第556話 文明の夜明け、いろいろ

さて郵便配達以外にもこの街で大きく変わった点がある。


この街の識字率向上のためアーリンツ商会がドリルや参考書に類するものを売り出したと先刻述べた。

それはとりもなおさず書物が庶民の手に入るほど安価に出回るようになったという事だ。


この世界の書物は基本手書きであり、同じ内容の本が欲しければ複写するしかない。

それが魔導師であれば複写用の呪文などもあるのだが、そうでない身であれば彼らに安からぬ金を支払ってそうした魔術を使ってもらうか、それができなければ己の手で書き写すしかないわけである。


だがこの街は遂にその楔から解き放たれた。

活版印刷の登場である。


原始的な活版印刷の構造は単純だ。

一文字一文字彫られた印刷版を組み合わせて文章とし、そこにインキをつけて紙に押し付けるだけだ。

これにより同じ内容のページを何枚もすることが可能となり、同じ内容の本を何冊も製作することが可能となる。


ただこれは一人の技術者がどうこうできるものではない。

そこでこの活版印刷を請け負ったのがノーム族である。

ミエから聞いた活版印刷の技法を、自国に論文の発表するため帰国していたシャミルが同族に伝えたところ非常に(非常に)強い興味を示し、十数人の一団が群れ為してこの街へとやってきてシャミルを巻き込み一丸となって、試行錯誤の末その技術を実現させた。


彼らはそのままこの街に移り住み、その技術を用いて書物を量産し始めた。

最初は学術書を複製しその生産性に自ら歓喜していた彼らだったが、やがて依頼によりそれ以外の書物も印刷するようになる。

いわゆる印刷所の役を担うようになっていったのだ。

アーリンツ商会が出した教育商材も彼らの力あってこそ量産できたわけである。


ただしこの印刷業を成立させるためには大きく二つの課題をクリアしなければならない。

第一に紙の量産技術であり、第二に印刷版を造るための正確な鋳造技術である。


この街にも製紙業自体は存在している。

ミエが草の繊維から和紙に近い紙を作り、少数ながら街の書類などに使用されていた。

だが手すきのためその生産量は少なく、ミエたちもメモ書きなどのほとんどは羊皮紙(かつては猪の皮だったが最近は字の如く羊皮紙をりようできるようになっていた)に頼っていた。


だが羊皮紙では活版印刷の印字に向かず、手すきの紙では圧倒的に生産量が足りない。

製紙技術を一気に上げないと本のはともかく本のは難しい。


その解法を示したのがシャミルである。

彼女は長い間(というほどこの街の歴史は長くはないのだが)街の特産品だった蜂の巣に着目した。

とは言ってもこの時点では特に製紙とは関係なく、単なる彼女の学術的興味からであるが。


ともあれミエたちの街が養蜂を行っている蜜蜂の巣は蜜蝋などを主原料に造られるが、蜂の種類によっては他の素材を用いることもあるらしいのだ。

例えばスズメバチなどがその代表である。


まあこの世界のスズメバチは見た目こそミエの世界のそれと似ているが大きさが8フース(約240cm)ほどの獰猛なクリーチャーであり、即死性の毒針を持ち人型生物フェインミューブに集団で襲い掛かり殺害した後丸めて団子にして巣穴に持ち運ぶというなんとも危険極まりない連中なので、彼らを『スズメ』と形容するのはだいぶ語弊があるのだが。


なんとかその巣を調べられないかとフィールドワークに出ようとしたシャミルをミエやゲルダが懸命に止める一幕もあった。


まあこの世界のスズメバチの巣などにシャミルが迂闊に近づけば、たちまち蜂どもに群がられ食いでのない肉団子にされるのがオチである。


なおも探求心と好奇心を発揮するシャミルに意外なところから助け舟が現れた。

クラスク市の北、東山部族のオーク達が住むドックルの村の村長、フィバリィである。


フィバリィは今は亡き元東山族長ヌヴォリの下で長年彼に従っていた部族のNo.2であり、ヌヴォリの副官と言っていい存在だった。

実力的にも申し分なく、ヌヴォリ亡き後そのまま東山部族の族長の座に就き現在に至る。


その彼曰く、かつて族長ヌヴォリがスズメバチの巣に戦いを挑んだことがあったというのだ。


若かりし頃の彼は当時最強と謡われた東山の前族長(今では前々族長だが)に打ち勝つため村を出て武者修行に明け暮れていた時期があり、その時の武勇伝をフィバリィは幾度も幾度も(殊に酒の席では)飽きるほど聞かされてきた。

その中には竜程に大きな鳥に餌として連れ去られそうになった事や、火を吐く狼と格闘して絞め殺した事など事実かホラかよくわからない話もあり、その中にスズメバチの巣に戦いを挑んだ話もあったらしい。


結局彼らを全滅させることは叶わず、途中で撤退してきたとのことだが、その証拠として巣の一部を砕いて持ち帰ったというのである。


とはいえ証拠を見せられてもそもそもスズメバチの巣を直接見た事のないフィバリィにはそれが本物かどうかすらわからない。

単に感心した風に相槌を打つくらいしかできなかったという。


そんなわけで彼が持ってきた1フース(約30cm)ほどの欠片は、シャミルが調べたところによると間違いなく蜂の巣の外壁のようだった。


巨大な鳥というのもルフ…ミエの世界で言うところの空想上の怪鳥ロック鳥…のことだろうし、彼が普段背中に差していた羽も本物だろう。

どうやらヌヴォリは若い頃相当やんちゃと無謀をやらかしていたようだ。


ともあれシャミルはその巣を(許可を得たうえで)解剖し調べ上げ、その構造が村の蜜蜂の巣のそれと大きく異なっている事を知った。


花の蜜を固めた蜜蝋主体の蜜蜂の巣に比べ、スズメバチのそれは木材を噛み砕き唾液で固め、その繊維を利用して巣の形状に加工していたのである。



そこでようやくシャミルは自分たちも木材を原料に紙が造れぬだろうか、と考え始めたのだ。



まず錬金術の技法を使い薬液で木材を固めている素材を除去し、ばらばらの繊維の山に変える。

次にそれを叩いて叩いて叩いて叩いて叩いてほぐし、薄く引き伸ばして日に当てて乾かす。

これでかなり紙らしきものが造れることがわかった。


ただこれだと紙色が濃すぎて文字を書くには不向きである。

そのため別の薬液を用いて漂白する。


またひたすら叩いて叩いててほぐす手間が面倒なので街の外の水車を利用した。

さらに乾かすのに天日干しだと雨の日に造れなくなるため屋内で蓄熱池エガナレシルにより放熱乾燥させる。


これでどうにかこうにか木材から安定して紙を作る事が可能になった。


得意満面に己の研究成果を披露するシャミルを見てミエはさぞ驚いたことだろう。

なにせ彼女が製造したももはミエの世界にも存在している。

いわゆる『木材パルプ』である。


シャミルは街に住み着いたノームの研究者や技師らの協力もあったとはいえ、ほぼ独力で木材パルプの製造に成功してしまったのだ。



「いやーあの時はほんとに驚きました」

「なんじゃ。わしの才能にか」

「え? 当たり前じゃないですか」

「お主に言われてもなあ」

「いやー…それはどうでしょうかねー…」


ミエは棒読みになりながら頭を掻いて蒸気自動車の車体にしがみつく。

なにせ彼女の知識はそのほとんどが借り物だ。

別の世界の書物などで得た知識に過ぎないのである。

一から研究し開発してのけたシャミルとはそのが違う。


ミエはなんとなく気まずくなって目を逸らす。

すると自動車の脇を後ろ手で歩いているサフィナと目が合った。


「おー……遅い」

「やっかましわ! 応急修理で本調子でないのだから詮方なかろう!」

「おー……悪いとは言ってない。サフィナこの速度すき…」

「なぬぅ……?」

「あー…なるほど」


サフィナの台詞に目を剥くシャミルだったが、ミエの方はすぐにサフィナのを察して手を叩いた。

…そして車から落ちそうになって慌てて車体を掴み直す。


「要はあれですね。実用的な無人馬車とかじゃなく、ガイドをのっけて街をゆっくり観光するような…?」

「おー…たぶんそういうやつ」

「…なるほどの。確かにそうした用途もあるの。考え付かなんだわ」


レバーを握り車体の操作に専念していたシャミルは、小さく嘆息して背後の二人に振り向いた。






「やはりお主は面白いことを思いつくのう」






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