第507話 不可思議な行動

「〈連鎖投癒トゥメイ・オティルグ・ズマミューフグ〉!」

「ム!」

「わふんっ!?」

「これは…ありがたい」


イエタが唱えた呪文は彼女の右手指を光らせて、その指先から放たれた光線が壁に叩きつけられたクラスクを貫くとその傷を癒し、さらにクラスクの身体から光が迸ってコルキを貫き、そこからさらにキャスへと連り射抜いた。

離れた仲間の傷を治療する〈投癒トゥメイ・オティルグ〉という呪文の上位版である。


コルキは自らの前脚の痛みがすぐに引いたこととその光の関連性をすぐに察し、その光の起点であったイエタを見てこれが彼女の力だと理解する。

そして瞳を輝かせ舌を出しながら「すげー!」といった表情を浮かべ、尻尾をぶんぶんと振った。


とはいえほぼ無傷なキャスを除けばコルキもクラスクも今の呪文で傷が完治したわけではない。

通常治療呪文と言えば〈小傷癒トゥメイ・スフズル・オラッグ〉のように対象の傷口に直接触れて発動させるのが一般的だ。

投癒トゥメイ・オティルグ〉はそれをある程度離れたところからも治療可能とした画期的な治療術である。


けれど遠方からの治療が可能になった反面その治癒量自体は減ってしまっている。

今回は〈岩肌ヴォックツェック〉の呪文が物理的なダメージを軽減してくれたおかげで戦闘に支障ない程度には回復できたけれど、これ以上の大怪我では遠隔からの呪文ではおぼつかぬ。

最終的には自らの羽で飛びながら前衛に出て傷を治すしかないと、イエタは静かに思い極めていた。


さて前線ではクラスクが火力源となって竜麟の上から斧を幾度も叩きつけている。

サブアタッカーとして魔法剣士たるキャスと魔狼のコルキが左右に散って赤竜の標的を分散させつつ少しずつ体力を削っていた。


魔導師ネッカは彼らの後ろで距離を取り、赤竜が唱える魔導術の全てを打ち消し無効化せんと待ち構えている。

そしてイエタもまた壁際で前衛がどんな大怪我をしても即治療できるよう待機して、さらに赤竜の魔術の行使や≪竜の吐息≫といった隙の大きな行動に合わせて決戦呪文や沸騰呪文といった持続時間が短く強力な補助呪文のうち、ミエの≪応援≫と効果の被らぬよう[精神効果][高揚系]を避けたものを唱えてゆく。


そしてミエは…イエタのそうした工夫を一切知らず、知らされず、ただひたすらに大声で夫を、そして仲間たちを≪応援≫し続けていた。


フムウゥゥゥゥゥゥグ


赤竜イクスク・ヴェクヲクスは爪や牙で彼らを狙いつつ、リーチが長く人型生物フェインミューブの死角から狙いやすい羽先の鉤爪で直上から突き殺そうとしながら、己に近寄らせまいと長く太い尾で床をまとめて薙ぎ払い、吹き飛ぶ金貨と共に彼らを追い散らしつつもそんな彼らを観察していた。

彼には未だその侵入者どもを片付けたあと飛び散った金貨をまた集めて山にするのは面倒そうだ、などと考えるだけの余裕があった。


どれ、貴様らの対策を見せてみよアイニュークィヴェス クェイ イゥ メッグ


竜語でそう呟くと、彼は無造作に財宝の山から身を乗り出した。

常に黄金の上に陣取って近寄らせないように戦っていた彼の突然の戦術変更。

クラスクとキャスはぞくりと背筋を凍らせそれをなんとか食い止めんとする。


だができない。

不可能だ。

竜の前進を止めたくともクラスク達にはそれを阻止できるだけのが圧倒的に足りないのだから。


竜の本体それ自体の挙動は決して高速というほどではない。

あえて言うならその大きさに比すれば早い、といった程度だろうか。


ただいかんせんその身が大きい。

とにかく大きい。

のそりと身を乗り出すだけで人型生物の全力疾走を超える速度で間合いを詰めてくる。


彼はそうしてたった二歩で間合いを詰め、壁際に陣取っていた術者の方へとその首を伸ばした。


狙うはドワーフ。

ドワーフの魔導師。

このパーティーの要そのもの。


この術師が消えれば彼の魔術を止められる者はいなくなる。

魔術の抑止や阻止自体は聖職者にも可能だが回復役がそちらにかまけてくれるならそれはそれで問題ない。


ならば最初に魔導師を潰してさえしまえば、あとは多少の被弾を覚悟しつつも彼らの身を護り強化を施している魔術を纏めて〈解呪ソヒュー・キブコフ〉やその上位術で引き剥がし、嬲り殺せる寸法だ。





イクスク・ヴェクヲクスの伸ばした首に追いつき追い越さんとする勢いでクラスクが赤竜に背を向け怒涛の勢いで全力疾走する。

そしてそのまま背後から迫る巨大な口を、背中に回した己の斧でがっきと受ける。


目の前にはネッカの驚きと恐怖と緊張に満ちた顔。

クラスクはニッと彼女に笑いかけると、振り向きざま竜の顔面目掛けて己の大斧をぶうんと振るった。


「ッ?!」


が、一瞬遅い。

その赤竜はスッと首を引っ込めて、そのまま後ろに下がり財宝の山へと戻った。


ドウイウ事ダムガーク ルギ ウィウヴォヴ!」


再び竜へと突進しながらクラスクが己と同じく竜目掛けて駆け寄るキャスに問いかける。


わからんオフェヴル トゥヴェム!」


返すキャスの言葉もなぜかオーク語だ。

普段であればクラスクがオーク語で語り掛けてきてもキャスは共通語ギンニムで返しているのだが。


クラスクが疑義を呈しているのは竜の行動がだからである。


これまでその赤竜は財宝の山の上に陣取って戦っていた。

竜は財宝に対して強い執着を持つ

だから巣穴への侵入者をあしらう時も、なるべくその財宝の上から動かない。


最初から倒すのは不可能と見極めて、素早く財宝の一部だけを掠め取って逃亡しようとする不届き者がいないでもないからである。


さてこれまでクラスクらはその竜に多少のダメージを与えてはいたけれど、彼を討伐するためにはどうしてもその胴体、もしくは頭部への大きなダメージが必要となる。

ゆえにクラスク達はその竜に突撃するしかない。

なにせ現状クラスクらが与えている打撃はそのほとんどが手先や羽先などに限られ、本体に通したダメージはその下腹部にコルキが噛みついた一回のみなのだ。


となれば赤竜の方は爪や牙や羽で迫ってくるクラスク達を各個撃破し、まとめて尻尾で薙ぎ払えば事足りる。

いわゆる『追い散らす』戦い方だ。



ただ…その位置取りではに攻撃が届かない。



壁際に下がっているネッカ、イエタ、ミエの三人はこれまでほぼまともな攻撃を受けていない。

≪竜の吐息≫や魔術攻撃の対象となったことはあったけれど、≪竜の吐息≫はイエタの〈火炎免疫ウーサマーニュ・オラフ〉によって完全無効化しているし、魔導術の方はネッカが対抗魔術によって防いだため、実質無傷である。


財宝の上からでは尻尾による薙ぎ払いでも届かない。

つまりクラスク達はこれまで後衛のケアを一切考えずに戦えていたわけだ。


だが竜の知能は高いという。

このパーティーの戦術もだいたい見破っているはずなのだ。


となれば彼らが古老クラスの竜に相手にまがりなりにも戦いを成立させられている最大の要因がネッカであり、次いでイエタであることも既に看破されていると考えるべきだ。



ならばその赤竜が取るべき行動は『前進して間合いを詰める』のはずである。

間合いを詰めて広範囲攻撃であるその尻尾の間合いに後衛三人を含めるべきなのだ。

そうすればクラスクやキャスは後衛を護ろうと動かざるを得なくなり、結果攻め手が減ってより楽に戦えるようになるだろう。


先刻竜がのそりと前進した時クラスクやキャスが最大限に警戒したのはそのためだ。

そんなことをされてはこれまで有利…とまではゆかずともなんとか渡り合えていたというのにその均衡が一気に崩れかねない。


もちろんそれを見越して後衛たちの身を護る戦術も練ってはいるのだが、そちらを取ると今度は前衛との距離が開きすぎる。

それでは回復が間に合わなくなる可能性があるのだ。


さてどう対処すべきか…と二人が高速で思考を巡らせていたところ…竜が自ら後ろに下がっていったのである。


有難い。

有難いのだけれど、それは明らかにおかしな動きである。



身を乗り出してネッカを狙ったのは赤竜としては正しい戦術だし、そのままそこに陣取ってパーティー全員を巻き込んで戦った方が明確に彼にとって有利なはずなのだ。


だが彼はそうしなかった。

その竜は自ら後ろに下がり、再びクラスクら前衛とのみ戦う道を選んだ。



クラスクらの基本戦術として魔導師ネッカも聖職者イエタもいずれも持久戦要員であり、確かに放っておいてもその竜に戦いに致命的な痛手は発生しないだろう。

だがこの二人を最初に狩ってしまいさえすればその持久戦がそもそも成立しなくなる。






それがわかっていないはずはないのに…なぜその竜は自らその有利を捨てたのだろうか。






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