第555話 郵便制度
さて話が少し脇道に逸れた。
ともあれそんなあこんながあってクラスク市の評判はますます上がり、移住希望者がさらに大挙することとなった。
そうなると少々困った事態が発生する。
仕事の確保である。
これまでミエたちは移住希望者すべてに職を斡旋してきた。
基本的に街に住む者は全て街の中、或いは街の外周の耕作地での労働が保証されるべき、という考え方だ。
いわゆる『職住近在構想』である。
だが街の人口が一気に増えたことで、それをミエたち首脳陣だけで管理するのが徐々に困難になってきた。
増えた人口の最も簡易な仕事先と言えば単純労働である。
つまり増えた人口を養う分の耕作地の拡大、すなわち開墾事業だ。
現在クラスク市の北方にはかつて無人荒野と謡われた赤竜の広大な縄張りが広がっており、そちらの開墾は急務である。
当然大量の労働力が必要となるのだが…
困ったことに、街の北方には力の有り余ったオークどもが幾つも村を作っているのだ。
赤竜により一時的に避難を余儀なくされていた彼ら他部族のオークどもは再び北の村々へ戻り、その周囲を見る間に発展させていった。
そして金払いのいい北部の開拓においても(嫁にいいところを見せたくて)大いに働いている。
そう、なまじ肉体的に優れたオーク族を単純運労働力として大量に擁しているこの街は、新たに移住してきた者達を安易にそうした労働力に回せないのである。
無論人手が足りていないところは足りていない。
蓄熱池の生産工場や米を栽培する水田などは人手がもっと欲しいし、季節によっては農作業に大量の人出が必要となる。
けれどそれらだけでは増えた人口を賄いきれぬ。
新たな、それも都市の内側での仕事が必要となったのだ。
そこでミエが提案したのが郵便である。
もちろんこの世界にも手紙は存在する。
存在するがそれは馴染みの隊商に手紙を預けて目的地の途中の街の相手に運んでもらうとか、貴族などであれば馬を使って届けるとか、そういった類のいわば個人的なやりとりでしかなかった。
だがミエが導入したこの街の精度は違う。
街を細かに区分けして住所と番地と数字で個人の家を特定しそこに直接手紙を運ぶ。
最初は街に数か所郵便局を建造し、そこで集めた手紙を街の各所に運ぶのみだったが、その後鍛冶屋に協力を頼み各所に郵便ポストを設置、一定時間ごとに集荷して手紙を届けるシステムを完備させた。
いわばこの世界でクラスク市のみ郵便配達を実現させてしまったのである。
もちろん街の外へ向かう手紙も引き受けるが、他の街ではこのシステムが存在しないため、方向が同じアーリンツ商会の馬車に乗せて目的の街まで運んでもらい、それ以降はこれまでの手紙と変わらぬ動きになる。
その点についてはお触れを出して徹底周知した。
……これが、非常に受けた。
そもそもこの世界では手紙をやりとりをする文化自体貴族などの生活レベルが高い者達のものであり、庶民にはそうした上流文化に対する憧憬が潜在的にある。
それが自分達でもできるとなった時、つい真似したくなってしまうのだ。
この流れは基本的に蜂蜜や
いわば既得権益を喰い合うのではなく、庶民の潜在需要を掘り起すわけだ。
模倣によって文化が上から下へと伝播してゆく。
これもまた立派な文化の潮流である。
ミエはそれを自然発生的ではなく人工的に作り出したに過ぎない。
ただこれが他の街であればそう容易ではなかっただろう。
なぜならこの街にはそうした手紙文化を庶民が取り入れる下地が整っていたからだ。
まず識字率が高い。
なにせ街に暮らしているオークどもからして皆
というかクラスク村出身のオークはクラスクがみっちり仕込んで読み書きを教え込まれているし、他の集落のオーク達は
クラスク市北方の集落に住む他部族のオーク達。
彼らの集落にいる女性のほとんどはクラスクに略奪や強奪を禁じられる以前に攫われてきた娘達であり、つまり現在では皆人妻である。
独身女性のオークはほとんどいない(クラスク村のオーク達と異なり、こちらは皆無と言うわけではない)ため、若きオーク達が配偶者を得ようとしたらクラスク市の市街に入るしかない。
ゆえに彼らは死に物狂いで
なにせ自分たちの種の存亡と己の配偶者がかかっているのである。
この
さらにこの街は義務教育制度を導入している。
子供たちの識字率の高さは近在の国々と比べても飛び抜けているのだ。
オークも読み書きができる。
自分の子供も読み書きができる。
となると、結構な数の大人達…これまでまともな読み書きを修得する機会のなかった者達…もまたそれらを積極的に学ぶようになった。
そうした動きをミエは大歓迎し、夜の小学校を彼ら学習意欲のある大人たちに解放し、かなり安価で学びの機会を与えた。
いわゆる夜学である。
またそれを商機と見たミエはアーリと相談し、アーリンツ商会から学習教材…いわゆるドリルや参考書に類するものだろうか…を出し、これがまた大いに売れた。
こうして多くの者が文字を読み書きできる下地があったからこそ、『各家庭に個別に手紙を届ける』という驚きのシステムは大いに歓迎されたのだ。
その手紙を届ける郵便配達員は皆街が雇った正規の職員であり、街の住所を空で言えるほどの記憶力と健脚と体力が求められる。
だがその新しい文化の担い手と言うステータスと、青地の服のデザイン(この街の服飾デザイナー、エッゴティラ御謹製である)の良さから、郵便配達員は大人気の職種となって希望者が殺到した。
さらにこの郵便配達員は、当初の目的とは全く異なる利益をこの街にもたらすこととなった。
ミエたちがのろのろと走らせている蒸気自動車。
その頭上の陽光を一瞬何かが遮った。
ミエが手をかざし仰ぎ見れば頭上を飛ぶのは青い影。
それは大きく羽を打ち鳴らし、近くの四階建ての共同住宅の三階のバルコニーへとふわりと腰掛けて、窓を三回ノックした。
窓を開けてその部屋の主婦らしき女性が現れる。
青地の服を着た郵便配達員……背中から羽を生やした
種族的に美男美女しかいない
まあ彼女自体は既に人妻となってオークの子を産んでいるのだけれど。
そう、これが大きな変化。
街に
預言によってほぼ人身御供同然にクラスク市に送られたイエタだったが、蓋を開けてみれば街に住むオーク達は(一部を除き)とても文明的かつ紳士的だったし、街を治める市長は聡明かつかの赤竜を討伐する程の強者だった。
イエタからそうした報告を受けた
そんな彼らと、この郵便配達と言う仕事がぴたりとはまった。
クラスク市には四階建て以上のマンション形式の共同住宅が多くあり、それらの高い階に直接手紙を届けられる、というのは話題性としても見栄えとしてもとても大きく、郵便配達員への憧憬を煽る一助となっていた。
また彼らに円滑に配達をしてもらうためミエとクラスクが街の法律を改正し、郵便配達の仕事に従事している限り
殆どの街に於いて街中での飛行が禁じられ、そうした不便さもあってなかなか己の国から出てこなかった
こうして……世にも珍しい
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