第514話 本音と本心

「ハハ、ハハハ、ハハハハハハハハハハハ!!」


竜が笑う。

竜がわらう。

竜が愉快気に嘲笑わらっている。


胴体に大きな大きな風穴を空けたクラスクは、うつ伏せに倒れんとするところを握りしめていた斧によってそのたいの向きを変え、仰向けとなって地面に転がった。


彼の手から離れながらも奇跡的に直立していた斧は、だがすぐにぐらりとその身を傾けて、彼の後を追うように倒れんとしたところで…ふらりと歩を進めたミエの胸元に寄り掛かるようにして止まった。


ミエはその斧の重さに押されるようにととと、と後ずさり、そのまま背後の壁にどんと背をつく。

俯いていたためその表情まではわからない。

ただその斧をまるで夫の形見であるかのように、ぎゅっとそのかいなで抱きしめた。


彼女に理性が残っているのかどうかは定かではない。

先ほどまでのような喉が潰れんばかりの応援は鳴りを潜め、ただ小声でうわ言のように何かを呟いているのみだ。


けれど偶然か意図的か、その斧を動きは正解である。

もし腕ではなく手で掴んでしまえば、たちまちその斧の呪詛に支配され、血を求め喩え仲間や家族であろうとその斧を振るい血を啜る殺人鬼と成り果てていただろうから。


クラスクだからこそ当たり前のように振るえていたけれど、その斧は間違いなく長きにわたるオーク族の憤怒と憎悪と殺戮の味を知りその身に宿す第一級の呪われた武器なのだ。


一方目の前のクラスクの死体を眺めながらイエタはおこりのように震えていた。


死んだ。

死んだ。

死んでしまった。


こうはならぬようにと必死に頑張ってきたのに。

こうなってほしくないと懸命に足掻いてきたのに。


死んでしまった。

死なせてしまった。

それも自分のせいで。


がくがく、がくがくとその身を震わせる。

彼女の聖職者としての使命感は、己の身を護るためにクラスクがその命を散らせてしまったという悔恨と悔悟と絶望によって完全に砕けてしまった。



だから…そこから立ち直ったのは、神の使途だからでも敬虔な信者だからでもなく、ましてや崇高な使命なんぞのためでは断じてなかった。



(やだ…)



彼女の脳裏に去来するクラスクとの想い出。

オークに連れ去られようとしていていた彼女を助け、天翼族ユームズが少しでも暮らしやすいようにと色々と骨を折り、便宜を図ってくれた彼。


(いやだ…)


一緒に街を歩いて、教会と空と女神への祈りしか知らなかった彼女に様々な事を教えてくれた彼。


(いや、いや…)


そしていつの間にか二人の時間となっていた、あの部屋での小さな森や街に囲まれた静謐な、かけがえのないひととき。


(死んじゃ、いや……)


あの時自分は何を考えていた?

単なる安寧?

ただの安らぎ?


ちがう。

ちがう。



(この人は、この人だけは、絶対に、絶対に死なせたくない……っ!!)



イエタははっきりと自覚した。

目の前で喪失したからこそ強く自覚できた。


あの時感じていたのは…慕情。

イエタは、クラスクに生まれて初めて恋をしていたのだ。



「ネッカさん! 時間をくださいっ!」

「やってまふ!!」


ネッカは既に呪文を詠唱していた。

イエタが立ち直る前提ですでに動いていたのだ。


それは決して彼女が立ち直れると信じ切っての行動ではなかった。

である。

ネッカとしては最善を前提として動かざるを得なかったのだ。


理に従いて起動せよイカクィギル・ルバフゥ・バ・リープ 『喚壁式・弐エムル・カムズヴェスリ』 〈石壁創成イヴェルク・デ・カム〉!!」


とどめを刺さんと身構えた赤竜の眼の前に、突如巨大な石壁が生えその爪を遮った。

がづん、という音を立ててその爪を防がれた彼は、目の前の壁を砕くのにどの方法が一番マシかと考えて…そして己の左右の二つの気配に気づく。


「どうやら聖職者様は我らに時間稼ぎをせよとの仰せだ」

「ばう~~~~っ?!」


一瞬の事だったため退避が間に合わず、石壁の向こう側に取り残されたキャスとコルキ。

彼女らもまた、壁の向こうでの最善を信じて命を賭ける。



多重瞳孔を細めた赤竜は…まず手始めにその二人を血祭りに上げんと低く唸った。



かの地へと未だ旅立たぬ迷える魂よオロフ ウェスト ラストレイト トーストールもし彷徨いし汝この世に未練あらばオミュームナン ウェスト イズ フロタイウ オラグミゴル イズ オーデマオル アイウ ヒュー我が呼びかけに応えよレッグ ウン ウミヴトル アイウ!」


一方石壁のこちら側ではイエタがクラスクの脇に跪き、祈るように手を合わせ長い詠唱を行っていた。

彼女の両掌に光が収束してゆく。

それはまるで天から降り注いだ光をクラスクの身体に押し込めようとするかのように見えた。


「〈死者蘇生ウェオーツェル〉!!」


呪文の名が叫ばれると同時に光が弾け、クラスクの身体が眩く発光する。


しばしの静寂…両手を合わせ祈るように…いや紛れもなく祈りを捧げながら固唾を飲んで見守るイエタの前で、クラスクの身体がびくんと震えた。

魂が戻ったのだ。


だがイエタはその合わせた両手を離そうとしない。


死者蘇生ウェオーツェル〉の呪文は死んですぐの、未だ天界…いわゆる天国にも地界…いわゆる地獄にも向かわず、近くを彷徨っている魂に呼び掛け、その肉体に戻ってもらう呪文である。


第一にその魂に蘇って為さねばならぬ強い想いがない限りこの呪文は失敗する。

第二にもしその魂が無事に肉体に戻っても、その肉体が生存可能な状態でない限り


この呪文は肉体を治してくれるわけではないのだ。

そして治癒呪文はその肉体に魂が内在してない限り効果がない。


つまり魂が肉体に戻ってから治癒呪文をかけるまでの間、その短い間だけでも彼が生きていてくれないと、やはり呪文が無駄となってしまうのである。


だが…イエタの見ている前で、その腹に空いた大きな穴からの出血が見る間に止まってゆく。

そしてその傷口がゆっくりと……だが家族的に早く塞がり、閉じていった。



ほう……とイエタは大きく息を吐く。

と安堵する。



そう、イエタは予期していた。

運命に必死に抗ってもどうしようもないことはある。

先ほどは混乱し我を失いかけてはいたが、らいざ予言の光景を防げなかった後の事を、彼女は最初から考えていたのだ。





彼女はこの戦いの最中、アーリに言われた通り、その赤竜が呪文を唱えた時、そして≪竜の吐息≫を使用した時…即ち相手の大きな隙の合間を縫って補助呪文を唱えていた。

それならば当然、あの最初の不意打ち…扉越しの≪竜の吐息≫の時も、ミエの≪応援≫と同時に彼女は呪文を唱えていたはずである。



再生円環イーグラグ・オセロモゾル〉…それが彼女がその時唱えていた呪文の名。



彼女の周囲に張り巡らされた結界が、欠損した部位を補完し、再生させてゆく再生呪文である。


通常の〈小傷癒トゥメイ・スフズル・オラッグ〉のような治療呪文は傷口程度なら塞いでくれるが欠損した手足や失った内臓などを元に戻してはくれない。

だが〈再生円環イーグラグ・オセロモゾル〉の範囲内であれば欠損部位をゆっくりと再生させながら傷も同時に治療してくれる。


呪文の効果は術者であるイエタを中心に下円形の範囲内。

つまりクラスクが死亡し、イエタが蘇生呪文を唱えた時は必ずこの呪文の効果範囲内にいることとなり、いかにその身体を欠損していようとも治療が間に合うという目算である。

ネッカやミエがイエタの近くからあまり動かなかったのも実はこの呪文の範囲内でからあまり移動しないようにしていたのだ。


だが最悪の事態こそ去ったもの戦いの趨勢は決まった。

なにせこの呪文の再生は決して早くはない。

切れた腕が元のようにには三日ほどかかるだろう。

これほど酷い内臓の欠損ならさらに数日かかるやもしれぬ。


今回の討伐は失敗に終わった。

そう思ってイエタがネッカの撤退の要請をしようとしたところで…


彼女は、ぎょっとしてクラスクの傷口を二度ほど凝視した。





ぼこ、ぼこ、と音を立てながら内臓が生えてゆく。

それと同時に体表の筋肉や皮膚もみるみると伸び、張ってゆき、彼の傷口を急速に覆い隠していった。


そう、イエタの目の前で、クラスクの腹に空いた穴がで塞がっているのである。


あり得ない。

あり得ない。


この再生速度は人型生物フェインミューブのそれではない。

これではまるで自己再生能力を備えたトロルのようでないか。


信じられぬ、といった面持ちで彼を眺めているイエタの背後で…壁際、クラスクの愛斧を抱きしめていたミエが、先刻からずっとうわ言を呟いていた。



「がんばれ、がんばれ、だんなさまがんばれ…」

「がんばれ、がんばれ、だんなさまがんばれ…」



それは、≪応援≫。

聞いたものの心を奮い立たせ力を与える彼女のスキル。


無論死んだ相手には通じない。

≪応援≫は[精神効果]である。

死体に幾ら≪応援≫しても効果はない。


けれど彼は蘇生した。

その肉体に魂が戻ったのだ。


だから聞こえる。

彼女の声が。

彼女の≪応援≫が。



ただでさえオークの中でも並外れてタフで回復力の高い彼の肉体が、ミエの≪応援≫によってさらに活性化され、そこにイエタの呪文によって再生効果が付与されたのである。


それらの相乗効果によって…クラスクの傷は瞬く間に塞がっていった。







そして…その大オークが目を覚ます。






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