第508話 竜の気まぐれ

オークが硬い鱗の上から斧を叩きつけ、エルフが細剣で竜麟に覆われていない個所を鋭く貫く。

そして魔狼がその鋭く太い牙で幾度も幾度も噛みついた。


赤竜からの反撃もある…というか苛烈なレベルでの猛攻が続くけれど、前衛二人と一匹はなんとかそれに対処しながら、或いは対処しきれずともイエタの回復魔術に助けられギリギリ凌ぎながら、小さく小さくダメージを蓄積させてゆく。

それができるのも竜が自ら巣穴の中央、宝の山の上に陣取ってネッカ達後衛を攻撃の範囲に含めていないお陰である。


だがその理由がクラスクにはわからない。


だが…おそらく パー ブケパプキィ…」


細剣を振るいながらキャスが呟く。


この竜は誰かを殺したくないのだルギ フカヘヴ アヴマヴリフ トック ケウィーヴィなにせさっき間合いではルギ カックル フォークラヴシ後衛を巻き込みかねんからなルギ カックル フォークラヴシ


それはクラスクの脳裏にも浮かびはした。

だがその理由が皆目見当がつかぬ。


ナゼ巻き込みタくナインダムギギ アヴマヴリフ レ オヴネクニ!」

さあなムゲ トゥヴェムク


互いに攻撃を繰り出し、竜の反撃を避け、或いは受けながら大声で叫び合う。

キャスは竜の攻撃を全て華麗にかわし、その隙を突くような戦術を取っているが、クラスクは多少の被弾を覚悟してその上でより大きなダメージを与えようとする。


これは二人の体格と耐久力に圧倒的な格差があるからだ。

なにせ二人とも同様に〈岩肌ヴォックツェック〉の呪文に護られているとはいえ、ダメージを完全に遮断できるわけではない。

できるのはあくまでダメージの軽減である。


そして超過分のダメージを受けた時、キャスはそれだけで瀕死になりかねない。

それほどに竜の攻撃力というのは圧倒的なのだ。

まあ被弾覚悟で戦えているクラスクがおかしいだけなのかもしれないが。


或いは嫁にしたいのかもしれんなフスビブムン パ ウイユク クー キャック パー ウェヴァ! 例えばミエとかミエ デック イクサウブッキ!」

「ふぇ!?」


キャスの叫びがミエにも聞こえて、ミエは思わず戦闘中に似合わぬ声を上げてしまう。


それ困ルオーク アヴレマクフ!!」


キャスの叫びを聞いてぎょっとしたクラスクは、思わず竜の下腹部をガン見する。


あの体格差ダトミエ弾けルルギ フォッディクィヴシ オヴ ブギコレイク パックルク ミエ! 俺のサイズデすらようやく馴らシタのにプキアット オヴ ギク カック オヴ ルギ ケヴフ クァヴ デック コジ エドウィ ケヴ!」

「ふぇっ!? ふぇっ!?」


クラスクの叫びが耳に届くごとにミエの顔がどんどん赤くなってゆく。

まあ確かに生死のかかった戦場で語るのろけ話ではない。


そもそもミエの可愛イ喘ぎ声ガダナブクィリィ バヴロヴフ エド ミエ…」

「ちょ旦那様ウォケクフー!?」


なおもミエの夜の奉仕の素晴らしさについて力説しようとするクラスクに耐え切れずミエが渾身の声でツッコむ。


「今する話じゃないですしー!?」

「そうダッタ」


思わず普段のやりとりのような会話をしてしまったミエはそこでハッと我に返り、あろうことか当の赤竜に向かってぴょこんと辞儀をする。



「すいませんお忙しいのにお邪魔しちゃって! あ、あのっ、どうぞ続けてくださいっ!」



その言葉を聞いたクラスクが、キャスが、思わず動きを止める。

そしてあろうことか、当の赤竜イクスク・ヴェクヲクスすらもゆっくりとその動きを止めた。


「ばう~?」


敵が動きを止めた今が明らかに攻撃のチャンスなのだけれど、コルキもまた事情のわからぬまま空気を読んでその脚を止める。



赤竜は…ゆっくりと首をもたげ瞳孔の内三つまでを引き絞り、壁際の娘に焦点を合わせた。

戦士でも術師でもない、この場に不似合いなその奇妙な娘に。



「“続けよギムサマオとは我に汝らの殺戮を続けよということかウィア テュー アスト ノームト ゲルメッツォ ウィア

「「!!」」


その場にいた一同が驚愕した。

それは竜の口から洩れた、初めての共通語ギンニムであった。



「違います。殺戮ではありません。『』です!」



そしてミエは、あろうことか竜の言葉を訂正した。


一方的な殺戮ではないと。

今ここで行われているのはお互いがお互いの命を奪い得るやり取りなのだと、そう言ってのけたのだ。



見上げるでもなく。

見下すでもなく。

ただ対等の立場で。


その赤竜に対しそんな口を効いた人型生物フェインミューブは…この千年の歴史で凡そ初めての事だろう。



そうか。了解したアイキュー アムウォルツェムゥ



眼を細め、瞳孔の内側にある多重瞳孔をさらに狭め、その焦点を一瞬己に対し不遜な口を利いた人間族の娘に合わせる。



やはり、面白いフヴォーキカーヴォヲ



そして再び竜語で呟きながら、その竜は巨大な鉤爪を振るった。



なぜ赤竜イクスク・ヴェクヲクスがわざわざ後ろに下がってクラスクらを楽させたのか…

その理由はキャスが推測したものと当たらずとも遠からずであった。


その竜は現時点で敗北の可能性を一切考えていない。

勝つのは当たり前で、ただだけを考えている。

具体的に言えば、その選別に迷っているのである。


慈悲深い竜だなどと思われても心外である。

なので殺す。

全員無慈悲に殺す。

己が巣穴に侵入した不埒な者どもは誰であろうと殺す。

そこに迷いも疑いもない。


だが竜は同時にとても好奇心が旺盛である。

興味があるものを弄りいたぶる様は蜥蜴に似た見た目であるにもかかわらずむしろ猫科のそれに近い。


ゆえに少なくとも飽きるまでの間、誰かひとりくらいは巣穴に閉じ込めて閑居の潤いにせんとしているのだ。



そしてそんな彼から見て…

今回飛び込んできた面子はとてもとても興味深い。



彼の身に纏う物理障壁の秘密を解き明かし、魔導術と神聖魔術によってパーティー全体を強化し、こちらの炎を無傷でやり過ごしつつ年経た竜の強固な鱗の上からダメージを与えるに至った。

さらに付与魔術の切れ目が勝ちの目の切れ目と断じ、貴重な魔導術の使い手をこちらの呪文の対抗魔術要員に据えて戦闘中に一切の能動的魔術行使を禁じる徹底ぶりだ。


となると単純に考えればその魔導師を潰せば戦局が一気に有利に傾く…はずなのだが、それをオークの戦士がさせぬ。

凄まじい足の速さと受けの正確さでこちらの攻撃を悉く防いでのけた。



いや眼下で己の手足相手に斧を振り回しているそのオークの身体能力が同種の連中に比べ些か優れているのは間違いないのだろうが、それでもあのエルフの小娘やドワーフの小娘への攻撃を防いだ動きは彼が能動的に為したものではなかろう。

赤竜イクスク・ヴェクヲクスはそう断じた。


なぜならもしあの動きが常にできるのであれば、そのオークは彼…赤竜の本体にもっと容易く辿り着くことができるはずだし、受けるダメージもより手痛いものであるはずだからだ。


つまりそのオークの戦士はなんらかの呪文、或いは魔具によって『味方を護る力』が付与されていると考えるべきだ。

その力……彼に宿ったその守りの力があればこそ、彼らはこのような強引な戦術を押し通せるわけである。


そして先ほどの会話。

その会話の内容を赤竜イクスク・ヴェクヲクスは理解できなかった。


赤竜は共通語は当然エルフ語もドワーフ語も天翼族ユームズの言葉も解することができる。

人間族の言語なら地方ごとの方言すらある程度理解できる。

かつて当人以外の仲間や村人を全滅させ、絶望で逃げる気力も失った者どもを巣穴へと持ち帰り、彼らの種族の言葉を学んだりしたことがあったからだ。


そうして存分に働いた者は気紛れでそのまま喰らったり逃がしたりもした。

逃がせば逃がしたで己の恐怖を喧伝する広告塔になってくれるので悪い話ではないのである。


だが今回の連中が話していた言葉は彼の知っている言語ではなかった。

語調や抑揚からかつて蹂躙したオーク族が喚いていた言語だと推測はできたけれど、彼はオーク語を学んではいなかったのだ。


なにせオークを生き残らせてもすぐにこちらに戦いを挑んで爪先一つで消し飛んでしまう。

魔術をろくに使わぬ連中なので竜にとっての脅威度は無きに等しいし、それよりなによりオーク族は財宝を貯めこむ習性がない。


財宝を寄越せと語り掛ける必要もなければ縄張りを荒らさぬ限りわざわざ襲う理由もない。

つまり竜的には彼らの言語を学ぶ必要性がまるでないのである。


…まあそれぞれの種族の言葉で仰々しく語り掛けていたのは若い頃の話で、今では竜語で事足りるため彼ら下等種族の言葉を使う事は滅多になくなってしまったけれど。


そのオーク語を彼らは使った。

己が最も知らぬ可能性が高い言葉を使い情報を隠蔽しようと試みたのも感心するし、なにより全員がオーク語で意思疎通ができているのが面白い。


それはとりもなおさず今己に斧を振るっているそのオークが、略奪や襲撃しか能のない他のオークどもと違って交渉や懐柔などによって他種族の者とコミュニケーションを取っているという事に外ならないからだ。



面白い。

暴力以外の手段を知るオークは面白い。


面白い。

ドワーフ族で魔導師とは面白い。


面白い。

己相手にあんな口をきく魔獣使いの娘も面白い。




はてさて、誰を最初に殺し、

誰を最初に喰らおうか。

どうすれば彼らの顔が最も苦悶と絶望に歪むだろうか。


退屈な殺戮…いや違うか、あの娘の言う殺し合い?

その結末をどうつけてくれようか。


彼はそんなことを考えながら、その長い長い尾を薙ぎ払い、己に迫るオークとエルフを吹き散らした。






その心の内に起きた小さな変化に、未だ気づかぬままに。






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