第528話 エピローグ(第九章最終話/第四部完)為政者の竜退治

肩をすくめたヨースフはそこでいったん口をつぐむ。

『竜に滅ぼされた国』というのはあくまで市井の噂話であって正確な史実ではない。

歴史上ニールウォール、あるいはニールウォアという国は隣国に攻め滅ぼされたことになっている。

ただしその滅んだ要因自体は度重なる赤竜との戦いにより疲弊し国力が低下していたためであり、そういう意味では竜に滅ぼされたと表現しても間違いではないだろう。

ヨースフも無論そのことについて知ってはいたが、説明するのが面倒なのでそのまま話を続けた。


「この国の金貨は現在ほとんど流通してない。かつての王国の規模を考えるともっと見かけてもいいはずなんだがな。だから先輩の商人たちもみんな噂してたのさ。『ニールウォールの貨幣は赤竜が根こそぎもってっちまったのさ』ってな」

「それが今ここにあるってことは……あっ!」


フレヴトがハッとして己の掌の上の金貨を見つめた。


「そっか、クラスク市長が赤竜を討ったっていう強い証拠になる!」

「そ。少なくとも各国のはみんなそう思うだろうな」

「となると赤竜を討伐したって名声と栄誉があってしかもその巨万の富を手にしたこの街と商売したいって商人達が……?」

「来るだろうともさ。少なくともまず俺らがほっとかないだろ? まあ俺達の場合とっくにこの街とのパイプを作ってるわけだが」


ヨースフの説明に感心したようにフレヴトが口笛を吹き、己が手にした金貨を指先で回しその煌めきに目を細めた。


「成程な…確かに新しい土地で現地の商人と商談する時の話のタネにはもってこいだもんな、コイツ」

「ああ。旅人でも吟遊詩人でもそうするだろうよ。なんだったらこの街の住人だってこの金貨をすぐに使ったりせずお守りにでもして家に飾って生涯の自慢するかもしれん。あの市長夫人は手にした莫大な財貨のほんの一部をちょっぴり地面に落としただけで、気前がいい領主様っていう絶大な評判と、赤竜を退治したっていう功績を各国各街に広める格好の宣伝役を手に入れたってわけだ」

「へぇ~~~~~~」


老練たる相方の説明にいちいち感嘆した若きフレヴトは、その指先にある金貨一枚に込められた意味を考え小さく唸った。


「でも……赤竜の財宝が全部ニールウォール金貨ってわけじゃないだろ? 偶然って話も…」

「ないと思うね」


嘆息しながらヨースフは肩をすくめる。


「なんだったら金貨の中からニールウォール産の金貨だけをより分けて他の金貨の上に振りまいた上で、わざとそれを地面に落とすように仕向けてたとしても俺は驚かねえ」

「ええええええええ?! 流石にそれは…」

「やると思うぜ。この演出、この光景…きっと吟遊詩人が後代に残すだろうさ。まさに『退』ってやつだ」



×        ×        ×




「いやーほんとにすいませんネッカさん色々お仕事増やしちゃってー」

「いえいえミエ様。でふがよくあんなこと考え付きまふね」

「えへへー。旦那様の評判が少しでもよくなればと思いまして!」


下街から中街へと入り、さらなる歓呼と大歓声に迎えられた一行は、そこでも金貨を街道に落としながらそのまま居館へと入城した。

今頃扉の向こうでは衛兵たちに暴力と見做されない程度に、だが全力で金貨を拾い集める観衆の姿があるに違いない。


「私も悪くないアイデアだと思ったが……村を焼かれた北の入植者たちにこそああいうが喜ばれるんじゃないか?」


キャスの言い分ももっともであるが、ミエは小さくかぶりを振って額の汗を拭った。


「北の入植村の人たちには正規の手続きを踏んだ上で街がちゃんと補償して上げないとダメです。だってああしたは結局一部の人たちの手にしか渡らないじゃないですか。噂を広めてもらうにはそれで構わないですけど、補償って話ならなるたけ不公平がないようにしてあげないと」

「む…確かに」


軍事面では優れた見識を有するキャスではあるが、そうした為政者としてのバランス感覚ではやはりミエの方が上のようだ。

キャスは腕組みをして素直に感心した。


ヨースフの推測は的を得ていた。

より正確に言えばミエは赤竜の財宝の内魔具うや神具などの魔法の品は全てよけ、またサイズのわりに高価になり過ぎる宝石や装飾品なども避けて、金貨や銀貨のみを荷車に山積みした。

その上でネッカに見てもらい年代の古い金貨のみを山の表面に敷き詰めたのである。


無論ニールウォール金貨の多く含まれていたが、別にそれだけではなく、ミエ的には古い金貨であればなんでも良かったのだ。

古い金貨となれば皆珍しがるだろうし、街の住人以外の者が外に持ち出せば話の種として広まってゆくだろう。

そしてその珍しさが赤竜退治の信憑性を増すことに繋がり、近隣の国々にこの街の、そしてクラスクの名を喧伝することに繋がってゆく。

ミエが望んでいたのはそんな空気である。


「ですけど……それだけでホントに信じてくれるっすかね」

「まあ疑い出せばキリがないわな」


ミエたちの隣で衛兵隊のライネスとレオナルがそんな感想を口にした。

オークの街というだけで口さがない噂をする者達も少なくなく、衛兵として道行く者の噂話を耳にする彼らにはそうそう上手くゆかないのではという懸念があったからだ。


だがその点に関してはミエだけでなく、キャスもネッカもイエタも、そしてアーリもクラスクもまったく心配していなかった。


「大丈夫ですよ。市井の噂は広まってくれるだけでいいんです。信憑性とかはどうでも」

「「どうでも!?」」


ミエのあっけらかんとした答えにライネスとレオナル二人は目を丸くする。


「ええ……? でも市長が竜退治したってのを信じてもらうために金貨をばらまいたんじゃ…?」

「欲しいのは噂だ、二人とも」

「「隊長!」」

「隊長ではない」


二人の言葉を即訂正するキャス。


「いいか。赤竜という災害はこの街じゃなく近隣のどの国にもどの街にとっても等しく重大事だ。それはわかるな」

「そりゃあまあ」

「はい」

「ならクラスク殿……この街の市長が竜を退治したという噂が広まれば、市井の噂の真偽を各国は確かめるだろう。国の高位の神官や宮廷魔導士に占術と使わせてな」

「あ……あー!」

「なるほど、確かに……!」

「必要なのはなのだ。信憑性については向こうが勝手に確かめてくれる。この地方に住まうものにとって、それこそ他人事ではないのだからな」

「へえええええ…ミエ様そこまで考えて……!」

「ちょ、その尊敬の眼差しやめてくださいっ!!」


尊敬の眼差しで見つめてくる二人……もとい他の衛兵たちも含めもっと多くの視線を集め、手を振りかぶりを振ってその視線から逃れようとするミエ。

くすくすと笑う竜退治御一行。


と……そこに円卓の間の方から広間の方にとてててて、と駆けてくる足音がする。


「ミエ……!」

「サフィナちゃん!」


ぽーんと小さく跳ねてミエの胸元に飛び込むサフィナ。

ぎゅっと抱きしめ返すミエ。

二人はしばし互いに強く抱擁し合うと、やがてミエがそっとサフィナを床に降ろす。


「ゲルダさんとエモニモさんは?」

「ちょっと体の調子がよくないからって、花のクラスク村のほう」

「なるほど。エモニモにしては出迎えがないと思ったらそういうことか。まあ身重なのだから健康には気を使ってもらわんとな」


サフィナの言葉にキャスが静かに頷く。


「なるほど。こっちの方はごめんなさい、ワッフさんはラオさんリーパグさんシャミルさん達と一緒に騎馬と馬車で戻ってくるからもうちょっとかかりそう。私たちは取り急ぎ呪文で飛んできちゃったから……」

「だいじょうぶ。わかってた」


ミエが謝罪するも、サフィナは気にした様子はなくふるふると首を振る。


「それよりイエタさんにお話しあるの」

「わたくし……ですか?」


サフィナがそのつぶらな瞳で天翼族ユームズの娘を見上げ、イエタは不思議そうに首を傾ける。


「なんでしょうサフィナさん。わたくしにわかることでしょうか」


イエタの問いにサフィナはこくんと体全体で頷いた。


「あの日……あのおっきい赤いの……赤竜? が北の村を襲ったとき、?」

「どうだった……とは……?」


くくい、と首を傾げるイエタに、サフィナはなんとも珍しい真面目な顔でこう尋ねた。


?」

「…………………!!」


サフィナの問いに、イエタがいつも細めている目を少し大きく見開いた。

そしてサフィナの語調がいつもと違う事に、その場にいたクラスクら一同が注意を引かれ、耳を傾ける。


「……はい、そうですね。突然降って湧いたように〈天啓〉を受けました」

「やっぱり……」


イエタの言葉を聞いて俯くサフィナに、ミエが腰を落として尋ねる。


「サフィナちゃんサフィナちゃん。それって何か問題なの?」

「あの赤くておっきいのをどうにかするって準備にみんな忙しすぎたし、言ってもどうしようもないことだからずっと黙ってた。でも全部終わったから、言う」


サフィナが俯いていた顔を上げ、じいとミエを見つめた。


「ふえ……?」


きょとん、としたミエの前で、サフィナがさらに言葉を紡ぐ。


「あの赤い竜のやつ。あれはもうちょっと先まで眠ってたはずだったの。たぶんいろんな国の『まどーし』? とか『せーしょくしゃ』? も、そうおもってた、はず」

「あ……っ!」


その言葉を聞いてミエは愕然とした。

言われてみれば当たり前の話である。

赤竜が最大規模の災害だというのなら、今は眠っていてというのなら、それに対抗すべく占術で休眠期明けを予測するのはむしろ当たり前の手段ではないか。


既に竜が目覚め襲われた後だったから、ミエもこの街の者達も誰一人それに思い至らなかったのだ。


「でもあの時いきなりの。あの赤いのに村が襲われるのがえたの。だからあれはたぶん誰かがの」

「変えたって……未来を、ですか?」


少し震えた声でミエが尋ね……そしてサフィナがこくりと頷く。





「誰かが、が未来を捻じ曲げてあの赤い竜のやつにこの街を襲わせようとしたの。気を付けないと……が、起こるかも、しれない」





×        ×        ×





闇の中……一人佇む男の姿。

中年か、やや初老に近いその男の足元には…・なにもない。

ただくうがある。


そう、その男は宙空に浮いていた。

空を飛んでいるというより、何か目に見えない足場の上に乗っているかのような風情である。


彼の視線の先……3ニューロ(約4.5kmほど)ほどの下には、夜になっても煌々とした明かりが灯る街があった。

クラスク市である。

市長クラスクがかの赤竜を退治したとあって、街を挙げてのお祭り騒ぎとなっているのだ。


「ふふ……おめでとうクラスク市長。実に素晴らしい」


男は空の上で静かにそう呟き、西の丘陵から吹き付ける風にその髪と服を揺らした。


だ。あの赤竜に挑んで君たちの側に誰一人犠牲者が出なかったのが少々計算違いだし、随分な驚きだけど、ね」


そして……唇の端を小さく吊り上げる。



「さて、最後の仕上げだ。君たちの今日の勝利こそが、君たちに避け得ぬ敗北を呼び寄せる。ふふ」



そこまで言い差して、男は小さく咳払いをした。



「おっといかんいかん。見た目に合わせた喋り方に早く慣れねば……」


そう自戒するように呟いた男は……眼下の街を一瞥すると、一言言い置いて疾風に巻かれるように消え失せた。







「それでは素晴らしきオークの街に、よい滅びを」







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