第549話 白い球体

「つまり食人鬼オーガの本能として食人欲求自体はまだあるけどそれに流されたりはしないと…?」

「そうだ」

「どう思いますネッカさん」

「にわかには信じがたいでふが…」


翻訳を途中で切り上げて共通語で会話を始める二人。

当然ながらユーアレニルには彼女らが何を言っているのかさっぱりわからない。


「でふが嘘をつくならもうちょっと信憑性の高い嘘をつくと思いまふ。さっきからこっそり占術で確認してまふが〈虚偽検知イィク・イスヴィック〉に反応はなく発言に嘘は検知できないでふし、〈魔力探知ソヒュー・ルシリフ〉でも魔力は探知できず、『変化』系統の呪文で何者かが化けている可能性は低いと思われまふ。イエタ様の〈真実看破ムート・オールズ〉があればより正確に確認ができると思いまふが…」

「ふむふむ」


ネッカの調査結果を聞きながら腕組みをして考え込むミエ。


「ええっと…食人鬼オーガの本能が生きてるってことは、私なんかも美味しそうに見えたりするんですかね?」

「……………………」

「ああっ! ネッカさんが訳してくれない!?」


ミエの言葉は確かに目の前の食人鬼オーガユーアレニルに伝えられ、彼からの返事も返ってきていたのだが、その巨人語をネッカが翻訳してくれなかったのだ。

当然ながらミエがむくれてぷくっと頬を膨らませる。


「答えてくれてたんですからちゃんと教えてくださーい! ぷんすかぷーですよ?!」

「えーっと、倫理的にこれを本人に伝えていいものなのかどうかでふね…」

「その判断は私がしますから!」

「…わかりましたでふ」


ネッカが根負けしてなるべくオブラートに包んだ訳語を語る。


「ええっと…肉付きも良くやわらかそうで肉の甘みと豊潤さを想起させ見るからに旨そうだ、と言ってまふね」

「おおー! ネッカさんネッカさん! 私美味しそうですって! かなり高評価じゃないです!?」

「なんで嬉しそうなんでふかー!?」


得意満面のミエにネッカが渾身のツッコミを入れる。


「ちなみにネッカさんはどうなんでしょうね。あいや聞きたくないならいいですけど」

「…いえせっかくなので聞いておきまふ。ネッカも興味自体はありまふから」


しばし会話を交わすネッカとユーアレニル。

少しほっとした表情のネッカ。


「なんて言ってました?」

「ええっとドワーフは小さくて食いでがない上に筋張ってて肉が硬いのであまり人気はない。ただし酸味が強いので好む食人鬼オーガもいる、とのことでふ」

「つまり通好みの味って感じでしょうか」

「みたいでふね」

「ってことは一般的には私のお肉の方が美味しい…!」

「だからなんでそこで得意げになるんでふかー!? 食人鬼オーガにとって不味い方がいいに決まってまふ!」

「ええー? せっかく食べられるなら舌鼓打ってもらったもらえた方がよくないですか?」


ちなみにミエのこの感想は洒落でも冗談でもなくかなりの本気である。


なにせかつての彼女は病弱で手足もやせ細っていた。

その後ミエは妙な経緯いきさつからこの世界に転生し、健康的な肉体を手に入れるに至った。

かつての己の肉体に少なからぬコンプレックスのあった彼女は、だから今の健康的な自分が評価されることが嬉しくて嬉しくてたまらないのである。


ただ元気いっぱいのミエしか知らぬネッカには、彼女のそうした心持ちは少し理解しづらいかもしれない。



ともあれそんな風にやいのやいのと言い合う二人を眺めながら、ユーアレニルは口元を綻ばせた。



ああそうだ。

確かに己は彼らとのこんなやりとりを味わってみたいと思っていたのだ、と。



「ああそうでした。そう言えばちゃんとお名前伺っていませんでしたね。私はミエと言います。と彼女は言ってまふ。私はネカターエルでふ。みんなからはネッカと呼ばれてまふが」

「わしの名はユーアレニルだ」


今更のように自己紹介をする三人。


「それならユーさん」

「ユーさん」

「ダメですか?」

「…いや、いい。それでいい」


短い断定の言葉。

だがユーアレニルのそれには万感が籠っていた。


「ならユーさん。本能から来る人肉食への欲求を切り離す事ができたのはわかりました。でもそれは人を襲わない理由とイコールではないですよね? なぜ人を襲わなくなったのですか?」

「食欲という縛りから抜け出してよくよく考えてみれば、お前達小人はわしらと同じように語り合い、意思を通じ合わせている。無論その言葉の内容まではわからなかったが、一体何を話し、何を感じているのか興味が湧いた。知りたくなったのだ。食欲に支配されていた頃はそんなことにすら気づかなかったし、思い至りもしなかった。なんとも勿体ない話ではないか。わしは気づけたのだからその道を模索すべきだと思った。まあ今日の今日までずっと失敗続きだったわけだが」


だがその目的は今果たされた。

現在進行形で果たされている。


悪くない…いやむしろなんともよい心持ちである。


「なるほどー…なら麦畑から麦を盗らないのは?」

「礼儀……だな」

「礼儀?」


ミエの問いかけにユーアレニルは大きく頷く。


「そう、礼儀だ。わしは己の興味からお主ら小人に交渉という手を伸ばした。だがこれは己の身勝手に過ぎん。なにせわしはその気づきに至るまでにお主ら小人を幾人幾人も喰い殺しておるからな。お主らからすれば許し難い悪徳であろう。ゆえに伸ばした手を跳ね除けられるのは仕方ないと思っておるし、剣槍で追い立てられるのも致し方ないと思っておる。だが…」


そこでユーアレニルはいったん言葉を切る。

そして己の心の内に合致した言葉を探し、再び語り始めた。


「それでも、わけにはゆかぬ。わしはお主ら小人をもう襲わぬと、悪いことはせぬと示し続けねばならぬ。ゆえにお主らが育てたこの麦粒も勝手に奪いはせぬ。それがかつてお主らの同族を襲い喰ろうておった者が示さねばならぬ最低限の礼儀と言うものではないか」


ユーアレニルの言葉を聞いたミエが、目を丸くしてネッカの方に振り向いた。


「この人だいぶ立派じゃありません?」

「…そうでふね。少し驚いたでふ」

「ともあれ、お腹が減っているんですよね。ならこちらをどうぞ。お肉じゃなくって申し訳ないですけど…」


そう言いながらミエは背負い袋から何かの包みを取り出し、静かにほどいた。

そして中から何か白いものを取り出してユーアレニルに差し出す。


「……………?」


ユーアレニルは見た事のないその物体に怪訝そうに眉をひそめた。



そては白い球体だった。

白い球体に、ややくすんだ色の葉っぱが下半分を覆うように巻かれている。

ちょうどのその葉を持ち手にしろと言わんばかりである。


その球体はよくよく見れば小さな粒から構成されていた。

一見すると麦によく似ている。

だが麦に比べると遥かに白い。

白い穀物が球状に固められ、それに葉を巻いた食べ物のようだ。

だがユーアレニルはそのような食物をこれまで見たことも聞いたこともなかった。


「なんだこれは」

「おむすび、ですね」

「オムスビ……?」


聞いたことのない語感の単語である。

だが不思議と心が和む名だ。


「このちょっと先で摂れるお米っていうものを炊いて、塩をつけて握って、それに漬物にした葉っぱを巻いたものです。本当は海苔が本式なんですけど、この辺りじゃ入手できないので…」


よくわからないがとにかく食べ物だ。

空腹がユーアレニルを苛んで、すぐにでも奪い取って貪りたいという激しい衝動に駆られた。


だがそれでも。

それでも一線は引かねばならぬ。


この問いを発せずして、そしてその答えを聞かずして己にその食い物を口にする資格はない。

そうユーアレニルは思い定め、満身の力を込めて己の衝動を抑え込んだ。


「…なぜそれをわしに寄越す?」

「ふえ? だってお腹すいてるんですよね」


翻訳が少し遅れた事に首を傾げながらミエが問い返す。


ネッカが翻訳に躊躇したのは、己が訳した言葉がこの対話の根幹にかかわるものだと直感したからだ。


「わしはだ。これまで幾人もの幾人もの小人どもを貪り喰ってきた。人間族も。ドワーフ族もだ。なぜそのわしに食糧を寄越す。見殺しにするべきではないのか?」


きょとんとした顔のミエは、素朴な疑問を口にする。


「貴方は今とても空腹なんですよね?」

「そうだ」

「それに貴方はもう人を襲わないと言いました」

「言った。だがそれを信じるのか」


ユーアレニルの時にミエははっきりと、強く頷く。


「はい。だって貴方は手の届くとこにいるのに私を襲いません。麦畑に囲まれているのにそれを漁りません。餓えは命の危機で、命の危機は多少の主義主張を捻じ曲げるのに足る十分な条件になると思います。ですが貴方は己の死を前にしても自分の信念を曲げていません。ゆえに信じるに足る方だと判断しました」

「信じる……人食いを信じるのか。だがわしはお前達を……」

「過去をやり直すことはできませんし。犯した過ちも消せません。ですがどんなに深く反省しても罪が永遠に許されないままだとしたら、一度でも過ちを犯したら決して這いあがれないままだとしたら、悔い改めなんてしないでずっと罪を犯し続けた方がお得で割がいいってことになっちゃいます。そんなのおかしくありません?」


目の前の娘が、輝いているように、見えた。

彼が小人たちにずっと手を伸ばし続け、跳ね除けられ、剣で追われ、槍で追われ、弓で追われ、ずっと迷って、悩んで、彷徨って、必死に求め続けた何か……それを彼女に示された気がしたのだ。


ゆっくりと、差し伸べられた手からオムスビをつまむ。

なんと小さな手だろう。

こんな小さな手で、彼女はその身の危険を顧みず己を助けようとしてくれたのだ。







その時…ああその時。

その時食べたオムスビの美味しさと言ったら!!






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