第548話 善意と理性
ゆっくりと目を開ける。
それは太陽が丘の稜線に沈みかけた夕暮れ。
逆光の中近づいてきたのは…人間族の娘であった。
辺境へと追いやられた
近づいてくるのは人間族。
そして少し離れたところでこっちにおっかなびっくりしているのはドワーフ族のようだ。
どちらも女性である。
一般に男性よりも女性の方が肉が柔らかくて、旨い。
「もしも~し、大丈夫ですか~?」
彼がそんなことを思い浮かべているとも露知らず、娘が心配そうに声をかける。
やや間延びした、この場にそぐわぬ緊張感に欠けた声である。
「ミエ様! ミエ様! それ以上近づいたら危ないでふ! それは
「へえ、オーガっていうと確かゲルダさんの……」
「そうでふ! 主食が
「ふむふむなるほどー、危険な方なんですねえ」
「納得しながら近づかないでくださいでふぅ~っ!!?」
彼女らの言葉はよくわかぬが、どうやらこちらを人食い鬼だと認識し、その上でこちらにちかづいてくる人間の娘をドワーフの娘が必死に止めようとしているものらしい。
さもありなん、とユーアレニルは思った。
それは誰だって止める。
同じ立場だったなら自分だって止める。
当然だろう。
人食い鬼の前にのこのことやってくるだなんて、柔らかそうなレアステーキ鮮血のソースがけが自ら給仕しに来たようなものではないか。
「ミエさまぁ!!」
「ところでネッカさん、巨人語って話せます?」
「でふ? ええと、その、はい。魔導学院で第四専攻言語だったでふから」
「第四て。ほんと魔導学院ってエリートなんですねえ」
相変わらずよくわからぬ会話をしながら、人間族の娘は彼の少し手前の位置で立ち止まった。
ユーアレニルが手を伸ばしても届かない…が、躍りかかれば十分射程圏内の、だいぶんに危ない距離である。
「なら私の話す言葉をこの方に伝えてもらえますか?」
「えええええええええええ!? わ、わかったでふけど危ない! 危ないでふからもっと下がって下さいでふ!
「ならついでにピンチになったら助けてください!」
「無茶振りが過ぎまふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!?」
悲鳴を上げたドワーフの娘は、だが人間族の娘が一向に下がる気配がないのを見てため息をつきながら背中から斧を取り出し構えた。
なかなか切れ味のよさそうな斧だが、柄の部分に大きな宝石のようなものがはめ込まれている。
祭儀用のものだろうか。
「え~っとですね。大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫でふか? と聞いてまふ!」
「む……!」
どうやらドワーフの娘の方は巨人の言葉を話せるらしい。
つまり意思の疎通ができるといことだ。
「怪我ですか? それとも急病? 単なる空腹?」
「……最後のやつだ」
「まあ!」
ドワーフ娘から彼の言葉を訳してもらった人間族の娘が大仰に驚く。
「…わしの方からもいいか」
「はい。なんでしょう」
ずり、と上半身を僅かに起こしながら、ユーアレニルが言葉を紡ぐ。
斧を構えていたドワーフの娘が一瞬殺気立つが気になどしていられない。
だってずっとずっと切望していた、小人たちとの対話である。
「わしの種族は理解していよう」
「
「うむ。ならばなぜわしに近づく」
「まったくでふ!」
途中明らかに翻訳とは違う台詞が混じる。
「えーっと……要するに自分は危ない存在なんだから近寄るな、と警告なさってるんです?」
「……まあそういうことになるな」
「なぜ貴方に近寄るのかと問われたら貴方がお困りのようだったからです。なぜ人食い鬼にわざわざ近寄るのかという問いなら……貴方は私を襲わないんじゃないかなーって気がしてですね」
「なに……?」
「でふ?」
また翻訳装置が故障したようだ。
「なぜそんなことを思う」
「第一にこの辺りはだいぶ開拓が進んでます。森や藪の中に隠れ潜んだままここに来ることはできません。にもかかわらず麦畑に踏み荒らされた跡がありません。つまり貴方は街道を通ってきたことになります」
「そうだな」
「第二に街道を通ってきたのなら途中で幾つかの集落もしくはその横を通過してきたはずです。途中に寄った幾つかの集落で確かにちょっとした騒ぎになっていました。オークにしては大きすぎる人影を見たとかなんとか。ですがそれ以上の大きな混乱は起きていませんでし犠牲者も出ていませんでした。とすると貴方は彼らの反応を見て村を避けてここまで来たことになります。つまり貴方は大きな騒ぎや混乱を起こすことを望んでいないことになります」
「……成程、理屈だ」
その娘の理路整然とした物言いに素直に感心するユーアレニル。
「第三にいくら人のお肉が大好きと言っても
「いや。合っている。多くの
「ですよね! なら空腹で倒れてらっしゃるのに目の前の麦畑が無事なのは変じゃないですか?」
「!!」
「確かにそうでふね……?」
人間族……ミエの言葉を翻訳しつつ今更疑問を抱くドワーフ、ネッカ。
「
「…………………ッ!!」
驚嘆と驚愕に、ユーアレニルは目を剥いた。
目の前の人間族の娘は己が倒れていた場所とその近辺の状況からこちらが小人達を襲わぬと見抜いたのだ。
それもこちらがそれを伝えることなく、である。
そしてこんなに無遠慮に近づいてきたのも危機意識が欠如していたからや度胸があったからではなかった。
こちらが襲ってこないという成算があった上で近寄ってきたのである。
なんという女。
なんという女傑だろうか。
幾度こちらの意思を伝えんとしてもその悉くを失敗し半ば諦めていた彼にとって、言葉すら交わしていないのにこちらの事情を察したその娘……ミエの姿は驚愕以外の何物でもなかった。
「で…なぜ襲わないのですか?」
「……疑問に思ったのだ」
「疑問? 何についてです?」
「我が種族の本能についてだ」
「ほんのう! 随分と哲学的なお話ですね」
「おかしく思うかもしれんが、わしはある時己の食欲に対して疑念を抱いた。これは己の意思や嗜好なのか。それとも己の種族が本能で求めているだけのものなのか、と」
「ほほう! それは興味深い命題ですね!」
興味津々、と言った面持ちで腰を下げるミエ。
目線を彼とを合わせたのだ。
座り込んでいる者と視線を合わせるなら普通はしゃがみ込むものだが、相手は巨人族である。
そこまでしなくとも中腰で十分目線が合った。
「色々確かめてみた結果汝の言う通りわしらは別にお主らを喰わんでも生きてゆくことができるとわかった。獣の肉でも、葉っぱでも、それらを喰うだけでも生きてゆける。つまり人を喰いたい、喰わねばという気持ちは単なる強い思い込みに過ぎなかったのだ」
「種族的な強迫観念って奴ですかね」
「キョーハク…?」
「ふむ。身体が求めるってことは必要な栄養素か何かとも思いますけど、
「うむ。汝の言っている事の意味はよくわからんが、それでその思い込みならばどうにかできんものかと色々修行をした結果……わしはどうやら己の本能と理性をと決別させることができたようだ。ゆえに今のわしはもはや人を喰おうとは思わん。心の内で本能がそう訴えはするが、それに流されることなく生活できるようになった」
ユーアレニルの言葉を聞いて…目をまん丸く見開いたミエは、同じく目を丸くしているネッカの方に振り向き、その
「ネッカさんネッカさん、なんかこのひとすっごいこと言ってますよ!?」
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