第499話 剣と斧の煌めき
低く、低く。
地面すれすれを疾走する魔狼コルキ。
その瞳は赤く血走り、唸る声には怒気がある。
普段の大人しい彼しか知らぬ街の住人が見れば、つい最悪の想像をしてしまうかもしれない。
守護獣コルキが遂に魔狼に戻ってしまったのか…と。
だが違う。
コルキは最初から魔狼である。
彼の憤怒の要因は別の所にある。
彼には知性があり、人並みに…人の子供並には物事を理解し、思考することができる。
ゆえにこそ知っているのだ。
目の前の巨大な羽つきトカゲが原因であると。
村を焼き、御主人を泣かせた原因に他ならぬと知っているのである。
「グルルルルルルルルルゥ……ッ」
低く唸ったコルキはまるで稲妻のように左右に飛び跳ねながら一気に赤竜へと肉薄する。
前脚のリーチの外、どすんと振り下ろされた翼膜を纏わりつくようにかわすと、直後に先ほどとは逆側から襲い来た竜の尾にその前脚をかけ、あろうことかその尾の上に飛び乗ってこれ幸いとばかりに竜の身体への最短距離を疾走した。
それには流石に赤竜イクスク・ヴェクヲクスも驚いたのか、自らの尾をのたうたせ、波打たせる。
だがコルキは僅かに速度を緩めたのみみで一気に竜の身体に肉薄し…そして竜の放った右前脚を慌てて避けて横に飛びのいた。
だがその隙を逃すクラスクとキャスではない。
竜の意識がコルキに向かったその一瞬、その一瞬を突いて態勢を低く、低く、四足獣のコルキほどではないが地を這うようにして一気に竜の本体へと突進する。
ぶうん、と大気を切り裂く音がした。
キャスの眼前に竜の右前脚が迫る。
だがこの攻撃はさっき『見た』。
キャスは己の鼻先を掠めるギリギリでその一撃を避けると、竜鱗で覆われていない竜腕の裏側、その白い表皮に突きを放った。
血飛沫が、飛ぶ。
キャスの放った一撃は、その竜に確かな一撃を与えてのけた。
だが竜の肉体は頑健だ。
たちまち傷口は塞がりその血潮は地熱を発する地面へと落ち…
落ちない。
赤竜の血はあろうことか宙に浮かび漂うと、そのまま方向を変えて勢いを増し、まるで自ら襲い掛かるかのようにそれへと収束していった。
斧だ。
クラスクが手にした斧である。
離れたところにいたクラスクが手にした斧に、その血潮はひと飲みされた。
と同時にその斧から不快な音が響き渡る。
それは聞きようによっては斧が放った奇声のようにも聞こえた。
まるで歓喜の金切り声のよう。
それと同時にクラスクが手にした斧の柄の色が赤黒く変色する。
無論その間クラスクは足を止めていたわけではない。
右翼の攻撃を避け、同時に襲い来た右前脚の攻撃を転がるようにかわしつつ、引っ込める直前のその腕に大ぶりな斧の一撃を加えた。
がぎん、と音がする。
赤竜イクスク・ヴェクヲクスが自らの鱗で受けたのだ。
己の身に纏う幾重もの護りを当てにしてその攻撃をぞんざいに扱うほどには、その竜は愚かではなかった。
まるで槌で岩壁でも殴りつけたかのような鈍い感触。
竜の鱗には傷一つついていない。
だが通った。
間違いなく通った。
クラスクの腕に伝わるその手応えは、竜の身にほんのわずかでもダメージを与えたことを物語っていた。
赤竜イクスク・ヴェクヲクスは瞠目する。
かつて複数の種族で彼に挑んできた相手が、彼の鱗に直接その刃を届かせたことはただの一度たりとてなかったからだ。
そう……クラスクとキャスの攻撃は、その竜に届いたのだ。
× × ×
「
街中に広がるシャミルの叫び。
最近クラスク市の居館に備え付けられた拡声器からの声だ。
赤蛇山への突入を間近に控えたその日、ノーム語でまくし立てるシャミルの叫びを聞いて、街の首脳陣達は慌てて円卓の間へと集まる事となった。
「ですからシャミルさん拡声器使う時は落ち着いた声でしゃべって下さい! 街の人が不安がるじゃないですか!」
「そんなことより聞くのじゃ! わかった! ついにわかったのじゃ!」
「あーもうこのひとはー…」
シャミルはこの街のために様々な計画や施策、それに町割りなどをする際にはとても優秀ではあるのだけれど、どうにも為政者としての心構えにはやや欠けるところがあるようだ。
まあ学者なのだからそのあたりは仕方ないのかもしれないが。
「でなにがわかったつーんだよ」
ゲルダの気のない返事に、だが興奮しているシャミルは気づかずスルーする。
「決まっておろう! あの竜の
「「「!!」」」
ガタと、一同が椅子から立ち上がる。
それこそ…この竜討伐に於いて最重要の情報。
どうにかしてそれを知り得なければその時点で詰みかねないという最重要機密である。
その発現の仕方は生物によって異なるが、ほとんどの場合外部からの攻撃に対し強い壁となって本体への攻撃を防いでしまう。
障壁越しに無理矢理攻撃を当てても障壁によってに減衰された分だけ本体へのダメージは下がり、結果まず有効打とならぬ。
これを真似して疑似的に再現したのが精霊魔術の〈
非常に強力な効果ではあるが、弱点がないでもない。
強力な分それを成立させるために物理障壁が作用しない特別な条件…すなわち『穴』があるのだ。
これを〈
〈
まさに字のごとく『弱点』と言えるだろう。
そして竜種の〈
なにせ年経た竜、その個体ごとに獲得する〈
ゆえに攻略する際には個々の竜ごとに条件を洗い出さねばならぬ。
だがその対象が強力すぎる存在の場合、そもそも挑んだ者が生きて帰ってくることすら少ない。
情報を持ち帰れねば次の者の対策を打てぬ。
以前クラスクが大演説をぶちかました時に述べた通り、数少ない貴重な情報がそれぞれ個別に竜に挑んだ各種族や冒険者達の内々でのみ処理されて、さらに種族や部族ごとの争いやいがみ合いがその統合を邪魔していた。
だが今回は違う。
国際法を振りかざし、或いは資金援助を申し出て、硬軟にわたる各地への情報提供の呼びかけが、かつてないほどの情報をこの街へと集積させていた。
優れた知見や知恵を有している組織はあった。
莫大な富を有する国家もあった。
強固な武力を備えた軍隊もあれば、圧倒的に強い個を集めた冒険者集団も存在した。
だがそのすべてを兼ね備えた街は、これまでに存在していなかったのだ。
「で、なんだよその条件って!」
ゲルダが急き立てるように問いかけ、シャミルがにんまりと笑ってどさりと幾冊もの本を机上に並べた。
「ドワーフ族、ノーム族、エルフ族、人間族の各国家…様々な国家、種族がきゃつに挑み、それを目撃した、或いは幸運にも生きて戻った者の記録だけ集めてみた!」
「ほほう!」
キャスが興味津々と言った面持ちで目の前の書物を見つめる。
そのうちの一冊は彼女が持ち帰ったものだ。
「そして…これらの書物には皆こう記されておる。かの竜…赤竜イクスク・ヴェクヲクスへの攻撃は、ことごとく弾かれた、と」
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