第557話 鋳造技術のワケ

さて本の印刷の話に戻るが、製紙以外にもう一つ非常に重要な技術がある。

精度の高い活字組版の鋳造である。


文字が刻まれた金属製の角柱…これを活字と呼ぶ。

初歩的な活版印刷ではこの活字を幾つも縦横に組み合わせ、その活字にインキを塗って紙に押し当てて文章を作る。


この際活字の文字の彫りが不正確だと凹み過ぎて文字薄くなったり或いは逆に出っ張り過ぎてインキが強く滲んで読みづらかったりするし、角柱自体のサイズや大きさにブレがあるとひとまとめに押し当てることができぬ。

また活字は木版の方が彫りやすいが摩耗もしやすく、やはり長期運用するためには金属版が必須となる。


ノームたちは活版のデザインや製図はできるがそれをいざ金属で鋳型を作って製造…となるとあまり得意ではない。

研究者と技術者の違いのようなものだ。

まあこの街のノームの賢者は割とその両面で活躍している気もするが。


つまり…求められているのは非常に高い金属の鋳造技術である。


そこに名乗りを上げる者達がいた。

ドワーフ鍛冶の連中である。


そう、ここ最近クラスク市の下街…つまり市の一番外側の新街北部に、ドワーフ達が結構な数移住してきていたのである。


半年ほど前のオルドゥスの街の大崩落とオーク族による救出劇。

この一件によりこの街のオーク達とオルドゥスの街のドワーフ達はすっかり打ち解け好誼を交わすようになっていたのだ。


無論ドワーフ達がクラスク市のオークに友好的になったからと言って野良のオークに会えば呪詛の言葉を吐きつつ抜き身の斧で襲い掛かるし、オルドゥスの街のドワーフがクラスク市のオーク達と仲良くなったからとてドワーフ王国グラトリアの全てのドワーフがクラスク市と友好的になったわけではないのだけれど、ともあれそれはとても画期的な事だった。


なにせごく一部同士とはいえドワーフ族とオーク族が友情を交わし、あろうことかドワーフがオークの支配する街に住み着くだなどと、他の地方の者達が見れば目を疑う事間違いない。

いやそもそも他の地方の者であればまずオークが街を造ってあまつさえ発展させているという点を信じてくれなさそうだけれど。


初期の頃は直接の交流はまだ少なかった。

冷蔵庫の素材である石細工を納品し、代わりに報酬を受け取る。

ただそれだけだった。

それがネッカの家族のみの個人生産からオルドゥスの街の他の石職人たちに広まって大量受注生産となっただけだ。


だが取引が増えれば収入も増える。

収入が増えれば輸入も増える。


かつてドワーフ達を落盤の災禍から救出した折、アーリンツ商会社長たるアーリは現場での物資の運用を円滑化するためオルドゥスに商会の臨時本部を作った。

その後赤竜イクスク・ヴェクヲクス討伐のため、そしてその巣穴に至るための古代迷宮攻略のためその臨時本部は使われ続け、赤竜討伐後もなんやかやで支部として街に残り続けた。


これがクラスク市の名物をドワーフ達にクラスク市の魅力を伝える、いわゆるアンテナショップとして非常に大きな役割を果たした。


酒好きドワーフども垂涎の蒸留酒をはじめ葡萄酒や蜂蜜種、果実酒などの多種多様な酒類。

蜂蜜関連の食品や美容・化粧品の数々。

安くて豊富な穀物や野菜、さらには砂糖や塩。

麦に似たコメなる食べもの。

季節を問わず輸入可能な牛豚羊鶏などの豊富な肉類。

保存の効く漬物類。

ケーキや菓子などの甘味。

冷蔵庫が完備されて初めてその魅力が十全に伝わる氷菓など、上げていけばキリがない豊富な品々が店に並べられたのだ。


ドワーフ達はその種類の多さに驚き、次に質のよさに驚き、最後に品質に対する価格の安さに驚いた。


ドワーフ達は皆少なからず戦士でああるが、同時に優れた職人でもある。

ゆえに質の高いものを創り出すのがどれだけ大変かよく知っているのだ。


クラスク市の名産品、その高品質を維持するためには高い技術力の職人を雇用し、維持し続ける必要がある。

つまりクラスク市は職人に対し金払いがよく、そして扱いがいい街だと彼らの目に映ったわけだ


そこでドワーフ達の一部がクラスク市に観光半分でやってきて…街の魅力に取り込まれてしまった。


幾度かの往復の後彼らはクラスク市への移住を希望し、そのまま許可が下りて街の北部に住み着き、主に鍛冶の仕事に従事することになる。

そしてそんな彼らがいたからこそ高い鋳造技術が必要な活版を完備させることが可能となり、印刷業者が店を開けるまでになったのだ。


「本は今までも存在はしてましたけど筆写が基本で基本お金持ちしか手にする機会がなかったですからねー。これから先は一気に広まると思いますよ」

「おー…絵本も増える?」

「そうですね! そういう路線も受けると思います! 特にこの街では!」

「おー……」


キラキラと瞳を輝かせ、サフィナが期待の目で見つめる。

実際高すぎて庶民に手が出なかっただけで、絵本や童話と言った類の子供向けの書籍は潜在的需要が相当高いとミエは踏んでいる。

彼女の世界でもまず需要の途切れることのない定番商品となっているからだ。


「ただ文字と違うて絵は活版では上手く再現できんのう」

「う~ん…版画を上手く使えないですかねえ」

「ハンガ? なんじゃそれは」


ミエの台詞に思わず反応してしまうシャミル。

瞳を輝かせ話を聞き入るサフィナ。


「えー…ええっとですねえ……」


記憶喪失という設定も忘れ、かつての世界の故国の知識を思い出しながら語り始めるミエ。


その背後を……彼女たちと同じ方向に並んで歩きながら、何やら口論しているドワーフ族とエルフ族がいた。



クラスク市の様相が以前と少し変わってきている。

によって、街に異種族の者達が多く訪れるようになっていた。


ノーム族、ドワーフ族、天翼族ユームズ

さらには小人族フィダスや少数ながらもエルフ族まで。

多種多様な異種の人型生物フェインミューブ達がこの街に訪れ、交易し、その一部は住み着くに至っている。


多くの場合街と言うのは単一の種族で構成されることが多い。

例外は人間族の街だが、彼らとて主に住み着くのは比較的人見知りしない小人族フィダスやノーム族がせいぜいであり、偏屈なドワーフ族や閉鎖的なエルフ族がやってくることは(冒険者として以外は)滅多にない。


だがそれがこの街ではなぜか成立してしまっている。

それもあろうことかオーク族が支配する街で、である。


そもそも手紙にしろ製紙にしろ活版にしろ、それらの技術に至る一端は既にこの世界のどこかにはあった。

ただそれらの技術はそれぞれの種族が別々に有しているのみで、ひとつところに集まることはなかったのだ。


だがこの街ではそうした異種族同士の優れた知識や技術が合わさって混じり合う。・

そうすることでミエの世界の技術の一部がこの世界に現出するまでに至っている。


現在この街の紙が、そして書物が、アーリンツ商会を介して近在の街へと輸出され、彼らを驚かせている。

だがその驚きはすぐに商機へと取って代わり、目端の利いた商人たちの手により大量の需要が生まれる事だろう。


ただその時に…彼らはもはやこの街を以前のように『オークの街』とは呼ばない。



『クラスク市』と呼ぶ。



そしてその認識もまた『オーク族の街クラスク』ではなく、『亜人達の街クラスク』へと変わりつつあった。


つまりこの街はドワーフやノームや小人族フィダスが当たり前のように住み着く、(人間たちにとって)亜人たちの街、という風に捉えられるようになっていたのだ。

そして……オーク族は、その中の一種族として扱われるようになっていた。






そう、かつてミエが、そしてクラスクが標榜し、目標としてきた…

『オーク族が他の種族たちの中に当たり前のように暮らしている街』に、その街は少しずつ近づいていたのである。





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