第512話 残念だ

その瞬間…≪竜の吐息≫に合わせてキャスは素早く詠唱をしていた。

攻撃呪文の詠唱である。

とはいえ専門の術師でないキャスの魔力は決して高くはない。

そのまま赤竜に攻撃呪文を放ってもまず竜に備わっている魔術結界ネザガー・ダイアミュールによって弾かれ、無為と帰すだろう。


散れ! 斬れ! 裂け! そして跳ねろウティス・ギュイ・ギャス・コット・サッキトゥル!」


素早く詠唱し、魔力を掌の内に集中させる。

ここは火山の火口。

その底の底たる火口底かこうてい

直上には火口が大きく口を開いており、どんよりとした雲海が星空を遮っている。


だがともかくそこは外と繋がっていた。

つまりのだ。

彼女の唱える風の攻撃魔術は、だから十全に効果を発揮した。



「〈風華斬裂サプリムール・ギャサイフル〉!」



かつて地底の魔導騎士を打ち倒した彼女渾身の攻撃呪文…

キャスはそれを、放つ直前に竜から顔を背け真横を向いて、斜め上空へと撃ち放った。


そして〈風歩クミユ・ギュー〉の魔術を起動させ全力でそこから離脱する。



直後、赤竜の口から無数の稲妻が放たれた。



稲妻は大気を断ち割って、少し進んでは立ち止まり、その都度最も通りやすいルートを選んでまた進む。

それが繰り返されることであのような不規則な軌道を描くのだ。

直線状ではないだけで、稲妻にとってはあれが最短最速のルートなのである。



そして重い大気の中を進もうとした稲妻どもは…放たれてすぐ近くに通りやすい道を見つけた。



他より大気が薄く、邪魔するものが少ない場所だ。

稲妻はこぞってそこに群がって、そこからさらにその先の大気の薄い層へとこぞって群がり突き進んでゆく。


結果として…竜の放った稲妻はクラスク達の正面ではなくその斜め上方…キャスが放ったを伝って一気に壁際まで走り抜けた。


無論大量の電流の中には真空の刃の間近にいない者もあり、そうした連中は大気をかき分けながらクラスクらを襲う。

けれどそれは本来の雷電の雨に比べたらかなり少量で、結果として耐火に比べてより低位の防御術によってその殆どを防ぐことができた。



貴様らアエイ…」



竜は初めて、呻くような口調で呟く。

これまでどんな相手だろうと対処できなかった己の雷電変換された≪竜の吐息≫を防がれたのだ。

それもこんな予想外の方法で。


「今でふ!」

「わかっている!」

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」


ネッカの叫びとともにキャスとクラスクが同時に竜へと肉薄し、その横からコルキが疾駆した。


シャミルから赤竜イクスク・ヴェクヲクスの≪竜の吐息≫に隠された特性を聞かされた時から皆で示し合わせていたのである。


竜袋りゅうたいに蓄積する属性を本来とは異なるものに変換する行為は通常は起こり得ない不自然なものである。

強大でかつ奇襲性が高い一方、もしそれを凌ぐことができれば少なからぬ隙を産む。


≪竜の吐息≫の再充填までの時間延長。

そしてその身の僅かな硬直。


ほんの小さな隙だけれど、それは彼に挑む猛者たちには十分すぎるほどの隙だった。


これまでその長大な尻尾と出所がわかりにくく予測しにくい羽爪に阻まれ、また鋭い前脚によって防がれてきた竜の身体への接近。

一瞬遅く動き出し戦場を纏めて薙ぎ払わんとした尾の半径の内側へと一気に疾走し、空より突き刺さる羽による刺突を斜め前方に駆け抜けるように避け、その前脚を潜り抜けるようにしてその本体へとたどり着く。


「〈風歩クミユ・ギュー〉!」


魔術により一気に加速したキャスがその勢いのまま細剣を竜の胴体に突き刺し、コルキが逆側からその腹に噛みつき、そしてクラスクが全力で振るった大斧の一撃が竜の腹の直上にある鱗に当たる。


がいん、と大きな音がした。


クラスクの大斧が遂に竜の胴体へと届いたのだ。

だがその攻撃は赤竜が体をずらして鱗で受けていた。


キャスの攻撃も、コルキの攻撃も不用意に食らう事はあっても、彼はクラスクの一撃だけは常にその竜鱗で受けている。

まるで彼からの本気の一撃だけは喰らわぬようにしているかのように。


不遜也ルヴァイクヴォ


どん、と小さく財宝の山を蹴り、ほんの3ウィールブ(約2.7m)ほど宙に舞う。

そしてその大きな羽を一打ちし、瞬時に凄まじい風圧を巻き起こした。


風に煽られ前へと進めぬクラスクらに、鋭い爪と獰猛な噛みつきを見舞う赤竜イクスク・ヴェクヲクス。

風圧で前にも横にも避けられぬクラスク達は、その猛攻を前に風に押され後ろに下がるしかなかった。


「クソッ!」

「せっかくの好機も羽のひと打ちで御破算か…なかなかに上手くはゆかぬな」


クラスクとキャスが壁際近くまで戻されて悪態をつく。

その少し前でコルキが四脚で踏ん張りながら赤竜の着地と同時に再び突撃を再開した。


「俺達も行くゾ!」

「ああ!」


クラスクは斧を脇に構えながら小さく舌打ちをする。


戦える。

戦えてはいる。

だが臨んだ戦況とは到底言い難い。

それはクラスクの斧が本領を発揮できていないからだ。


彼の斧には≪血餓けつが≫といういわくが宿っている。

相手から血を啜りその貯めた血を使う事で広範囲高威力の攻撃を繰り出すことができる、字の如く必殺の斧だ。


だがその条件を満たすためには大前提として斧に血を啜らせなければならぬ。

血を吸わせることで彼の斧は赤黒く変色し、その血を『解放』せずとも元の状態より威力も切れ味も上がるのだ。


クラスクの目論見としては竜に攻撃を当てその血を吸わせ、威力の上がった斧で相手により大きなダメージを与え、弱ったところでその血を解放して一気にとどめを刺す算段だったのである。


だがその竜はクラスクからの攻撃を徹底して鱗で受けている。

場合によっては多少無理な体勢を取っても強引い鱗で受け止める。

これではいつまで経っても血を啜らせることができない。

となれば効果的な攻撃に繋げることもできぬ。


おそらく最初の一撃だ。

最初の一回、キャスの刺突からの出血を彼の斧に啜らせて以降、完全に警戒されている。

キャスの近くに寄るとまとめて範囲攻撃を喰らってしまうためあれ以降並んで戦うことすらできぬ。


強大で。

頑丈で。

それでいて注意深く、慎重。

目の前の巨大な大トカゲはクラスクが想定していたより遥かに狡猾で、厄介な相手であった。



「ユロブ・ア・ラガム」



竜が、呟く。

口から炎を漏らしながら、低い声で。


その言葉を聞いたイエタはハッとして竜の顔を凝視した。


彼女はその言葉を知っている。

アーリに渡されたフローチャートの質問の一つに、こんなものがあったからだ。


「竜との戦いに於いて最も気を付けるべきことはなにか?」


占術により神に尋ねた結果はこうだった。


「『ユロブアラガム』ともしその竜が呟いたのなら気を付けなさい。そこから先の攻撃は苛烈なものとなるでしょう」


と。


「気を付けてください! 竜が本気を出します!」


イエタの叫びにクラスクとキャスは背筋を凍らせた。

? と。


イエタの言い回しは正確ではない。

赤竜イクスク・ヴェクヲクスはこれまでも本気だった。

不遜な闖入者をあしらい、打ち倒すために本気で暴力を振るっていた。


だがそれは追い散らすための暴力だった。

向かってくる相手に腕を振り回す、ちょうど羽虫がまとわりついた時に人間が本気で追い払っているようなものだ。


だが今の一連の攻撃を防がれたことで竜の認識が変わった。


流星雨ウカムク・クェイリウ〉を無傷でいなし、それすらも隠れ蓑に放った彼の奥の手である雷撃の吐息を用いてすらも仕留めきれなかった。

かつてここまで万全の対策を取ってきた者はいなかった。


特に雷撃の吐息を防がれたのは困る。

あれは彼にとって多少無理をした渾身のひと噴きであり、そのため休眠期が明けた後にはちゃんと撃てるかどうか寝起きの一発として試し撃ちをする必要があった。

それがあの村だったわけだだが、どうやらそこで正体に気づかれたようだ。


今までそれに気づく者はいなかった。

いても気づいた時には雷撃に焼かれ焦げ死んでいた。


だが彼らは未だ生きている。

全員生きている。

このまま生かして逃げ延びられては困る。

秘密を知られたまま逃げられたら困る。

早急に始末しなくてはならぬ。



誰を生かすかなどと言ってはおれぬ。

遊びはもうおしまいなのだ。



ゆえにこそ……その竜はこう呟いたのである。





残念だユロブ・ア・ラガム





と。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る