第535話 城壁の意味

「しかしたった半年だぞ半年。半年前は確かにこのあたりは『下街』って呼ばれてたんだ。あそこの城壁の内側が真ん中にあるから『中街』。それが今じゃどうだ。あそこが『上街』、ここが『中街』、んで……」


窓のない壁をフォークで指しながらヒーラトフがぼやく。


「ここの外に『下街』ができちまった。信じられるか?」


そう、今やこの街の城壁は三重構造となっていた。

半年以上前に移住希望者が半ば強制的に住み着いてなし崩し的に街を形成した『下街』。

けれどこの辺り唯一の街にして主要街道の交差路として整備された最高の立地、そして他の地域では収奪者であるオーク自身が近隣の警護を行っている安全性といった驚異のアドバンテージ。


さらには地底軍の襲来を幾度も退け、遂にはの地方の暴力の頂点に君臨していた赤竜すら降したというこの街の、大オーククラスクの圧倒的な実力と名声…

今やこの街は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。


その結果ただでさえ多かった移住希望者が急増。

元下街の城壁の外まで勝手に建てた家が軒を連ねて、遂にはその外側をさらに城壁で囲わざるを得なくなってしまった。


そうして今やクラスク市は『上街』『中街』『下街』の三層に分かれ、中央を方形の二重城壁、その外に多角形の二つの城壁が囲う形に進化していた。


「ただ気になるのは一番外側の城壁だけちょっと構造が違うんだよなー」

「ああ、あの四隅のやつ?」


戦士ヒーラトフの呟きに盗族ライトルが反応する。


「そーそーそれそれ。単純な多角形じゃなくってなんか出っ張ってるよなあれ?」


彼らが言っているのは新たな『下街』を囲う新城壁についてである。

そもそも以前の城壁は元クラスク村の周囲を囲む高く堅牢な二重城壁と、勝手に住み着いた住人たちを保護しつつ無秩序に拡大させないための歯止めとしてのやや低めの城壁…その正体は土を盛った土塁の周辺に石を積み上げた簡易城壁だったが…の二種があった。


だが今やかつての土塁もどきは立派な城壁へと変貌し、そしてその周囲の新たに作られた城壁もまた十分な高さを伴っていた。

ただ、各城門…即ち北門、西門、南門、東門の四つの大門のそれぞれの中間地点、すなわち北西、南西、南東、北東の各部が、他より大き張り出しているのだ。


「ん-、局地戦はともかく戦争戦術的な事は詳しくないなー。アムは知ってる? 元従軍僧侶でしょ?」


小人族フィダスのライトルが大柄な聖職者アムウォルウィズを見上げながら話を振った。


「……ふむ。もし戦術的に意味があるという前提なら〈火炎球カップ・イクォッド〉などの攻撃呪文対策かもしれんな」

「「え? なんで?!」」


ヒーラトフとライトルが目を丸くして同時に叫んだ。


「例えば城壁を方形にしてその四隅に円塔を建てた場合、突き出た円塔が死角になって特定方向からの攻撃呪文に対処ができぬ。また突き出た場所に射撃部隊を用意することでその間の攻城兵を左右から狙い撃ちする意図も考えられるな」

「「なるほどー!」」


滔々としたアムウォルウィズの説明にヒーラトフとライトルが素直に感心する。

ただ幾ら従軍僧侶と言ってもそうした戦術面の事まで学んでいる者は多くはない。

とすればアムウォルウィズはヒーラトフらが認識しているのとは別の立場だったのか、或いはよほどの変わり者だったのだろう。


「お主はどう思う。魔導師としての知見を聞かせてほしい」

「……………………」


アムウォルウィズから話を振られた魔導師イルゥディウは、その白いひげを撫でつけながらしばし考え込む。

言葉に詰まっているというよりについて熟慮しているような風情だ。


「……もあると思う」

「そういった? つーことはそれ以外の目的があるってことか?」


ヒーラトフの疑問の声に、むっつりと黙って解の代替とする魔導師イルゥディウ。


「なんだよー教えてくれてもいいだろー」


ヒーラトフがなおも問い詰めようとしたその時……街の各部に備え付けられた拡声器から突如メロディーが流れだした。

なにかのお知らせのようだ。


「こちらクラスク市です。こちらクラスク市です。街の南方に巨人族が出現。繰り返します。街の南方に巨人族が出現し、クラスク市に向かって前進中です。目的は不明。敵対意思の有無も不明。現在街が対応中ですので皆さまは避難指示が来た時に落ち着いて避難できるようご準備をお願いします。こちらクラスク市、こちらクラスク市です…」


女性の声で街中に警戒指示が出され、住人達に一瞬ピリッとした空気が流れる。


だが平和と安穏が続いている現在、その空気がすぐに弛緩してしまうのもまた仕方のないことかもしれなかった。


「つーても巨人族一人だけだろ? うちの太守様がなんとかなさってくれるんじゃ?」

「ばっか! クラスク様は今……!」

「あーそっか! けどキャスバ様も他の面々もみんないらっしゃるじゃないか。なにせ竜殺しのパーティーだぜ?」


などと街中で口々に軽口が漏れた。


…と、その時。

キィィィィィィィィィィンと拡声器からやや不快な高音が漏れ、その向こうから女性の大喝が飛んだ。


「危険に慣れないっ!!」


キィンキィンと拡声器が振動し、皆その騒音のような音に一瞬耳を塞いだ。


「ずっと気を張ってましょうとは言いませんが! 何が起こるかわからない以上油断だけは駄ー目ーでーすー! いーですか! 自分以外の誰かを頼るのはいいですが寄り掛かったり依存しきったりするのは駄目です! 自分でできることを放棄しない!! ええっと…放送は以上です!」

「これミエなーにをやっとるかー!」

「きゃーシャミルさんごめんなs(ブツン」


唐突に放送が切れ、しばし硬直していた街の住人達はしばらくしてくすくすと笑いだした。


「もーミエ様ったらまた無茶を言うんだから」

「けど要するにあれだろ? 『円卓』の皆さまがどうにかするけど、俺らは俺らのやるべきことをやれって、そういうことだろ?」

「そうねえ。じゃあ避難経路は確認してあるから……」


拡声器の声に皆のやや弛緩した空気が消え、皆がきびきびと動き始める。


「おー流石ミエ様。街の空気が一変したぜ」


外の様子を眺めながらヒーラトフが感心したように呟く。


「太守様の第一夫人だものねー。信じられる? ふっつーのオークの集落のオークに嫁いだんですって」

「フツーって言うにはデカすぎんけどなークラスク様。あれきっと下も相当なデカさだぜ」


やや下卑た話題を振りながら、ヒーラトフはふと思いついたことを口走る。


「けど考えてみりゃネカタのやつもあの強直の相手してるってことだよな。なんかこう知り合いがそういう目に合ってるって考えるとちょっと興奮しねえ?」

「阿呆」

「サイッテー」


僧侶アムウォルウィズと盗族ライトルに即座にダメ出しを喰らうヒーラトフ。

そしてしばし言葉を選んでいた様子の魔導師イルゥディウが、そこにとどめをくれた。


「……そう言う事を軽々しく口にするから逃げられたのではないか?」

「ぐああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


イルゥディウの一言に頭を抱えて絶叫するヒーラトフ。


「…こいつも一応わかってるから」

「そうなのか」

「減らず口がねー、減らなくてねー」

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


頭を抱えてテーブルの上で悶えるヒーラトフ。

ネッカに去られたことが結構トラウマになっているらしい。


と、そこに酒場の店主…つまりは冒険者の酒場のマスターから声がかかる。


「おい、今酒場でパーティーに魔導師がいるのはどこだ」

「はいはい! うちです!」


小人族のライトルがシュタッテと手を挙げる。


「あんたらか。てことはイルゥさんか」


店主は水晶球を手にして何やら呟き、その後彼らに向き直った。








「魔導学院から仕事の依頼だ。外の巨人族への対応をお願いするとさ」







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