第494話 縦穴式迷宮突破法
〈
圧縮詠唱が必要な呪文の中では最も位階の低い、初歩中の初歩の魔導術だ。
その効果は指定した対象(非生物)の表面に油脂…すなわち油を発生させる、という地味で単純なもの。
だがこの単純極まりない呪文が、実戦では意外にも有用だったりする。
まず相手が持っている武器や杖などを対象に取れば表面が滑って取り落としてしまうだろう。
枯草の生えた地面の上などに発生させて着火すれば周囲はたちまち火の海だ。
縄や鎖で縛られている時に使えばそこから抜け出す大きな助けとなるだろう。
そして…床を対象にすればつるつるに滑る危険な床が誕生する。
クラスクはネッカに命じこの呪文を
その場所自体は
そして一度発生してしまった呪文効果を、
クラスクとコルキが両足を持ち上げようとした際、その行為により彼らは敵として認定された。
そして敵対行為に対抗すべく、転ばされぬように
そう、〈
転倒状態ではまともに攻撃ができぬ。
無理に攻撃してもクラスクやキャスくらいの実力者なら簡単にかわせてしまう。
ゆえに
だがそれをコルキがその邪魔をする。
巨狼となったコルキはその滑る床を器用に避けながら周囲を動き回り、噛みついた
そしてその都度床に塗られた油脂の中央部へと相手の身体を誘導する。
これがキャスやアーリなどであれば油脂の塗りたくられた床に引きずられようと大した問題にはならぬのだろう。
滑る床の上で上手にバランスを取り、なんならそこで戦闘すら可能かもしれない。
いやアーリは戦闘自体しないかもしれないが。
ただそれには優れた平衡感覚が必要で、優れた平衡感覚の源はステータスで言えば敏捷度にあたる。
そして…
石や鉄などに呪文をかけながら製造し、石の
巨額の費用と膨大な魔力が必要になるが、一度稼働すれば永遠に動き続ける魔導の兵士、それが
その制作方法と素材の問題から、どうしても鉱物由来の
ただそれでも通常であれば問題は発生しない。
呪文自体が効かず、また精神を持たぬため≪恐怖≫≪威圧≫系統のスキルなどで敏捷度を下げられて行動停止に追い込まれるリスクがない。
攻撃は避けられないが硬い外皮と強靭な物理障壁で弾くため問題ない。
そして無限に稼働し続けるがゆえに疲労もなく、いつか相手が疲れて動きが鈍った後に叩き殺せる。
このように
だからこそ…クラスクの思いついた策は面白いように嵌った。
敏捷度が足りぬゆえ起き上がれず、身動きができぬゆえクラスクの攻撃が避けられず、クラスクをどうにかしようとしてもキャスが逆側から細かな攻撃を繰り出し標的を上手くコントロールする。
そしていかに敏捷度が低くとも幾度も幾度も繰り返せばいつかは運よく立ち上がれるようになるはずなのだが、それを悉くコルキが邪魔をする。
これがゲームなら対戦相手からハメだと罵られる事請け合いである。
ミエの感覚で数十秒…たった数十秒で、無限に稼働し続ける強靭さと頑健さを誇る石の
「ヨシ、これデ行けルナ。ネッカ、次はあっちダ。コルキ、今度はコイツと遊ぶゾ」
「ばう! ばうっ!」
尻尾をぶんぶんと振って同意したコルキが、たちまちその
そして、数十秒後に全く同じ結果となった。
「えっげつねーこと考えるニャ…」
三体目の
なにせ呪文が効かぬとあらかじめ言われていた相手を低位の呪文でハメ殺しているのである。
相当の発想力がなければその場でこんなアイデアは出てこないだろう。
ただしこの手法、知っていればどんなパーティでも実行可能というわけでもない。
ゆえに思考や感情は存在しないけれど、戦闘における危険回避行動くらいは取ることができる。
例えばあからさまに空いた穴には落ちないし、床に油が撒かれて一歩踏み込んで滑りかけることはあるかもしれないけれど、その後そこを避けて通るようになる。
かといって彼らの足元に直接〈
そして本物の油では呪文のような摩擦係数が実現できぬ。
ゆえにこの作戦を成功させるためには大柄なオークの中でもさらに巨漢なクラスクの怪力と、可能なら四つ脚で重心の低い、相手の転倒を専門で担う大型の獣がいることが望ましい。
…が、現状こんな組み合わせのパーティがそうそう冒険者にいるはずがないのである。
今、ここで、この地下迷宮に潜っている彼ら以外には。
「これは…本気の本気でちょっと期待しちゃうニャー…」
羊皮紙にびっしりと書かれたメモに数行追加しながらアーリが呟く。
彼女が覗いている床の穴……その下では、クラスク達が
「ミエ!」
「旦那様っ!」
両手を広げたクラスクの胸元にミエがえいやっと飛び降り、お姫様抱っこで抱き留められた。
そのまま見つめ合う二人…の背後で特に苦労することもなく飛び降り着地するアーリと羽を一瞬だけ広げてふわりと着地するイエタ。
そして魔術を使ってゆっくりと降下してくるネッカ。
「アーリ、この
「そのはずニャ。けど少なくとも一日二日でどうこうって話じゃニャイからアーリたちは気にしなくて大丈夫ニャ」
「なるほど。では警戒は解こう」
キャスが一息ついて細剣をしまう。
「で…これからどうしましょう。確かこの部屋の扉ってどっち開けても毒ガスですよね」
少し名残惜しそうにクラスクの腕の中からてりゃーと床に降り立ったミエは、己の前で伏せるコルキの背に再び乗った。
コルキが嬉しそうに尻尾を振って立ち上がり、周囲の臭いを嗅いで経過モードに入る。
「一応奇跡の中には毒状態にならないようにする呪文がありますが…」
「心配無用ニャ。どっちの扉も開けないニャ」
「はい?」
「ふぇ?」
アーリの意外な返答にミエとイエタが顔を見合わせる。
いったい今日幾度目だろうか。
「上の部屋とこの部屋のつながりで今回の迷宮の大体の配置は予想できたニャ。イエタ。ここは大事なところニャから、〈
アーリは羊皮紙に書き記したメモをイエタに手渡す。
「承知いたしました。少々お待ちくださいませ」
イエタ自らの信仰する女神に、アーリが導き出した解の答え合わせについてお伺いを立てる。
「…合っているそうです」
「ニャ! ということは…次の目的地はこの下ニャ!」
アーリが部屋の隅、一番最初に
「ちょうど真下の部屋とこの一角だけ重なってるニャ。ここから下に階に降りて、そこからさに下に降りて、その後は水平にしばらく迷宮を探索して、次の目的地の部屋に着いたらそこから今回と同じ手法でさらに三階ほど下に降りるニャ。これでだいたいこの迷宮の九割を踏破できるはずニャ」
「「「そん
なに」」」
古代地下都市の遺跡…その下層に広がる十階層。
膨大で広大で、そして可変構造の大迷宮。
そのほとんどを独自の手段で無力化し…彼らは一路最下層を目指した。
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