第513話 見破られた穴

そこからの竜の攻撃は苛烈を極めた。


これまで全力ながら適当にあしらっていたものを、明らかに『倒す』目的での攻撃へと変えたのだ。


特に変わったのは攻撃の対象である。

これまでは誰一人近寄らせないようにとクラスクらを均等に相手したものを、その時々でもっとも浮いている相手に集中攻撃するようになったのである。


キャス、イエタ、そしてネッカ。

少しでも隙を見せると爪や牙など己の全てでその相手を蹂躙し、そのまま掴み飲み込もうとするのだ。


それは驚異的ではあるが同時に少なからぬ隙も生む。

キャスやコルキはこれまで以上に竜の本体へと肉薄し、それなりにダメージを与えるられるようになった。


…が、クラスクはそうはゆかぬ。


彼の斧には『家護やもり』のいわくがある。

ネッカやキャス、時にミエが狙われた際はどうしても護りに


幾度か彼らをあしらっている内にそのオークの護りの力が強制である事を看破した赤竜イクスク・ヴェクヲクスが、それを利用してクラスクを常に守勢に回し攻め手に加われないように立ち回るようになったのだ。


赤竜が最も警戒しているのは明らかの他の前衛より強大で、かつ多めの補助魔術を与えられているオーク…すなわちクラスクである。

他二人からは彼のサポートであると同時にタゲ散らし要員であり、傷は受けても致命打は喰らうまい。

そう判断し多少の被弾を覚悟してクラスクを家族の護りに、守勢一方に追い込んでしまったのだ。


「ぐ…ム……っ!」


ネッカに襲い来る鉤爪を斧で跳ね上げて、真上から襲い来る羽爪をネッカを肩を押すようにして横にかわし、真横から襲い来る尻尾をイエタが羽で空に退避するのを横目で確認しながら強引に突進して斧で受け止めて、けれどその勢いに抗しきれず吹き飛ばされる。

その隙に先ほど跳ね上げられた左前脚でネッカを踏み潰さんとする竜の気配を背後に感じ、竜の尾に蹴りを入れて背後に宙返りすると同時に横にある壁を蹴り、それを足場にして空中でその前脚を横薙ぎに薙ぎ払い、その前脚が退いた背後から一気に迫る竜の噛みつきを腕力だけで己の腕を強引に跳ね上げ真下から切り裂かんとした。


竜の牙はネッカに届くことなく一瞬で首を引っ込められ、その斧は空を斬る。

だがその時既に竜はその後ろ足でキャスを狙い、逆の羽爪で彼女を突き殺さんとしていた。


「ハァ、ハァ……!」


守る。

守る。


防ぐ。

防ぐ。

防ぐ。


完全に守勢に追いやられていた彼を支えていたのはひたすらに声を枯らさんばかりに彼を≪応援≫するミエの声だった。


大丈夫だ。


力が湧いてくる。

まだ戦える。

まだ抗える。



まだもう少し、もうちょっと、全力で立ち上がり駆け回りかの竜の攻撃を防ぎ続けることができる……!



それは凡そ人型生物フェインミューブが成し得る運動量ではなかった。

いわば短距離の全力疾走を延々と繰り返しているようなものなのだ。

どう考えたってとっくにバテて動けなくなっているはずなの身体の動きなのである。

けれどクラスクは必死に、汗を振りまきながら、全身全霊で守り続けた。

その斧に宿るいわくの助けを借りて。



…『家族』は、だが。



「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


己を鼓舞するように雄たけびを上げながら必死に手を伸ばす。

凄まじい威力で斧を叩きつけながら竜の前脚を渾身の力で跳ね除ける。


全て自分自身の力で、己の背に隠したイエタを守らんとする。


キャスも、ネッカも、ミエも、クラスクの大切な家族だ。

家族は『家護』の加護により守ることができる。

クラスクの立てた策もそれを多分に当てにしているところがあった。


だがイエタは違う。


大切な仲間で街の貴重な人材ではあるが、彼女は家族や恋人といった『大切な人』ではない。

いかにクラスクが彼女を大事にしようと『家護』のいわくは彼女を守る対象と認識しない。

ゆえにイエタに対する攻撃だけはクラスクがすべて自らの手で、自らの力で守らなければならない。


必死に腕を振るい、五感を研ぎ澄ませ、全力で斧を叩きけ、全身の神経を毛先まで張り巡らせて。



それでもなお、頭上の死角から襲い来るその竜の羽爪への反応が、一瞬遅れた。



「お、お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」


獰猛に吠えたクラスクは斧を横薙ぎに振り回し、その勢いで真横からその羽爪を全力で弾いた。

爪先はイエタを僅かに逸れて、その脇の地面へと突き刺さる。


だがクラスクの顔が一瞬蒼白になる。

相手に表情を悟られぬよう一瞬で己を引き締めるが、心の中は失意に満ちていた。


「見破られた…!」と。


殺意を込めた瞳で頭上の竜をめつける。

その赤き竜は…確かに、ぬたりと笑ったように、見えた。


赤竜イクスク・ヴェクヲクスは当然ながらクラスク家の家族構成を知らぬ。

その斧に宿っているのが『家護やもり』のいわくであることも知らぬ。


ゆえに彼はこれまでそのオークが手にした斧には『仲間を守る加護』が付与されているのだと認識していた。

クラスクが仲間全てを…コルキを除いて全てを、平等に守り続けていたからだ。


だが今の動きで彼は気づいた。


条件までは流石に見抜けなかったけれど、少なくともエルフの魔法剣士とドワーフの魔導師と人間族の魔獣使い…魔獣使い?(この期に及んで彼にはまだ確信が持てなかった。冒険に出る人型生物フェインミューブとしてはあまりに鍛錬不足に見えたからだ)ほどには、その天翼族ユームズの聖職者を守らない。

いやおそらくは天翼族ユームズの娘に対しては一切の守りの加護が働かないのだ。

それがバレぬよう、そのオークは今まで必死に完璧な護りを演じ続けてきたのである。



見事也ルヴィッキスクサィよくぞこれまで我を謀ったクァデキゥ ツォクル ユィッカドクィフェム アエイ



そこからは…一方的な蹂躙だった。



イエタを猛然と攻撃し続ける赤竜イクスク・ヴェクヲクス。

彼女を守るためにこれまで以上に防戦一方となるクラスク。


必死に、必死に、全力で。

斧の加護もなく、ただひたすらに。


その暴威の嵐に近寄れもしないキャスとコルキは、赤竜の注意を引かんと彼の側面から胴体と後脚に猛然と攻撃を仕掛ける。


だが赤竜は気にしない。

これまでより多くのダメージを受けてはいるが、そのようなものこのオークさえ倒してしまえば十二分に釣りがくる。


普段はなるべく傷を負わぬよう立ち回る彼であり、キャスやコルキのような行動は常であれば十分彼の勘気を買い標的を分散させる効果があったはずだ。


だが今は違う。

クラスクらを倒すべき敵と認識した今、彼は多少の被弾を覚悟で相手の核を仕留めに行った。


爪を、爪を、牙と、角を。

左右の羽を、尻尾による真上からの突き落としを。

延々と延々と、ひらすらにイエタ目掛けて叩きつけんとする。


時間にすればそれはほんの30秒ほどの攻防だったろうか。

たかが30秒…だが千年近く生きる赤竜の全力を受け止め続けた30秒である。

その永きにわたる抵抗に、赤竜は素直に感嘆した。


だが遂に終焉の時が来た。


クラスクの目の前で彼の大斧のぶん回しを小さく跳ねてかわした赤竜は…そこでぶうんと大きく羽ばたいた。


たちまち猛烈な風が吹き荒れて、クラスクはその暴風に吹き飛ばされぬよう体勢を低く、なんとかギリギリで踏み止まり堪えようとする。


「きゃんっ!?」


だがイエタはそうはゆかぬ。

彼女はその天翼族ユームズという種族の性質上体重が圧倒的に軽いのだ。

風圧によりたちまち壁際に縫い留められ、一切の身動きを封じられてしまう。


そこに…赤竜の右前脚が伸びてきた。


今までのようにクラスクが受けている間に彼女が退避するような動きはできぬ。

クラスクが止めなければ間違いなく彼女はその巨大な爪で引き裂かれてしまうだろう。


「オ、オ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


クラスクは吠えた。

全力で吼えた。


そしてその猛烈な風の中緩慢とも見える動きで一歩、また一歩とイエタの前に歩を進め…両手を広げて竜の鉤爪をまともに受けた。



どぶん、と音がする。



びしゃり、と熱い液体が己に掛かり、イエタはそれがクラスクの背中から生えた竜の爪先から飛び散った血潮だと気づく。



ゆっくりと竜爪が引き抜かれ…クラスクの胴体に大きな大きな丸い穴が空いた。



どば、と前後に血を噴き出したクラスクは……斧の柄を地面に突き立てギリギリ踏みとどまらんとする。


だが叶わない。

それは叶わない。


焦点を失った瞳で空を…直上の火口を見上げた彼は……どさり、とその場に崩れ落ちた。





クラスクは……死んだのだ。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る