第540話 学院長の資格
「
「…
その巨人の娘は肯定の返事をする際にかなり古めかしい単語を用いた。
巨人たちの日常会話では使用されない類のものだ。
今では彼らの
それだけ決意が強いという事だろうか。
「
ネッカもややもってまわった言葉使いで彼女の言葉を了承する。
単に巨人語を喋れるというだけでなく、相手に合わせて言葉遣いを変えて見せたのだ。
それは彼女なりの相手を理解する気がある、という意味の意思表示でもある。
まあそれがまっすぐ相手に伝わってくれるかどうかはわからないけれど、それでもそうした努力は怠るべきではない。
ネッカは姉嫁からそのことを学んでいた。
「
その台詞を告げると、巨人の娘の緊張感が見る間に抜けていくのがわかる。
そして同時にネッカの緊張感も。
けれどネッカはすぐに気を取り直し、心の中で己の頬をぴしゃりと叩いた。
安心するのはまだ早い。
ここからが本番なのだから。
そう、文化習俗のまるで異なる人型生物以外との共存に関しては、受け入れてからの方が問題なのだ。
「とりあえず…皆さんお疲れ様でふー。今回の依頼は終了でふ。解散して大丈夫でふー」
「おいおいおい…こいつどーすんだよ!」
「移住希望とのことなので、とりあえず北部の村に案内しまふ」
「まじかー!?」
ヒーラトフは口をあんぐりと開けて巨人の娘を見、ネッカを見、そしてまた巨人の娘を見た。
「本気で言ってんのか…?」
「…別に彼女が初めてではないぞ」
「まじか」
魔導師イルゥディウの呟きに、ヒーラトフが首をぐりんと彼の方に向けて問うた。
「多くの人種を抱えたオークの街ということでな。どこで噂を聞き付けたのか
「へー、へー、へー!」
イルゥディウの言葉にヒーラトフが感心の声を上げる。
「…のわりに街中じゃ見ねえな」
「さっきネカターエル様が言っておっただろうが。北の村に案内すると」
「おー、隔離してんのか」
「言い方」
ツッコミを入れつつもヒーラトフの見かけによらぬ鋭い視点に少し感心する。
人型生物と価値観や生活様式の異なる他種族を安易に街中に入れるわけにはゆかぬ。
街の何が彼らの怒りを買い、街のどこが彼らを過度に興奮させるかわからないのだ。
ゆえにある程度
それを隔離と表現するならその通りなのだろう。
「
ネッカが手招きをして、巨人の娘がそれに従い歩き出す。
「んじゃあ俺らはどうすっか」
「仕事は果たしたのだから帰るがよかろう。だがその前にとりあえずこれを返却せねばな」
「「えー」」
イルゥディウの言葉にヒーラトフだけでなく
「これどうにかこう…どっかに売り飛ばせねえかな!」
「ねえねえ! この子連れてこのまま
二人の言葉を聞いたイルゥディウは聖職者アムウォルウィズと顔を見合わせ、その後彼らの方に顔を向けてこう断じた。
「たわけ」
× × ×
「ほいじゃ私はこの子を返してきますね、セーンセ!」
「はい。お願いしまふ」
ノーム族の娘、魔導師アウリネル。
この街の魔導学院の生徒、という位置づけではあるが実際には既に別の街で学院を卒業している立派な魔導師である。
まあこれは先刻のイルゥディウも同様であるが。
クラスク市の出資によって建てられたこの街の魔導学院。
ならばこの街が全て好き勝手にできるのか…と言うと必ずしもそうではない。
無論資金の出資も一等地の使用権も魔導師達にとって大変ありがたいものではあるのだが、だからと言って何もかも街の好きに決められるわけではないのである。
例えば学院長だ。
クラスク市としては冒険者などの流浪の連中を除けばこの街の唯一の魔導師にして宮廷魔導師であるネッカを学院長に据えたくなるのは当然のことだろう。
だがそうした街の方の要望をなんでも聞き届けてしまうと、大して実力のない、私欲で動く小人物などがろくに魔術も使えぬのにコネなどで学院長の座に就く…といったリスクも発生してしまい、それは魔導師にとってあまりよろしいことではない。
ゆえに魔導学院のトップたる学院長については、推薦自体は受け付けるもののそれを許諾するかどうかは他の街の学院長数人、およびこの地方の魔導師派閥としては最大規模である魔法王国エーランドラの支持を取り付ける必要があるのだ。
まず当人の魔導師としての実力。
これについては文句のつけようがない。
なにせこの地方に長きにわたり君臨してきたかの赤竜イクスク・ヴェクヲクスを討伐したパーティーの一員であり、しかも大魔術の使い手として流星雨を降らせ街一つを容易く灰燼に帰すとされる彼の魔術を完封してのけたというのだ。
これ以上の評価を受ける魔導師は数えるほどしかいないだろう。
次いで魔導師や魔術に対する功績や貢献。
これに関しても赤竜討伐の折に
問題は…ネッカの指導者としての資格である。
学院長となるためには魔導師を目指す生徒を教え育てたか、或いは弟子を取って育成した実績が必要となる。
つまり教育者としてちゃんとしていなければならぬ、というわけだ。
だが困ったことにネッカはこの条項には一切当てはまらない。
なにせこの街に来て己の自信を取り戻し、また己自身に合った魔術の使い方を学ぶまで彼女はびっくりするほどの落ちこぼれだったからである。
ただこれで困ったのは実は周囲の魔導学院の学院長どもも同じだった。
なにせ実力と実績なら文句のつけようがない。
特に実績のみ評価するのであれば自分達より遥かに優れているまである。
さらに赤竜の身体素材。
これを分けてもらえれば多くの魔具の作成や魔術の研究の役に立つはずだ。
彼らとしても是が非でもネッカを学院長に据えたいのである。
…そこで妥協案として出されたのが今の関係だ。
つまり既に学院を卒業し一人前の魔導師となっている者達を派遣し、ネッカの生徒だったことにしてこの学院に在籍させるのだ。
アウリネルや先刻のイルゥディウをはじめ数名がこれにより学院の生徒となった。
特にアウリネルは他の学院から派遣され、そのままこの街が気に入って定住するまでになっている。
無論女性なので街としても否のあろうはずがない。
これによりネッカは晴れて全ての資格を備え、学院長に就任することができた。
少々卑怯な手段にも見えるけれど、審査を受ける側と審査する側がどちらも通って欲しい試験などこんなものなのかもしれない。
ネッカと巨人の娘はクラスク市の外壁を大きく回りながら街の北に向かう。
その間畑や牧草地の間を縫って歩き、警戒態勢が解除され農作業に戻ってきた者達を大いに驚かせた。
だが前を歩くネッカと大人しくそれについてゆく巨人の娘を見た彼らは、口々に噂し合いながらも特に騒ぎ立てることはなかった。
その巨人がネッカの制御下にあることが分かったからである。
「そういえば名前を聞いていなかったでふね。ネッカ……私はネカターエルでふ」
「……ヴィラウア」
巨人語で短く言葉を交わす二人。
ネッカと巨人の娘…ヴィラウアは、ゆっくりと街の北部へと向かっていった。
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