存在などに質問形式などで情報を精査するだけではなく、こうしたある種の超知覚もまた占術のカテゴリなのだ。
この時なんらかの生物を対象に指定した場合、相手はこの呪文に対して抵抗することができる。
つまりこれは『対象を取る』呪文であり、当然年経た竜種などが備えている魔術結界などでも抗し得る。
抵抗、と言っても意識的に反抗するわけではなく、知らぬうちに無意識で弾いている、と言った方が正しいだろうか。
強靭な精神力を有する者はこうした魔術に対してある程度の耐性を有しているのだ。
そして己を対象に取った〈
いわば水晶玉越しの視線を感じるわけだ。
だがそうした『魔術による視線』に気づき得る者は限られる。
大抵の場合魔術の素養がある者のみが感知でき、ごく稀に異様に勘が鋭い者が気づける程度だ。
クラスクはその後者であり、水晶玉などで彼を覗けばだいたい水晶玉越しに視線が合ってしまう。
だが当然と言うかラオクィクにはその気づきはない。
純粋な戦士である彼は毒や病気などには異様に強いが魔術への抵抗力はさほどでもないのだ。
ゆえに彼は水晶球で覗かれても全く気付くことはなく、その気になれば風呂場まで除き放題である。
まあそんなことをしたがる者は彼の妻女くらいだろうが…などと言うとゲルダとエモニモが真っ赤になって激しく否定しそうだが、ともあれラオクィクは水晶玉などの魔術による探知に気づくことはできぬ。
一方のクラスクは水晶球で覗かれようと水鏡越しに見られようとしばしばそれに気がつくことができる。
できるのだが…それが魔術的なものなのか物理的な視線なのかまでを判別することができない。
ゆえにこそ彼はラオクィクに視線を感じるかどうか確認し、ラオクィクが知覚している事でそれを物理的な視線だと確認したわけだ。
そしてそれに対しラオクィクが皮肉を述べた、というわけである。
「位置はわかルカ」
「前ダナ。左斜メ前方」
「時計デ言ウト?」
「…チョット待テ。アー、
己の名を呼ばれ、なにかよう? とばかりに首を傾ける乗馬を優しく撫でるラオクィク。
「ラオノ感知ハ正確ダカラナ…俺ノ場所カラハ……フム」
ラオクィクの感じた方向と己の感じた方向を伸ばし、交差点を探る。
街道を進んだ先、土地に多少の隆起があってその上に小さな林が広がり、その周囲だけ畑が途切れている。
どうやらこちらを観察している視線はその林から伸びてきているようだ。
「上下はドうダ」
「上ダナ。樹ノ上ダ」
「お前もそう思ウカ……」
そう言いながらクラスクは首を捻った。
答えたラオクィクもまた妙な表情である。
その林はだいぶ若い。
枝ぶりはいいがまだ幹が細く、樹上に隠れ潜むのは難しい。
人間の重量が隠れるには枝がもたない気がするのだ。
「ゴブリンカ?」
「コボルトカ?」
互いに呟いて遠方から気づかれぬ程度に小さく首を振る。
確かにゴブリンやコボルトなら小型の種族なのでああした樹上にも隠れ潜むことができよう。
だがあり得ない。
だってここはアルザス王国の王都もほど近い直轄領、それも街道筋である。
こんなところにそんな連中がいたら大問題だ。
とっくの昔に王国の騎士団が駆逐しているはずである。
それこそかつてはキャスあたりがそうした任務をこなしていたかもしれない。
「王国から派遣されタ盗族ギルドの
「……一番アリソウダナ」
クラスクの呟きにラオクィクが頷く。
小型の種族。
若木の細枝の上に隠れ潜む潜伏能力。
彼らオーク騎馬隊を監視するという役目。
それらを考えあわせれば最も確率が高そうなのは見張り要員。
クラスクらが突然略奪などを始めないか。
行軍中に何かしでかさないか。
或いは何かつけ入る隙が無いか。
そうした目的で国王或いは宮廷の誰かの命で放たれた、潜伏監視に優れた盗族ではないか。
二人はそう結論付けた。
だが……クラスクとラオクィクは珍しく見立てを誤った。
二人が出した結論は、完全に見当違いだったのである。
× × ×
「あーもう! なにやってんのよ!」
小声で呟く声は女性のものだ。
それもその高い声音は少女のそれである。
その愛らしい声はどこか苛立たし気に聞こえた。
誰かに対して悪態をついているようだ。
そこは小さな丘の上の小さな林。
かつてこの辺り一帯が瘴気に覆われた荒野であった頃、幾人もの瘴気開拓民が挑んで開拓を挫折した場所だった。
掘っても掘っても土の下にあるのは岩と石ばかり。
瘴気地に於いて
そんなわけで彼らはより開拓しやすい平地へと開拓の矛先を変え、この近辺はそのまま長い間放置されてきたのだ。
その後開拓が進み瘴気は晴れてきたけれど、今度は農作業が忙しくてなかなか開拓の手が伸びぬ。
無論金や手間をかければ無理矢理開墾はできるのだが、別にそこまでしてやらなくとも…のような意識が周囲の農民たちに広がっていた。
開拓初期は土地に瘴気が残っているため麦の育成が悪くなりがちで、畑の様子を常に気にかけていなければならぬという事情もあった。
そうこうしている内に国王がその丘のあたりを直轄地に指定してしまった。
と言っても別に農民達の権利を疎かにしたわけではない。
平地の多いこの地域に於いてその林一帯はやや小高い丘となっており見晴らしがいい。
瘴気を晴らすためには心の病んでいない
そこで国王は農民たちの休息の場所や景勝地としてその地を提供したわけだ。
この王の決定は歓迎され、近辺の村の者達は農作業の合間などによくこの丘に登って休憩したりするし、行楽にやって来る者も少なくない。
いわば近場の散歩や軽いピクニックの目的地、と言ったところだろうか。
ただ当時生えていた、瘴気に犯され歪みねじくれた木々は伐採され、その後地面から生えてきた若芽が今の林の元となっているのが当時と異なる点だろうか。
上手く育成すればもう少し大きな森になっていたのかもしれないけれど、森は森の女神のものであってそれを育てるのは彼女の信徒であるエルフの生業であると認識されていたことと、当時(割と今もだが)付近のエルフ族との仲が険悪だった事もあって、そうした助力は得られなかった。
ともかくそんな林から声がする。
声のする方向からして樹上にいるようだ。
……一体その声の主は、何者なのだろうか。
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