第538話 落垂翔

「さて…準備準備…!」


ネッカは真っ暗な部屋の中でてきぱきと準備を整え…いやその背丈ゆえ書棚の上の方に手を伸ばすときだけ少し手間取ったが…指差し確認ののち部屋を出て魔錠をかけた。

そして壁に備え付けの伝声管…この街の誇るノームの発明家が備え付けたものだが…を手に取り、下階の住人に連絡を取る。


「もしもしネザグエンさんでふか?」

「はいはい…あ、学院長! なんの御用でしょうか。報告のあった巨人族の件ですか?」

「はいでふ。ネッカ出てきまふのでその間学院の方は任せたでふ」

「承知いたしました。お任せください。学院長の御教授なさる授業の代行魔導師を手配しておきますね」

「頼みましたでふ」


学院を一任されたネザグエンはしばし通話口の向こうで逡巡していたようだが、やがて静かに口を開いた。


「学院長自らということは……

「おそらくでふが」

ですからお止めはしませんが、お気をつけて」

「はいでふ」


奇妙な会話を交わして通話口を置いたネッカは……




出口のある降り階段ではなく、なぜか登り階段に足をかけた。




×        ×        ×




「お、あれが巨人か!」


手をかざしヒーラトフが呟く。

巨人は南東方面からゆっくりと街の方へ向かって向かって歩いていた。

だいぶ遠いが相手も大きいのでかなり明瞭に視認できる。


麦畑と甜菜畑の間をゆっくりと抜けてくるその巨人を前に、畑仕事をしていた農民…もとい農作業従事者たちが慌てて避難している。

街の方から駆けつけたオーク兵達が腕を振り回して彼らを先導しているようだ。

巨人は特に彼らを追いかける気はないようで、棍棒を担いだまま歩を進めている。


その様子を見て魔導師イウルゥデイウはスッと目を細める。

仲間の方に気を向けるとどうやら聖職者アムウォルウィズもそのに気づいたようだ。


巨人の全長はおよそ12フース(約3.6m)ほど。

人里近くに住む巨人としてはやや大柄な方だ。

巨人の多くは獣の皮などをなめして纏うことが多いが、その巨人はまがりなりにも衣服を纏っている。

まあ服と呼ぶにはだいぶ粗雑にすぎるけれどそれでも服は服だ。


そしてその見た目は……


「女か」


イルゥは短く呟き、小さく魔導の言葉で命令を下し人造兵を止めた。


「おおいお前ら! ここはあぶねーぞ! とっとと街に入れ入れ!」


ヒーラトフが怒鳴りつけたのは主街道の一台の馬車だ。

その馬車は街道の端に馬車を止めて巨人を見物している。


だが背後から近づいてきた巨大な動く石像に驚いた彼らは、慌てて馬に鞭を入れて街に向かって走り出した。


「ったく、緊張感ってもんがねーのか」

「お主に言われてもな」

「なんだとー」

「でも確かにちょっと暢気よねえ」

「……………」


軽口を叩く一行を無言で眺める魔導師イルゥディウは、だが彼らとは少し違う感想を抱いていた。


通常の反応であれば馬車などが遠間に巨人族を見かけた途端全速力で走り去ろうとするはずだ。

なぜなら同じ人型で二足歩行ではあるが彼らは人型生物フェインミューブではない。

巨人族というだからだ。


文化も異なれば言語も違う。

そう、言葉に関しては特に商用共通語ギンニムが通じないというのも大きい。


人間族、エルフ族、ドワーフ族、ノーム族、小人族フィダス天翼族ユームスと言った種族は異なれど共通の文化圏を共有する種族はそのほとんどが己の種族の言語と同時に商用共通語ギンニムを話す事ができる。


そして喩えそうした主要種族でなくとも商用共通語ギンニムさえ話せるのであれば彼らの文明圏はその種族を受け入れられる素地がある。

商用共通語ギンニムはいわば彼らと同じ文化や生活を共有するための最低限の資格のようなものなのだ。


だが巨人族が話すのは巨人語ズームスだ。

これは巨人たちのほかに食人鬼オーガ戦鬼トロルといった連中が使用する言語であり、それを知る人型生物フェインミューブはとても少ない。


殆どの者にとって意思の疎通ができない、という壁は大きい。

まず向こうにこちらと交渉する気があるのかどうかすらわからないのだから。


仮にこちらとなんらかの交渉をするように見えたとしても安心できぬ。

文化習俗が異なるため一体何が彼らの怒りを買うのかがわからない。

互いに身振り手振りで意思を伝えようとしていたはずなのに、次の瞬間なぜか突然棍棒で襲い掛かってくるかもしれないのである。


さらにもし向こう側に敵意や害意が一切なくともそれが被害を受けぬという確証にはならぬ。

彼我の体格差が大きすぎるからだ。

向こうがこちらを落ち着けようと撫でつけたり指で摘まもうとするだけで、おおかたの人型生物フェインミューブはぷち、という可愛い音を出して可愛くない惨状をその場に撒き散らすことになるだろう。


と、これまでは彼らと交渉しようとした場合の話だ。


巨人族の多くは原始的な生活を営んでおり、主に狩猟や採集によって生きる。

問題はこの狩猟であり、彼らにとって人型生物フェインミューブを襲い食料を巻き上げる事は狩猟の一種と認識されている事が多い。


生活のための襲撃……要はオーク族と変わらない。

無言で近づいてきた彼らがいつ牙を剥くかわからない。


となれば触らぬ神に祟りなし。

会ったら逃げようというのが大方の結論となるのは当然の帰結と言えた。



だがその馬車はどうだ。

ヒーラトフに注意されるまでのんびりとその巨人が近づくのを眺めていたではないか。



それはその巨人が友好的であると信じているらでは断じてない。

いざとなればこの街……クラスク市がどうにかしてくれると信じ切っているからだ。


それだけこの街のが信頼されているという事である。

なかなかにできることではない、とイルゥは感じ入ったわけだ。


「さて…と、お、向こうからも人造兵ゴーレムが来たぞ?」

「同じ魔導学院の学徒、ノームのアウリネルだな」

「お、手ェ振ってら」


人造兵二体はその巨人の娘の行く手を阻むかのように街の南門との間に立つ。

流石に警戒したのか巨人は足を止め、そのまま動かなくなった。

だが立ち去る様子もない。


「おいどーすんだこれから。人造兵ゴーレム二体なら余裕で倒せるだろ? やっちまう?」

「愚か者」

「んがー!?」


ヒーラトフが巨人を指さしながらそう尋ねたが、イルゥに即否定された。


人造兵ゴーレム一体でも相手が務まるものにわざわざ二体出した。そして先ほどの兵士たちは農民たちの避難を最優先してあの巨人を取り囲まなかった。そして我らに最初に下された指令…そこまで考えればわかることだろう。学院長殿はこの巨人族とのをお望みだ」

「ああん? 交渉だあ……?」

「心配ない。すぐにするだろう」




×        ×        ×




「見えたでふ。あそこでふね」


魔術学院の円塔の屋上から水晶玉越しに街の外の巨人族を確認する。

指示通り石の人造兵ゴーレムたちが足止めをしてくれているようだ。


「では……ネッカも急いで向かわないとでふね」


杖を片手にネッカが呪文の詠唱を始める。


理に従いて起動せよイカクィギル・ルバフゥ・バ・リープ 『過重式・七ヴィニキナイグリ』 〈落垂翔カッディード〉」


呪文を唱えた瞬間、ネッカの姿が塔の屋上から掻き消えた。


いや、違う。

正確には一瞬にして塔のはるか上空へと到達していたのだ。


魔導師が一般的に用いる用いる〈飛行フヴォイクド〉の呪文より遥かに高速である。

空を飛ぶ、というアドバンテージに加えその速度の速さは大きな武器になる。

だがその割にはこの呪文を用いる魔導師は殆どいない。



その理由は…この呪文が正確にはからだ。



通常の〈飛行フヴォイクド〉あるいはそれに類する呪文群は魔術式によって対象の重力を軽減、或いは阻害することで宙に浮き、そこに移動用のベクトルを与えるものだ。

重力のくびきから逃れ浮遊させることこそが肝要であって、後付けのベクトル操作はその分効果が下がり世辞にも高速移動とまではゆかぬ。


だがネッカの使用した呪文は違う。

彼女が用いた呪文は重力操作によって術者の周囲の重力をに変えるものだ。


つまり呪文を唱えた直後のネッカは一気に上に浮かび上がったのではない。

したのである。

ついでに魔力によってさらに加速することも可能だ。


無論落下なので空中に留まることもできない。

制御を切った今、彼女はゆっくりと、だが徐々に加速しながら下方向に落ちてゆく。


他の術師が使いたがらぬはずである。

呪文に付随する効果によって衝撃に対する保護が施されているとはいえ、一つ間違えれば壁や地面に激突し大怪我を負いかねない危険な呪文なのだから。


けれどドワーフという種族特性のお陰で魔導師としては恐ろしく頑丈にできているネッカは、その移動速度が気に入ってあえてこの呪文を習得していた。



上空から位置を再度確認する。

目標地点を定めてそこを『下』に決める。




ぶわん、とネッカの起動が空中で変わった。

街の外、その巨人族と人造兵ゴーレムが対峙している麦畑目掛けて……







ネッカが、斜め下方へ超高速で落下をはじめた。





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