第554話 大クラスク市

蒸気自動車が煙を噴き上げながら街の北門をくぐる。

周囲の旅人や観光客から一斉に好機の目が降り注がれた。


それはそうだろう。

なにせこの世界の交通の主流は馬車である。

蓄熱池エガナレシルをエネルギー源として蒸気機関を用い馬に引かせず移動可能な車両など物珍しいにもほどがあるというものだ。


というかそもそも蒸気機関を動力にして車輪を動かしているということはピストン・クランク機構もしくはそれに類する機能を実現しているということになる。

それはちょっとした技術革新であり、何も知らぬ旅人が見れば魔法の産物に見えてもおかしくないのである。


さて北門をくぐった先の様相は以前とだいぶ変わっていた。

実験農場と畜舎が広がっていたのどかな光景は今や見る影もなく、城壁付近までびっしりと建物が軒を連ねている。


そして北門から続く主街道の左右には数多あまたの店が軒を連ねており、多くの客で賑わっていた。

かつての光景とは隔世の感がある。

まあかつてと言ってもほんの半年ほど前に過ぎないのだけれど。


とはいえ目にした光景がかつてとまるで違うのはある意味当然ではある。

かつて街を覆う外壁としての用を為していた北門はまだ通りの雑踏のさらに先、以前の倍ほどの高さに積み増された城壁の下にあるのだから。


そう、見知った光景でないのは当たり前なのだ。

なにせここは以前の北門のさらに外側にできた街なのだから。


かつては中心部にあった城壁の内側を中街、その外側に自然発生的に形成された街を下街と称していたが、今では中心部を『上街』、かつての下街を『中街』、そしてその外側に新たに生まれた街…今ミエたちが蒸気自動車を走らせている…を『下街』、とそう呼ぶようになっていた。


本来であれば地理地名は呼び慣れを重視して元々使われていたものをそのまま残すことが多いのだが、ミエたちは政令によりあえて新しい地名に変更した。

今後地名がとても重要になると踏んで、どこかのタイミングで街の中の地名を確定させる必要があったためだ。



が……ミエたちの横を走り過ぎる。



応急修理のみでのろのろと走る蒸気自動車の脇を、何者かが走り抜けていった。

新品の青地の服を着た若者で、頭にのせているのは青いベレー帽、履いているのも青地のズボン…ジーンズに近いものだろうか…であり、統一感のあるデザインである。


しかも一人ではない。

同じような格好をした者達が、この下街をせわしなく動き回っている。


奇妙と言えば周囲の者達の反応も些か妙だ。

足早に歩き回るその青服の者達の邪魔をしないようにわざわざ避けたり道を開けたりしてくれている。

そして明らかに旅人や観光客と思しき者達が、彼ら青服の連中を指さしながら何やら好奇の目を向けている。

彼らは一体何者なのだろうか。


と、青服の者が裏通りの住宅の前で足を止め、扉のノッカーを叩いた。

しばらくして中から主婦らしき人間族の女性と肩にしがみついたオークの子供…正確にはハーフオークだが…が現れた。


便です!」

「あらありがとう。いつもお疲れ様ねえ」

「いえ! 仕事ですから!」


…そう、彼らの青服は制服。

そして彼らの仕事は手紙の配達。


つまりクラスク市は……便を始めていたのだ。


郵便制度を採り入れるなら住所はしっかりと定めておかねばならぬ。

その結果としての呼び名の変更と確定だったわけだ。


そもそもの問題はこの街の人口爆発にある。

ただでさえ四方へ続く主街道の交差点と言う優れた立地と他地域では襲撃者たるオーク族が街道を守護しているという圧倒的な安全性、それに加えてこの街を治める市長…最近は太守と呼ばれるようになったが…の脅威の武勇伝。

それらもあってこの街の知名度と評価はますます上がっていた。


また復興事業なども手掛けており、隣町のモールツォが赤竜に襲われ甚大な被害を出した時などすぐに人材と資金を供出して彼らの街の再建に大いに寄与した。

王都からの支援の手が遅すぎると不満を囲っていたモールツォの街の住人達は大喜びし、この街の評価はますます上がる事となった。


…これは純然たるミエの好意であると同時にしたたかな計算でもある。


モールツォはクラスク市の南門を抜けてまっすぐ街道を進めばその先にある、やや距離はあるものの立派な隣町である。

隣町が被害を受けたのだから商売的見地からそれを支援するのはさほどおかしな話ではない。


だが実際にはモールツォとの直接の交易はこれまであまり多くはなかった。


それはなぜか。

答えは簡単、モールツォがバクラダ王国の都市だからである。


バクラダ王国はアルザス王国の広大な国土を狙っていて、その橋頭保としてアルザス王国の南西部、すなわちクラスク市近辺を手中にせんと画策している。

ゆえにクラスク市が拡大し増強されるのはあまり好ましいことではなく、国内の諸都市にもクラスク市との交易を制限させてきた。


無論それは各都市自体の話であって、バクラダ王国から商品を仕入れた他国の商人たちがクラスク市でその商品を売りさばくこと自体は容易には止められぬ。

だが少なくともバクラダ王国の諸都市は、クラスク市と積極的に交流していなかったし、またできなかった。


そこにかの赤竜イクスク・ヴェクヲクスの襲撃があり、クラスク市からの豊富な援助があった。

当然ながらモールツォの住人は歓喜したし、市長たるカイルズ子爵も大喜びした。


なにせ王都への支援金や支援物資の要請はなしのつぶてで、これ以上復興を遅らせると激怒した市民たちに襲われて殺されかねなかったのである。


ただ王都の支援が遅れたのは別に嫌がらせと言うわけではない。

この世界の人間族の国の殆どはいわゆる封建国家であり、各地の貴族が己の領地を治めそれを国王がまとめる、といった形式を取っている。

つまりモールツォの被害はその街の領主が責任を負うべきであって、国王ががくちばしを突っ込む話ではないのだ。


ただ赤竜に根こそぎ街の財産を奪われたモールツォに再建と復興の力はなく、弱り果てていたところにクラスク市の申し出があり彼らは喜んで飛びついた、というわけだ。


当然街の支配者たるカイルズ子爵もその住人達もクラスク市に好意を抱くことになる。

そして復興を成し遂げた後は当然クラスク市と積極的に交易をするようになり、それはモールツォに驚くほどの収益をもたらして、街の復興を大いに援けた。


なにせクラスク市の品々は近隣の他のどの街よりも圧倒的に品質が優れているのである。

これまで交易を見咎められていたのが馬鹿らしいくらいに儲かるのだ。


モールツォが輸入したクラスク市の商品はこの街から徐々にバクラダの他の街にも広がってゆき、さらにその評判を高めてゆく。



バクラダ王国は非常に困った事態に陥った。

である。



バクラダ王国としてはなんらかの政治的理由…悪く言えば難癖をつけて、アルザス王国に攻め上りたい。

地理的条件を鑑みればそのルートは国の北西部にある中森ナルロ・ヒロスを通過する者となり、となれば当然第一攻略目標はその街道の先にあるクラスク市である。


クラスク市は平野のど真ん中に建てられた平城であり、山城に比べて防御的利点は少ない。

軍事大国たるバクラダの戦力を集中させれば落とすこと自体は十分可能だと考えられていた。


が、そのためには兵を一か所に集めねばならぬ。

どこに集めるのかと言えば、クラスク市に最も近い国内の街だ。




そう、バクラダ王国の北西に位置するクラスク市の隣町、モールツォである。




その当のモールツォが、しばらく見ない間に急速にクラスク市に接近している。

多少の予算をケチりはしたがモールツォはあくまでカイルズ子爵の領地、彼の自助努力でなんとかすべきというのは別段おかしな理屈ではない。


ないのだが…その隙をクラスク市に突かれた。

まったく無関係のクラスク市が積極的に支援を行ったことで両者の関係は大幅に改善、隣町同士の交易で大いに利を受け復興の援けとなったモールツォはクラスク市に傾倒。


この状態であの街を攻めるからとモールツォに兵を集めるのはかなり難しくなってしまった。

復興を自助努力でさせたのだから、街を望まぬ出兵の為に貸し出す気はない、と突っぱねられるリスクを抱えてしまったのである。


敵対している街の復興に真っ先に手を挙げて資金を援助するなどなんという政治感覚だろう。

近隣の諸都市はクラスク市の資金力の高さと足の速さと共に、その即断即決たる政治力の高さに瞠目した。


まあその復興の後押しをしていた当の太守夫人は、己の純然たる善意の理由付けとしてそうした付加価値を付けただけなのかもしれないが。





ちなみにこの際カイルズ子爵の感謝状に記されていたクラスク太守殿、という呼び方を気に入ったクラスクが自らを『太守』と名乗るようになったのが、昨今の彼の呼称の変化のきっかけである。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る