第498話 家族の護り

およそ無造作に繰り出された竜の攻撃。

だがそれは実に合理的で無駄のない殲滅のための一撃だった。


まず抉るようにして放たれた左前脚でキャスを右側…竜から見て左側へと釣り出す。

次に己の左後脚を踏み込むようにして放てば、その後ろについている尻尾がその動きに合わせて前に振られる。

尻尾自体も筋肉の塊であり、自ら勢いをつけることで、彼の放った左後脚をどう避けようと、その避けた先ごと覆う巨大な尻尾の薙ぎ払い攻撃が同時に成立しているわけだ。


前に駆けても後ろに避けてもそこには尻尾がいる。

左に逃げても寿命が一瞬延びるだけだ。


それはクラスクと竜対策をした際想定していた動きだった。

相手の巨大さからただの尻尾の横からの一打ちが致命傷になりかねないと、それゆえ十分注意せねばとクラスクに偉そうに講釈を垂れていたのは彼女自身である。


だが実際のその攻撃は彼女の想像を絶していた。。

広範囲すぎる一撃は接近戦を挑む身として凡そを覆わんとばかりであり、どう足掻いても逃げようのない必殺の一撃だった。


キャスは前でも後でもなく、あろうことか自らその尻尾目掛けて駆けてゆく。

まあ事前の攻撃を避けた方向的に足を止めなければ自然そうならざるを得ないのだが。


そして凄まじい速度で迫ってくる己の背丈ほどもあるその尻尾を前に一瞬身を縮め、走り高跳びでもするようにそれを上に避けてのけた。

一瞬目測を誤ってその尾が掠めそうになるが、剣を左手に、空いた右手でとんと尾を下に押すようにして距離を確保し、やり過ごす。



そうしてなんとか竜の猛攻をしのぎ切った…かに見えた。



だがそこまでがその竜のだった。

宙に避けた彼女は今足場を持たぬ。

つまり攻撃を避けようがない。

そこに真上から降ってくるものがあった。



翼である。



竜の翼は蝙蝠のそれと同じく手指が変化し、その指と指の間を皮膜が覆った翼膜である。

その蝙蝠が如き翼膜と翼膜の間に伸びている指の骨…いわゆる翼指骨よくしこつの先端には鋭い鉤爪が生えており、それは人型生物の胴体に風穴を空ける…どころが半円形の傷口をつけた上半身と下半身を生み出すほどに鋭く、そして太い。


その竜は風圧によってキャスが吹き飛ばないよう翼を縦に畳み、空中に浮いたキャス目掛けその翼爪をまっすぐに振り下ろしてきたのだ。


咄嗟に真下にある尾を手で押して避けようとするキャス。

だが足と違って手で押す力はそこまで強くない。

避けようとしても避け切れず、その必殺の翼爪の一撃が彼女の頭上に…


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


咆哮が響いた。

竜のものではない。

もっと野蛮で、猛々しく、それでいて雄々しい叫びだった。


クラスクである。

クラスクが自らに迫る尻尾目掛けて猛然と駆けてゆき、その直上にいるキャスの方へと地を蹴って高々と飛び上がる。

そして尻尾をまるごとひと飛びで飛び越え、キャスの上を取ると、その翼爪の一撃を己の斧刃で受け止めた。


尻尾が通り過ぎ、直後に地面に叩きつけられる二人。

だが受け身を取ったお陰で致命的なダメージを受けることなく素早く左右に飛び退る。

二人の間には竜が放った翼の一撃が突き刺さり、地面に深々と陥没を創り出していた。

それをまともに食らったらどうなるか、キャスは考えるだけでゾッとした。


「大丈夫カ!」

「助かった!」


互いに相手の姿を確認もせずただ声だけでやり取りする。


「しかし…な!」

「そうダナ!」


攻撃の的にならぬように縦横に動きながら互いに叫ぶ。

二人の言っているのは相手との距離の話だ。


竜の脚のリーチが長く、尾や羽のリーチはさらに長い。

相手の攻撃を避けるのに精いっぱいだったその距離は、竜の胴体からおよそ20から30フース(約6~9m)ほども離れた場所での攻防だった。

つまり相手から致死に至る猛攻を連続で喰らい続けたその位置は、そもそもクラスクやキャスにとって竜の身体に武器が届かないほどの距離なのだ


圧倒的な強さと暴力と荒々しさ。

そして同時にそれを計算づくで放てる恐ろしいほどの精緻さ。

クラスクとキャスは改めて目の前の相手のがこの地方に千年近く君臨してきた化物だたとその身で理解し震撼する。


ほうグゥ


今の竜からすれば一方的に有利な、そして圧倒的な攻防。

けれど己の咆哮が呼び起こす恐怖、炎の吐息、そして爪から翼撃までに至る連撃…それを経て相手が未だ一人も減っていないのは彼にとって久方ぶりの事だった。


大したものだルイゥ・ホプクロ


竜の口から洩れる竜語の呟き。

相手に聞かせるためのものではない。

ただの独り言である。


だがその呟きを理解する者が…クラスクとキャスのはるか後方、入口付近の壁際に待機していた。

ネッカである。


「あれって竜語ですか?」

「は、はいでふ。『大したものだ』って褒めてまふね」

「まあ!」


ネッカの言葉にイエタが嬉しそうに手を合わせる。

前線で戦っている二人に比べてやや緊張感に欠けたやりとりだ。


もっとも竜語を知るネッカにとってそれはあまり嬉しい誉め言葉ではない。

彼女は『ルイゥ・ホプクロ』という言い回しを『大したものだ』と翻訳したが、それはあくまでニュアンスとしての意味であって、直訳するなら『大きなだ』となる。


『大きな肉だ』→『喰いでのある肉だ』→『喰いごたえがある程に強い相手だ』という流れから竜が竜以外の相手に対して用いるやや屈折した賞賛の言い回しとなっているのだが、元の意味を考えるとネッカが素直に喜べないのは当然だろう。

さすがにミエとイエタには告げられなかったけれど。


「今の旦那様の動き凄かったですね…あ、また!」


まとめてやられないように距離を離して戦いながら、キャスがピンチになると凄まじい勢いでかけつけて竜の攻撃を受け止める。

無論体格的にはとてつもない差があって、その攻撃を受け止めはできても防ぎきれはしないけれど、それでも不死身とも思える体力で即座に立ち上がり再び竜へと突撃する。

常識では考えられない動きである。


「あれはクラさまのでふ」


杖を構えながらネッカが小さく深呼吸して息を整える。

己の出番が近いからだろう。

同様にイエタもまた元より薄い目を閉じて、静かに息を吐いている。

呪文を唱えるには極度の精神集中が必要だからだ。


「旦那様の斧? …あ!」


ミエは今更ながら気が付いた。

なぜクラスクがミエをここに連れて来ようとしたのか。

ミエの無事や安全を何よりも大切にする彼が、リスクを侵してまで彼女を連れてきたのか、その理由を。



家護やもり



クラスクの斧に宿っていたいわく。

ネッカが後付けで付与しようとして、実は元よりその斧に萌芽としてあった曰くモノ


それはその武器の持ち手に大切な家族を護るための力を与えるいわくである。


とするとクラスクの先ほどの信じがたい動きはそのいわくのものだろう。

そしてそれは同時に彼の他の家族…すなわちネッカとミエもそのいわくによって護られている、ということを意味する。


爪や牙が通用しないのであれば有効な攻撃手段は≪竜の吐息≫となる。

だが現在か彼らは≪火炎免疫ウーサマーニュ・オラフ≫の影響下にあり、一切の炎や熱によって傷つくことはない。


「…コルキ、私のことはいい、旦那様を助けてあげて。行ける?」

「ばうっ!」


つまりそれは同時にミエの護衛としてつけていたコルキを戦闘要員として用いることができる、ということでもある。

ミエは己の夫の全てを信じ、その魔狼の背を撫で解き放った。






そして……戦線が、一気に動く。





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