第495話 開幕の口火
「この通路は長いですね…どこまで続いてるんでしょう」
「ばう~」
コルキの上でミエが汗をぬぐう。
彼らは現在長めの直進通路をゆっくり進んでいた。
水平ではない。
僅かに傾斜している。
ゆっくり。
少しずつ。
通路を進みながら一行は下へ下へと向かっている。
「どこって…火山の火口ニャ。この行き止まりが目的地だからニャ」
「ふぇ…っ」
大声で叫びそうになって慌てて口を押えるミエ。
そしてすぐ前のイエタと顔を見合わせて互いに口元に指を当て「シー!」とした。
「道理でだいぶ熱いわけです…火山の火口ですもんねえ」
「ばうー」
ミエの言葉に同意するようにコルキが舌を出しながら情けない声を上げた。
「いよいよカ」
「ああ」
クラスクとキャスが小さく頷きあう。
「準備は済んでまふ」
「はい。精一杯務めさせていただきますね」
ネッカが杖を持ち直し額の汗を拭い、イエタが両手を合わせ神に祈る。
「ところでキャスさん、これ本当に足音消えてるんです…?」
「そのはずだ。ただ火山は火と地の精霊の力が強く、風や水の精霊の力は長持ちせん。あまり過信はするな」
「はーい」
足元を見ながら呟くミエの台詞にキャスが返した。
〈
足元に風の精霊を纏わせて足音を隠蔽する呪文だ。
隠密や接敵などに使用されるほか、僅かな浮力を得るため足跡を残しにくく、追跡を巻くためなどにも利用される便利な術である。
キャスはこの呪文を習得こそしていないが、エルフの血を引いているため詠唱する資格自体はある。
つまり本人は呪文を知らぬが、巻物を読んだりこの呪文が込められた杖を振ったりはできるのだ。
そこでネッカがネザグエン…間もなくクラスク市魔導学院副院長に就任予定…のツテを頼り、王都ギャラグフの魔導学院からこの呪文が込められた杖を購っていたのだ。
迷宮攻略のために敵対しているアルザス王国の施設すら平気で利用する。
このなりふりの構わなさこそがクラスク市の、そしてクラスク一派の最大の強みである。
「アーリは連れてくまでが仕事ニャ。後は期待するニャし」
「わかっテル」
「だいたいだニャ…んニャ?」
「行き止まり…扉だな」
アーリとキャスが真っ先に通路の最奥にある扉に気づいた。
わずかに遅れてクラスクがそれに気づき、直後にネッカも視認した。
ただ≪夜目≫も≪闇視≫も持たぬミエとイエタにとって通路の先は未だ暗闇で、ミエは己も確認すべく自らが持つランタンを高く掲げた。
「あ、見えた……見えた?」
そう、ミエにも扉が見えた。
だがそれはおかしい。
だってミエが手にしたランタンの光源は未だその扉まで届いていないのだ。
にもかかわらず扉が視認できた。
それはとりもなおさず扉の方から光を放っているという事に他ならぬ。
アーリが無言のまま指先で一同に合図を送る。
緊急準備のサインである。
が、一瞬遅い。
ミエが視認できたのは扉から光が漏れていたから。
つまり扉が開きかけだったからだ。
その扉が突然ばたんと開き、その向こうから赤い光が彼らに届いた。
一見すると扉の向こうにも通路が続いている…ように見える。
真っ赤に輝く通路、それが徐々に狭くなっている。
床には紅蓮の燃えるようなカーペットがひかれ、上下には鋭利な棘状の装飾が並んでいる。
だがそれは錯覚だ。
カーペットのように見えていたのは舌だ。
棘の装飾に見えた者は牙だ。
狭くなっている通路は喉だ。
つまり扉の向こうにあったのは巨大な何者かの口の中である。
咆哮が、響いた。
重々しく、猛々しく、脳髄を破壊し神経を焼き切るような叫び。
たちまち一同の動きが止まり、身動きが取れなくなる。
≪
そしてその直後に扉の向こうの喉奥の赤い光が一気に強くなり、燃え上がる。
煌々たる、そして轟々たる赤熱が放たれ、通路を埋め尽くすようにしてクラスク達一行に襲い掛かった。
「だいじょーぶです! やれます! できます! がんばって!」
完璧なる初撃を決めた赤竜イクスク・ヴェクヲクスは、炎の向こうで誰かが叫ぶ声を聞いた。
同時に別の何かの声が聞こえたような気もするが判然とせぬ。
それらの声は彼の位置からは灼熱の炎が放つ轟音によって掻き消され意味のある言葉として認識はできなかったのだ。
だがその竜は扉に付けていた口をすぐに下げ、同時にその身をわずかに後ずらせ巣穴の中央、彼の財たる黄金の山の上まで後退する。
…と同時に自らが放った炎を手にした得物で断ち割るかのようにして、二人の
クラスクとキャス、竜から見ればオーク族の若造とエルフ族の小娘である。
オークとエルフが? 一緒に?
足元には煌めく黄金の財宝が山となって積まれ、引いた鉤爪がその幾枚かを転がし落とした。
その転がった金貨の一枚が財宝の山の中腹にある鳥を象った石像に当たる。
石の台座の上に鎮座している古びた梟の石像だ。
一見すると無価値な骨董品にも見えるそれは、実は『
『
その魔具により襲撃者を事前に察知していた赤竜は、けれどその構成まではわからなかった。
知能に劣るオークがこれまでこの巣穴までたどり着けたことはない。
しかも他の種族と一緒にオークがやってきた。
これはつまり話に聞いたあの街のオークという事だろう。
てっきり街の防備を固めこちらの襲撃を待ち受けるための時間稼ぎとしてあのダミーの村を用意したのだと思っていたが、こちらの巣穴に襲撃し返すためのものだったわけだ。
それはつまりこの巣穴への襲撃までに時間を稼ぐ必要があったという事であり、その時間稼ぎによってこちらへの対策を入念に行ってきたということであり、彼らなりの勝算があるということでもある。
そもそも最初の咆哮で彼らの動きを完全に止め、竜の吐息を放ったはずなのに、炎越しに何者かの叫び声が聞こえていた。
それも悲鳴や絶叫ではない。
明らかに理性ある叫びだった。
それはつまり彼の咆哮を受けて身動きが取れていた者がいた、ということに他ならぬ。
そして竜の吐息が通路中を埋め尽くしたというのに、真っ先に二人の戦士が飛び込んできた。
村一つ消し炭にする灼熱の業火であるにもかかわらず、である。
これまたこちらの炎に対してなんらかの対策をし耐性を付与していると見るべきだろう。
僅かに遅れて杖を持ったドワーフ…魔導師だろうか…が駆け込んでくる。
ドワーフにしては相当珍しい。
同時に羽を広げ飛び込んできたのは
こちらは聖職者だろうか。
オークが率いている、という特異性を除けば、よく見るバランス型のパーティーである。
そして最後に飛び込んできたのは…魔狼に乗った人間族の娘。
……うん?
赤竜はその眼球の内側の多重瞳孔を幾つか引き絞り、その小娘を今一度確認してみた。
……この娘は、なんだ?
赤竜イクスク・ヴェクヲクスは一瞬、ほんの一瞬虚を突かれた。
戦士でもない。
魔導師でもない。
聖職者でもない。
見たところその娘は何にも見えぬ。
鍛えた何かには到底見えぬのだ。
だがなんでもない存在がこんなところまでたどり着けるはずがないし、他の連中もそんな者を連れてくるはずがない。
瘴気に侵された魔狼に跨りそれを使役すらしているように見えるところからもそれは確かである。
そのはずだ。
とすれば
ただ彼らは魔狼のように自然本来のものでなくなってしまった存在を強く拒絶するはずだが。
この巣穴に辿り着いた冒険者は数えるほどしかいないが、巣穴の外では冒険者どもから幾十回もの襲撃を受けた事がある。
そしてそれ以上にドワーフども、エルフども、ノームども、オークども…各種族ごとの集団に襲われてきた。
だがこれまで相対したどんな相手でも、こんな構成のパーティを彼は見たことがなかった。
己が発する恐怖に対抗し、炎の中から皆無傷で脱出できる者ども…
久々の『敵』が来たと、赤竜イクスク・ヴェクヲクスは愉し気に吼えた。
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